[Bookmark] 英メトロポリスのエンジニアが語ったマスタリングのトレンド。スマホやインスタ対応が必須に - PHILE WEB

イギリスのメトロポリス・スタジオはレコーディングやマスタリングなどの複合施設を持つヨーロッパ最大の独立系スタジオだ。創設以来約25年、クイーン、マイケル・ジャクソン、ローリング・ストーンズ、U2をはじめとする数多くのアーティストがここで音楽制作を行い、UKトップ40チャートの半数を占める曲には何らかの形で「メトロポリス」が関わっているとも言われている。

今回、エミー・ワインハウスやエド・シーランを手がけるスチュアート・ホークス、セックス・ピストルズを手がけたティム・ヤング、レッド・ツェッペリンの一連のリマスタリングを担当した一流エンジニアのジョン・ディヴィス氏が来日。特別インタビューで、いまの音楽業界やスタジオが抱える現状について、舌鋒鋭く問題点を炙り出してくれた。


■ロンドンにおけるマスタリングのトレンドは?
ーー来日は今回で何度目ですか?

ジョン・デイヴィス 今回が初めて。日本滞在をすごく楽しんでいるよ。昨日はマグロを丸ごと一匹食べた(笑)。食べ物も美味しい。日本に移り住みたいほど好きだね。

来日したジョン・デイヴィス氏。都内のホテルでインタビューを受けてくださった

ーー 今日はカッティング・スタジオやミキシング・ルームを訪問してエンジニアと対談したそうですが、日本の音楽業界の印象はいかがですか?

ジョン・デイヴィス カルチャーがずいぶん違うなと感じた。ロンドンではマスタリングを頼んだ場合、サウンドを大きく変えることを期待する。色々いじって音を変えたり、押し出しを強くしたり。日本の場合は、エンジニアが音を大きく変えると悪く取られてしまうこともある。でも、もし俺に日本からオファーがあったら、安全路線のフラットなマスタリングではなく、色々いじる挑戦的なイギリス・スタイルでやるよ。結果は期待してもらっていい。

ーー英国ではマスタリングやカッティングに対する考え方や要望が日本とかなり違うのですね。

ジョン・デイヴィス ロンドンではアーティスト自身がミックスする場合も多い。ミキシング・エンジニアに頼んでいないので、その分マスタリング・エンジニアに負荷がかかってくる。ところで今日ソニーとユニバーサルを訪問したんだけど、働く環境もロンドンと違う。大きなフロアで皆が働いているんだけど、不思議に感じたのは音が鳴っていないんだ。すごく静か。誰も音楽をかけていない。こんなところもカルチャーが違うんだなって感じた。

イギリスの老舗スタジオ、メトロポリス・スタジオ

ーーミキシング、マスタリング、ラッカーカッティング、リミキシングとさまざまなステップがありますが、それについてどう思っていますか。

ジョン・デイヴィス スタジオに要求されるいろんな工程があるけれど、今一番重要なのはインスタグラム向けのマスタリングだ。つまりスマホ向けのマスタリング。かつてはCDとヴァイナル(アナログ・レコード)の二つだけだったけど、今はそれに加えSpotify、Apple Music、TIDAL、そしてInstagramがある。

ーーインスタグラム用のマスタリングが流行りなんですか?

ジョン・デイヴィス インスタグラム用のマスタリングは流行りというよりトレンドだ。ほとんどの人がスマホを使ってイヤホンかヘッドホンで音楽を聴いている。デッカイ音にして低域を外すのがトレンド。エド・シーランなんか心を痛めているよ。音楽がボーカルとクラップ(手拍子)とベースラインだけになってしまうって。ベース、ドラム、キーボード、ギターのリズム隊を無視しているから、すべてがボーカルだけのアカペラだ。

ーーマスタリングが難しくなるんですか?

ジョン・デイヴィス  今まで通りのCD・アナログ用とHD(ハイレゾ)用の他に、インスタグラム用のマスターが必要になるから、マスターを2度作ることになる。俺には男の子が5人いるけど、もしボーカルの音量が低いと変に感じるみたい。

ーー子供向けを意識したマスタリングもあるのですね。

ジョン・デイヴィス ターゲットが18歳以下と18歳以上の場合とで、マスタリングのEQ(イコライズ)を変えている。18歳以下はダイナミックス(音の強弱)を忘れて音量を大きく、ブライトネス(高域)を上げる。18歳以上はダイナミックスとブライトネスは普通に。ま、50歳以上はどちらも必要ないかもしれないがね(笑)。

ーーサウンドをカッコよく仕上げればいいってものではないのですね。

ジョン・デイヴィス ゴルフのクラブを選択する時のように手段や方法に合わせなきゃ。サウンドをプロデューサーに合わせてエクセレントに仕上げても、子供達や若年層をスキップしているかもしれない。幸いなことに俺は子供達に囲まれているから、そんな危険性に気づきやすいだけ恵まれているかもしれないな。

ーーインスタグラム対応は容易なのですか?

ジョン・デイヴィス あるアーティストにインスタグラム向けにリマスターしてもらえますかと頼まれた時、やりますとは答えたものの、固まってしまった。帰ってから子供にどうマスタリングすればいいかって聞いてみた。答えは「父さん、イヤホンで聴いた時でかく聴こえりゃいいのさ」だってね。良い例が米国のHip Hopスター、ドレイクやケンドリック・ラマー。スーパーラウドでNOインスツルメント。ボーカルとキックだけ。サウンドはスマホにはグレイトにきまっている。ドレイクと同じ音量にするため、エド・シーランは色んなトラックを外して同じ音量になるように努力している。ちなみに近頃のレーベルのA&Rは、スマホを使ってサウンドチェックをしているって話だ。

いまのマスタリングのトレンドについて熱く語るジョン・デイヴィス氏

ーー最近他にトレンドで目立つものはありますか。

ジョン・デイヴィス もう一つのトレンドは1曲の長さが2分になってきていること。コーラスで始まるとヴァース、コーラス、コーラスで終わる。2分の楽曲が25曲でアルバムになる。2分が何回もリピートされればカウントも上がって楽曲収入も多くなるし、全25曲だと登録や画面表示も有利だしね。Spotify、Apple Musicなんかのストリーミングの影響が大きい。

■ジミー・ペイジからの指名でレッド・ツェッペリンのマスタリングを担当
ーー話題を変えましょう。貴方はジミー・ペイジとレッド・ツェッペリンの全アルバム9作品(CODA含む)とそれぞれの作品の未発表テイク、アウトテイクス、リミックス、インストゥルメントのリマスタリングをやりましたが、どれくらいの時間がかかったのですか。

ジョン・デイヴィス レッド・ツェッペリンの全カタログのデジタル・マスタリングは、アーカイブづくりも含めて全部で5年かかった。

ジョン・デイヴィスはレッド・ツェッペリン全音源のリマスタリングを手がけている

ーー作業はどう進めたのですか?

ジョン・デイヴィス 通常2日間ほどオリジナルテープを聴いて、Pro Toolsにその1/4インチ・アナログマスターを192kHzで取り込んでいく。別の日にオリジナルの1stプレスのアナログ・レコードを聴くという手順で作業を進めていった。アウトテイクスなどのチェックには膨大な時間が必要だった。

ーーどんな経緯でツェッペリンのリマスタリングを担当するようになったのですか?

ジョン・デイヴィス ある時ジミー・ペイジのマネージャーから電話があった。俺がマスタリングを担当したスコットランドのロック・バンド、スノウ・パトロールのヒット「Chasing Cars」を聴いてペイジが大変気に入り、その曲を収録したアルバムのマスタリングを誰がやったかを調べさせて連絡してきたんだ。彼はちょうど、レッド・ツェッペリン全カタログの新世代向けリマスタリングを考えていた。「オリジナルファンは1990年代のジョージ・マリーノ(George Marino/STERLING SOUND, 1947-2012)のリマスターを買って聴いている。オリジナルファンは新しいものが出ても両方買う」「どうすれば18歳以下の若いファンの反応を引き出して買わせることができるかを考えていたんだ」とジミーに言われたそうだ。

ーー1990年代のジョージ・マリーノのマスタリングをどう思いましたか?

ジョン・デイヴィス デジタル技術の黎明期だったこともあり、データの扱いが手荒だなという印象を受けた。特に当時の新技術だったNO-Noiseを採用したことだ。ツェッペリンのマスタリングを扱う投稿サイトを色々見てみたが、著名なSteve HoffmanのサイトではNO-Noiseの使用は厳しく批判されていた。『NO-Noiseは音をダル(退屈)にする。果ては高域のトップエンドをリストアする羽目になり生き生きした部分を全部殺してしまった』。マリーノのマスタリングした1stプレスを聴いたファンが寄せた投稿だった。

ーー新しいリマスタリングではどんな手法を使ってオリジナルの音を復活させたのでしょう?

ジョン・デイヴィス ひとつだけすごいトリックを使っている。ある日俺がテープをかけていると、ジミーがやってきて「この音はすごい。こんな音聴いたことがない」と言うんだ。実はテープヒスを減らすために使われている業務用のドルビーAのデコーダーを入れずに再生していたんだ。ドルビーAは再生時には音がこもりやすいという欠点がある。だからドルビーAを入れずにテープを再生して、マスターに収録することにした。

ーードルビーAのデコードをせずにテープを再生すると高域のすごいヒスが残りますが、どう処理したんですか?

ジョン・デイヴィス メトロポリスのマスタリング機器にインストールされているDAWソフトSADiEにプラグインで組み込まれているシーダ(CEDAR)を使って、ノイズリダクションの代わりをさせたんだ。少なくとも高域の輝きが薄れて音がダルになることからは逃れられた。

ーーどんなところに自分のマスタリングの特徴が出ていると思いますか?

ジョン・デイヴィス 昔、12インチシングルを毎日山のようにカットした経験があって、ハウスやレゲエのダブのボトム・エンドが大好きになった。ジョン・ボーナムは驚異的なパワーのドラム奏者だった。彼のキックを含めてドラムのボトムエンドの音をクローズアップした。アナログのレコードでは技術的制約でボーナムのボトムエンドはカットされていたが、それを本来の姿に戻すことができたと思う。しかしファンのフォーラム(前述)では『ジョン・デイヴィスはなぜドラムやベースの低域ばかりをブーストするのか』って書かれたよ。

ーーツェッペリンのマスタリングではどんなところにポイントを置いたのですか?

ジョン・デイヴィス ジミー・ペイジは大きな空間のある部屋で録るのを好んだ。だから録音されたマルチトラックの半分のトラックにはボーナムのドラムスの音が回り込んでいる。俺はジョン・ポール・ジョーンズのベースをそのままの音量で残し、それにボンゾのキックを少し足したんだ。ジミー・ペイジは音が良くなったのは俺のギターの音をアップしたからかなと納得していたけど、本当は違う。

ーーメトロポリスはDA/ADにプリズム・サウンドを使っていますが、192kHzで収録したアーカイブと異なり、96kHzでマスターを作ったのは何故ですか。

ジョン・デイヴィス アーカイブはジミー・ペイジに何かあっても困らないように192kHzで細心の注意を払って作り上げた。これはビートルズのジャイルズ・マーティンのケースでも全く同じ。しかし、ツェッペリンのリマスタリング・プロジェクトのマスター・テープは96kHzにしている。DA/ADに使ったプリズム・サウンドの真価は96kHzで発揮されるからだ。聴き比べても96kHzの方がずっと良い音がする。

ーーレッド・ツェッペリンのリマスタリング・プロジェクトの場合、96kHzがベストのソリューションというわけですね。

ジョン・デイヴィス 時々オーディエンスは数字が大きいほど良い音だと誤解しているようだが、ツェッペリンのアルバムが集中的に録音された60年代末から70年代前半の録音機材に192kHzは明らかにオーバースペック。ファイルは倍以上に大きくなるし、DAWの負荷も半端ない。192kHzは不要だ。

ーーところで貴方はデヴィッド・ボウイのファンだそうですが、ツェッペリンのプロジェクトをやるときに何か引っかかりを感じることはありませんでしたか?

ジョン・デイヴィス ある時俺は、ジミー・ペイジに「ツェッペリンが好きじゃなかった」と言ったことがある。ペイジは何も驚かなかった。俺がきちんと仕事しているのを知っているし、ファン気質のスタッフにベタベタされても困ると思っていたのだろう。世代的に俺たちはピストルズやクラッシュに代表されるパンク世代。「天国への階段」も良く耳にしたけど「あれはちょっとネ」とそっぽを向くジェネレーションだった。俺はデヴィッド・ボウイのファンだったけど、ボウイの作品のリマスターをやりたいなんてこれぽっちも思ったことはない。この仕事をやる限り、ファンじゃないことがベストだと思う。

ジョン・デイヴィスとジミー・ペイジ(右)

ーーリマスタリング・プロジェクトの期間中、貴方とペイジの関係に何か変化はありましたか?

ジョン・デイヴィス 作業の続く期間を通じて、ペイジは俺を教育するのが楽しかったようだ。教育といっても特別のことでなく、すべてのセッションの楽器やそのセッテイング、アンプの設定を克明に記憶しているので、そのデータを共有するといったことさ。彼はこれまでの全ステージの衣装を保存していることも明かしてくれた。

ーー貴方はリマスタリングの成果をどう考えますか。

ジョン・デイヴィス リマスターして少し分厚くなったツェッペリンのサウンドに、若い世代が反応してくれたから成功だったと思う。実はCDはアナログ盤と比べると音量がちょっぴり大きくなるよう作ってある。CDはアナログ盤と違って低域などの帯域制限を受ける必要がないからだ。

ーーメトロポリス・マスタリングでの毎日の標準的な業務の進行手順を紹介してもらえますか。

ジョン・デイヴィス お客が入ってくる。誰か知らないやつだ。たいていはバンドだ。ミキシング・エンジニアのこともある。まずお茶。それからチャット(おしゃべり)。そしてお客に色々聞く。「何をしてるの?」「今日は何をしたいの?」「インスタグラム用?それともアナログ盤?」などと質問する。

ニュー・バンドだったら「音をデカくして」とか。ファン・ベースだったら「クレイジーに」というのもアリ。「Spotifyにアップされたい」なんて願望も。とにかくチャットがメイン。音を聴いてもジャッジはしない。まずはEQをせずフラットなまま聴く。どこを濃くしたいか聞く。あまりコンプしないこと、リミッターをかけすぎないこと、ダイナミックレンジを広めに取ることを薦めるな。コンプやリミッターを強めにかけることもあるが、歪ませずに。メトロポリス・マスタリングではAVALON DESIGNのパラメトリックEQとコンプレッサーを一緒にした機材を使っている。

ーー最後に、あなたがこれまで携わってきた作品でぜひこれは聴いて欲しいと思うものがあったら挙げてください。

ジョン・デイヴィス いくつかあるから、1つだけじゃなくていいかな。まずは昔にやったBadly John Boy。元は自宅録音でマスターはカセット。DATだったかもしれない。1996年か1997年の作品だ。今では手に入りにくいと思う。

次はラナ・デル・レイの「Bone To Die」。個人的にも好きな作品だ。マスタリングの部屋にAntelopeのAtomic ClockとAVALON DESIGNのAD2077 EQが入った時で、それを使ってマスタリングをした。セクシーでエロティックな作品だ。

もう一つはFKAトゥイグスの「LP1」。現代のアーティストのなかでも存在感を放つFKA トゥイグスが、世界で名を馳せるきっかけとなったすべてのものの、たたき台といえる作品だよ。

ーー現在の音楽産業の置かれている状況が非常によくわかるインタビューでした。ありがとうございました。

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