マクロ経済学とマイノリティの激突

 マクロ経済学は今日の社会構造を議論するにあたって、絶対に必要とされる素養の一つである。しかし、マクロ経済学を用いて人権や社会運動を用いている人間はめったにいない。
 これには明確な理由がある。マクロ経済学の知見は致命的に人権と相性が悪いのである。なぜならば、マクロ経済学は「特定のマイノリティに対して十分に投資を行う場合は全体のバランスが崩壊する」ということと、「全体のバランスを維持する場合は特定のマイノリティに対して十分な支援がいきわたることはない」ということを言っているからである。

 この問題の根本的な原因は需要均衡式にある。需要均衡式は、有効需要の原理を示すためのもので、

Y(GDP) = C(消費) + I(投資)

で表される式である。ここでいうGDPは国内で生産される付加価値の総和を示す。このnoteではマクロ経済学について十分な知識を持っていることを前提として書くため、興味のある方は適宜自己学習してみるとよいだろう。
 この消費を分解すると、所得の増減で変化しない消費「C0」と、所得の増減で変化する消費「C1」に分けることができる。「C1」は、三面等価の原則から所得=GDPを変数とする一次方程式に従って、「C1’×Y」と書くことができる。この時、「C0」を基礎消費、「C1’」を限界消費性向と呼ぶ。

補足:三面等価の原則の一般式
生産面: GDP = 国内総生産(Y)
支出面: 消費(C)+ 投資(I) + 政府支出(G)+( 輸出(X) – 輸入(M))
分配面: 消費(C)+ 貯蓄(S) + 税金(T)
以上の定義の上で、生産面=支出面=分配面の等式が成立する

C = C0(基礎消費) + C1’(限界消費性向)×Y(GDP)

 この式を需要均衡式に代入して分解することで、以下の式を得る。これが需要均衡式の一般式である。また、この式において投資の変化量ΔIによって、Yが変化したときのGDP変化量ΔYが増える割合を示す(1 / (1 – C1’))の部分を乗数といい、この効果によって投資の数値以上のGDP変化を得ることを乗数効果という。
 この乗数効果が「適切に政府支出を含めた投資を増やしていけば、その投資以上に乗数効果が得られる」というケインズの理論の裏付けになっている。

Y = 1 / (1 – C1’)×(C0 + I)

ΔY(GDP変化量) = 1 / (1 – C1’)× ΔI(投資変化量)

 ここで、限界消費性向「C1’」について考えよう。限界消費性向は、基本的には「国民全員の限界消費性向」の平均によって求められる数値であり、この数字が大きいほど乗数効果は大きい。
 この数字は所得が低い人ほど大きく、高額所得者ほど小さい。また、自分に興味のある分野においては大きく、自分に関わりの低い分野においては小さくなる。加えて、投資が大きくなればなるほど限界消費性向は小さくなる。なぜならば、投資と消費と貯蓄は有限のGDPを切り分けたものにすぎず、投資が増えれば基礎消費を除いた追加分の消費が減少するからだ。

 ここにおいて、ミクロとマクロの間には強力なミスマッチが存在することになる。「自分の限界消費性向は極端に小さいのだが、国家としてみれば限界消費性向は大きいので政府の投資は自分にとって全然足りていない。しかも政府が無理に投資を増やそうとすると、逆に他者の消費が減少して乗数効果が期待できなくなり、それに巻き込まれて自分の状況も悪化する」という状況が発生するからだ。こうなってしまっては、もはや国家による特別な救済は全く期待できない。この「マクロ最適とミクロ最適のミスマッチから生まれる乗数効果の上限」問題こそが人権問題とマクロ経済学の強烈な相性の悪さの根源である。

 通常、政府は国民全員の為に乗数効果を最大限に得ようとする。しかしマイノリティのための投資を行う場合、ありとあらゆる投資は上記に述べた「乗数効果の上限」問題を抱えることになる(ここでいうマイノリティとは、通常の意味でつかわれるマイノリティに加えて極端な大金持ちなども含まれる)。
 従って政府はマイノリティの救済を最低限にとどめ、国民全体の社会保障やインフラ整備を用いて全体を救済しようと試みる。それは迂遠だが、しかし結果としては国民全員を救済することになるからだ。
 同じ理由で、今苦しんでいるマイノリティが国家によって完全に救済されることはあり得ない。完全な救済は部分最適を齎すが、同時に全体の破綻をも齎す。マクロ経済学の知見からは、マイノリティには「マイノリティであることを放棄する」努力が常に求められているのだ。

ありがとうございます。