2015年2月に行った展覧会

神奈川県歴史博物館『陸にあがった海軍−連合艦隊司令部日吉地下壕からみた太平洋戦争−』

 神奈川県域には太平洋戦争期に多くの軍事施設が建設されました。その中でも、現在まで当時の雰囲気を強く残したままでいる数少ない遺構の一つが、海軍部隊の中枢として作られた「連合艦隊司令部日吉地下壕」です。
 旧日本海軍の連合艦隊では創設以来、海上の主力艦隊の先頭に司令部が設置され、指揮が執られてきました。しかし、太平洋戦争の長期化、戦局の悪化や戦域の拡大に従い、司令部は陸にあがることを余儀なくされます。その場所として選ばれたのが、横浜市の日吉一帯の地域です。
 当時、日吉には既に慶應義塾大学があり、海軍は、その校舎などを利用しました。また、地下には司令部が入るための大規模な地下壕が掘削されました。戦時中には、ここからレイテ沖海戦、戦艦大和の沖縄出撃や神風特別攻撃隊などの太平洋戦争末期を象徴するような指令が出されています。また、日吉一帯には、他にも海軍の諸機関が掘削した地下壕が現存していますが、これまで、内部の状況や詳細な記録については、不明瞭な部分が多く残されていました。本展では、この地下壕に関しての最新の調査成果をご紹介するとともに、これらと関係のある戦艦大和や神風特攻隊などのゆかりの品々も展示します。

横浜美術美術館『ホイッスラー展』

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834−1903)は、アメリカ・マサチューセッツ州に生まれ、幼少期をロシアで過ごした後、1855年、21歳の時に画家になることを志しパリに渡りました。パリでは、シャルル・グレールのアトリエに通う一方で、ギュスターヴ・クールベと出会い、レアリスム(写実主義)に感銘を受けます。そのため、ホイッスラーの初期の油彩画やエッチングなどの主題の選択や表現には、クールベの影響が色濃く表れています。
19世紀欧米の画壇において、最も影響力のあった画家の一人であるホイッスラーは、ロンドンとパリを主な拠点として活躍し、クロード・モネなど印象派の画家たちとも親交がありました。また、構図や画面空間、色彩の調和などに関して、日本美術からインスピレーションを得て独自のスタイルを確立したジャポニスムの画家として世界的に知られています。 ヴィクトリア朝の英国では、道徳主義を反映した、教訓的意味が含まれる絵画が隆盛を極めていましたが、ホイッスラーは、絵画は教訓を伝えるために存在するのではないと考え、「芸術のための芸術」を唱えた唯美主義を主導しました。
“音楽は音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。
そして、主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわりもないのである”
ホイッスラーはこう語り、1865年以降“ シンフォニー”、“ ハーモニー”、“ ノクターン” といった音楽用語を用いて、絵画の主題性や物語性を否定しました。同時代の潮流である、レアリスム(写実主義)、ラファエル前派、古典主義、象徴主義、ジャポニスムなど、さまざまな要素を取り入れて、唯美主義者として独自のスタイルを確立し、同時代、そして次世代の芸術家たちに広く影響を与えました。
本展は、新たな芸術誕生の牽引者となった、ジャポニスムの巨匠・ホイッスラーの全貌を紹介する、日本では四半世紀ぶりとなる大規模な回顧展です。

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