時間依存社会モデルver1.0(ミクロ編:戦闘と教化)

★追記あり(2018年4月15日更新)

前項にて、本モデルにおける自由と平等についての定義を行い、前項では「最適自由組織」と「最適平等組織」について語った。本項では、組織の根幹をなす「平等化」を行う際に発生する人と人のやり取りについて示す。

5.戦闘と強者と弱者

戦闘が自由行動時間の配分を操作する行為であることは前項で述べた。本稿では戦闘についてより深い考察を行う。

まず、そもそも戦闘が必要な理由について、前項の内容も交えて述べよう。組織の経過時間の総合計は個人の経過時間の組織人数合計であり、組織の経過時間の時間配分比率は個人の経過時間の時間配分比率と等しい。だが、組織構成員全員の自由効用係数関数は異なるのだから、同じとき、同じように時間を使ったとしても受け取る効用は人によって異なることとなる。故に、それが「組織の最適自由行動」であっても、その組織が行っている自由行動が自身に何の効用ももたらさず、組織内で受け取っている効用が「個人の最適自由行動」によって発生する効用を下回る、「差別」を受けた人間が発生しうる。では、ここから「差別」を消し去るにはどうすればよいか。

一つの方法は、組織の経過時間の時間配分比率を変更し、例えそれが「組織の最適自由行動」でなくとも、所属する全ての人間が「個人の最適自由行動」以上の効用を得られるように時間配分を行うことである。本モデルでは、この際に発生する全ての交渉行為を総称して、戦闘と呼ぶ。そして、自身から仕掛ける戦闘を攻撃、自身が受ける戦闘を防御と呼ぶ。そして、自分に有利な結果を得ることを勝利、不利な結果を得ることを敗北と呼ぶ。

組織内の戦闘は暴力だけで行うものではない。権力や知力など、様々な要素が絡み合って行われるものだし、勝利条件すら一定ではないのだ。そして、総合的に見て、組織内の戦闘によってより良い効用を得る能力を持つ個人、或いは組織内の小組織を「強者」と呼び、戦闘ではよい効用が期待できない個人、或いは組織内の小組織を「弱者」と呼ぶ。ただし、この評価は相対的なものであり、ある組織内の弱者が他の組織における弱者であるとは限らない。また、「強者」が勝利者である必要性もない。敗北したとしても、結果的に効用が高まるならば敗北など痛くも痒くもないのだ。

一般的に、強者は「組織の効用方程式」と「個人の効用方程式」が近しい値を取っている場合が多い。他人の効用を殆ど減ずることなく自身の効用を最大化できる強者は、勝利条件の操作が容易く、自身の意見を通しやすく、また戦闘による効用を得やすいからだ。弱者にはその逆のことが言える。勝利条件を操作できず、自身の意見には誰もが反対し、そして戦闘によって得られる効用は低い。なお、戦闘は時間配分を変更する行為であるため、基本的に数が多い方が時間配分の変更を拒むように働く。即ち、戦闘においては数が多い方がより強者となる。

戦闘もまた自由行動の一種であるため、行うためには時間を消費し、戦闘によって特別に効用を得られる人間でなければ戦闘自体の効用はゼロとなる。ここで、組織内で発生する戦闘の効用、「戦闘効用」は、戦闘を行う個人(或いは小組織)を攻撃側、受ける個人(或いは小組織)を防御側とした場合、攻撃側と防御側の自由効用係数の差分と、防御側と攻撃側の人数比によって決定され、以下のように表される。

「戦闘効用=戦闘効用係数×(防御側の自由効用係数ー攻撃側の自由効用係数)×(防御側の人数/攻撃側の人数)」

追記①:戦闘消費時間には負の値は存在してはいけない。追記前は、攻撃側と防御側の効用関係を、戦闘効用ではなく戦闘消費時間として定義していた。しかし、原理的には戦闘は自身が効用を減らすような時でも行うことが可能である。戦闘消費時間は負の値を取り得ないので、ここは効用である必要があった。

ここで、戦闘効用と攻撃側の効用方程式に同じ消費時間を代入した場合、攻撃側に発生する効用が攻撃側の最適自由行動によって発生する効用を下回る場合、原理的に戦闘は発生しない。これ以上戦闘を行うよりも手打ちした方が効用を得られるからだ。これを「攻撃限界点」と呼ぶ。攻撃限界点に達成した場合、戦闘によってこれ以上効用を改善することはできない。

6.教化と賢者と愚者

効用を改善するもう一つの方法は、これは組織の自由効用係数を変更し、組織が最大の効用を得る自由行動係数を自身の自由効用係数と等しい物にしてしまう事である。本モデルでは、この際に発生する全ての交渉行為を総称して、教化と呼ぶ。そして、自身から仕掛ける教化を教育、自身が受ける教化を学習と呼ぶ。そして、自分に有利な結果を得ることを啓発、不利な結果を得ることを承諾と呼ぶ。

組織内の教化もまた、知力のみで行われることは無い。権力や暴力、時には弱者であることすらも啓発条件に含まれる。そして、総合的に見て、組織内の教化によってより良い効用を得る能力を持つ個人、或いは組織内の小組織を「賢者」と呼び、教化ではよい効用が期待できない個人、或いは組織内の小組織を「愚者」と呼ぶ。やはりこの評価は相対的であり、賢者は教化によって何かを承諾することを受け入れられるものであることが多い。

一般的に、賢者もまた「組織の効用方程式」と「個人の効用方程式」が近しい値を取っている場合が多い。ただし、強者と異なるのは、教化は教育側の人数が少ない方が有利である点にある。人間には好奇心があるので、基本的に学習することそれ自体によって効用を得る事ができる。従って、数が多ければ多いほど、教育を受けてもらえる可能性が高まるのだ。ここで、組織内で発生する教化に発生する効用、「教化効用」は、教化を行う個人(或いは小組織)を教育側、受ける個人(或いは小組織)を学習側とした場合、教育側と学習側の自由効用係数の差分と、学習側と教育側の人数比によって決定され、以下のように表される。

「教化効用=教化効用係数×(学習側の自由効用係数ー教育側の自由効用係数)×(教育側の人数/学習側の人数)」

追記①:教化消費時間には負の値は存在してはいけない。追記前は、教育側と学習側の効用関係を、教化効用ではなく教化消費時間として定義していた。しかし、戦闘と同様に教化も自身が効用を減らすような時でも行うことが可能である。教化消費時間は負の値を取り得ないので、ここは効用である必要があった。

ここで、教化効用と学習側の効用方程式に同じ消費時間を代入した場合、学習側に発生する効用が学習側の最適自由行動によって発生する効用を下回る場合、原理的に学習は発生しない。やはり、これ以上学習を行うよりも妥協した方が効用を得られるからだ。これを「学習限界点」と呼ぶ。学習限界点に達成した場合、教化によってこれ以上効用を改善することはできない。

ここに、戦闘と教化の大きな差がある。戦闘は攻撃側、つまり仕掛ける側の都合で効果の限界点が発生するが、教化は学習側、つまり受ける側の都合で効果の限界点が発生することとなるのだ。この差は、大組織対大組織の場合などでは大きく影響してくることになる。

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