コラム:物資と情報、それぞれの不可能性

 年も開けたので、地政学についての記述を再開していきたいと思います。

 去年はあまりにも激動の一年でした。コロナウイルスのみならず、アメリカ選挙の影響もあり世界はより混迷を深めています。この影響はこれから数年間は続くでしょうが、「このような混乱した状況がなぜ引き起こされるのか」を理解しておくことは、今後起こり得る様々な状況の変化を受け入れる助けになるでしょう。

 そこで、今回は物資と情報の持つ基本的な性質、特に今の社会を拘束する重要な性質である「不可能性」について書いていきます。

1.物資の二つの不可能性

 まずは物資についての基本的な性質について書きます。ここでいう物資とは、「人類の生存に必要な物質」および「それらの物質を手に入れるための資源(時間・貨幣)」を示しています。第一次産業や第二次産業によって作り出される食物や衣服、住宅などの物質はともかく、時間や貨幣は生存に必要な物質とは言い難いですが、それでも物資として扱われます。

 時間とは物資を生み出すために最も必要なリソースです。あらゆる仕事は時間を使って行うものだからです。ゆえに、あらゆる物資の数量は「その物資を一つ生み出すのにかかる時間」を使用して一律表記できることになります。時間は、いかなる物資とも引換可能な共通物資としての性質を持つのです。

 また、貨幣は時間のトークンとしての性質を持ちます。あらゆる貨幣がやり取りしているのは仕事の結果生まれる物資、および第三次産業を受けるための「他者の時間」です。時間と言う形のないものを定量的に扱うための道具、これが貨幣の最も重要な役割です(ただし、形のないものの価値を保証するため、貨幣は情報としての性質をも持ちます)。

 このような理由から、時間及び貨幣は物資としての性質を持つのです。そして結論から言えば、物資には二つの不可能性、つまり決して満たす事のできない性質があります。それが物資の平等不可能性と、物資の公正不可能性です。

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