2013年に読んだ本

1月
近藤紘一『したたかな敗者たち』
中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』
梅田卓夫『文章表現400字からのレッスン』
ポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実

2月
角山栄『茶の世界史—緑茶の文化と紅茶の社会』
内藤忍『内藤忍の資産設計塾—あなたの人生目標をかなえる新・資産三分法』
安岡章太郎『死との対面—瞬間を生きる』
ケビン・メア『決断できない日本』
古賀史健『20歳の自分に受けさせたい文章講義』
finalvent『考える生き方』

3月
須賀敦子『ヴェネツィアの宿』
高島俊男『中国の大盗賊』
遠藤周作『沈黙』
岸本葉子『微熱の島 台湾』
北杜夫『どくとるマンボウ航海記』
大西巨人、のぞゑのぶひさ、岩田 和博 『神聖喜劇』
寺田寅彦『天災と国防』
コリン・ジョイス『「ニッポン社会入門」 英国人記者の抱腹レポート』

4月
牧野浩隆 『再考 沖縄経済』
ピーター・バーンスタイン『リスク—神々への反逆』
リービ英雄『星条旗の聞こえない部屋』

5月
黒木亮『貸し込み』
コリン・ジョイス『「イギリス社会」入門—日本人に伝えたい本当の英国』
吉村昭『高熱隧道』
村上龍『イン ザ・ミソスープ』
ジム・ロジャーズ『冒険投資家 ジム・ロジャーズ 世界大発見』

6月
サムエル・テリエン『新版 聖書の歴史』
MEMO:
二つの王国
 預言者エリヤ
  しかしアハブの治世の初期、ティシュベ出身の預言者エリヤは、大胆にもバアル礼拝に反対した。彼は人々をカルメル山に呼び集め、ヤーウェかバアルかを選ばせた。そして人々を説得し、かつてシセラの戦車が動けなくなったキション川のほとりで、バアルの預言者たちを殺させた。しかし王妃は異教を捨てなかった。
  モーセのことを思い出したエリヤは、はるか南のシナイ山(ホレブ山)に旅をした。そこで彼が学んだ教えは、ユダヤ教とキリスト教の両方にとって歴史的に重要な意味を持っている。彼は、神がもはや地震や稲妻、つむじ風のような目に見えるしるしによって語るのではなく、預言者の語る人間的な言葉によって自分自身を知らせるということを学んだのである。
  (後略)

→「預言者の語る人間的な言葉によって自分自身を知らせる」、これがロゴスということか?


A.D.1世紀末の教会
 二つの契約──旧約聖書と新約聖書
  新約聖書はおそらくA.D.50年から150年の間に書かれたと推定される。A.D.1世紀のクリスチャンたちは、自分たちの集会で読む書き物を少しずつ集め始めた。まず最初にパウロの手紙を集め、次いでイエスの生涯や言葉、またエルサレムの初代教会について、記憶している限りのことをすべて書き留めた。これが福音書と使徒言行録である。さらにほかのいくつかの書も一緒にセプテュアギンタ(七十人訳)、つまりヘブライ語からギリシア語に訳された旧約聖書に加えられた。
  旧約聖書は新約聖書よりずいぶん古い。モーセ五書(ペンタテューク)と呼ばれる最初の五つの書は、おそらくB.C.1000年から397年までの間に書かれたと思われる。ユダヤ教では、この五書を「律法」と呼んでいる。
  旧約聖書の二番目の大きな区分である「預言」は、B.C.220年までには文書となっていたと思われる。この部分には、預言文書とともに、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記が含まれている。イエスの時代には、ユダヤ人の聖なる書は律法と預言書だけであった。
  しかし、A.D.1世紀の終わりに、ユダヤ学者たちは詩篇、箴言、ヨブ記、雅歌、ルツ記、エズラ記、ネヘミヤ記、歴代誌を聖なる文書に加えた。そしてこれらの書もキリスト者の聖書に入れられたのである。


エドワード・チャンセラー『バブルの歴史—チューリップ恐慌からインターネット投機へ』
コリン・ジョイス『「アメリカ社会」入門—英国人ニューヨークに住む』
ネルケ 無方『迷える者の禅修行—ドイツ人住職が見た日本仏教』
中島義道『哲学の教科書』
塚崎公義『よくわかる日本経済入門』

7月
上野泰也『日本経済 「常識」の非常識』
小倉昌男『経営学』
渡部昇一『知的生活の方法』
J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
西内啓『統計学が最強の学問である』

8月
村上隆『金・銀・銅の日本史』
イアン・ブルマ『イアン・ブルマの日本探訪―村上春樹からヒロシマまで』
MEMO:
太平洋を挟んで応酬されるこの種のレトリックは、煽動的であるだけでなく、政治・経済の実際の議論を混乱させている。西欧は没落したという中途半端なシュペングラー主義も、また日本文化についての一人よがりの思い込みも、通商政策や集団的自衛権について、何が正しく何が間違いかをきちんと議論する上で邪魔になっている。双方の応酬はあの(ナチスドイツが好きだった)「文化闘争(クルツール・カンプ)」のたわごとに何と似ているこおtか。CIAのリポートは、日本のナショナリストが自国のユニークさを自慢して使う決まり文句のいくつかを実際くり返し書いている。文化、経済、政治の面で「日本は特別だ」という見方は、結果において日本を孤立させる。そして、それこそがまさに七〇年前、日本が不名誉な道を歩み始めた出発点だった。(一九九一年) - 「パールハーバーの伝説」 P128

八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』

中島隆信『お寺の経済学』
MEMO:
仏教の基本思想
 難行苦行の結果として釈迦が到達したのは「中道」という考え方。これは物事へのこだわりを捨て、適度な距離をおいて生活することを意味する。
 満足=充足/欲求
 中道の精神を貫くことによって苦しみ(生老病死)の現世(此岸)から脱し、悟りの世界(彼岸)に渡ることができる。

釈迦亡き後の仏教集団
 釈迦がクシナーラの地で入滅後、弟子たちにより釈迦の教えの確認作業(結集 けつじゅう)が開始された。

大乗仏教の起こり
 結集作業の結果として教えの内容が高度に学問的になり、僧院の出家者集団にしかわからなくなっていく。仏教は出家者が彼岸へ渡るための宗教となった。
 大乗仏教は出家者以外の信者(在家信者)の中からこうした流れに反発して生まれた教え。

大乗仏教による「救済」の方法
 布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定・智慧

まずは国家の救済
 日本の仏教は大和朝廷が国を統治するために外国から導入した宗教(国家がスポンサー)。
 古代国家による宗教の利用目的は「鎮護」。
 最終的に聖徳太子が仏教を根付かせ(十七条憲法の第二条)、国家仏教として発展。最澄(767-822)と空海(774-835)は日本仏教界のスーパースター。
 平安時代までの日本の仏教は皇族や貴族といった国の支配層に支えられ、僧侶は公務員(官僧)として安定した地位を確保。

大衆の救済方法の開発
 国家の庇護のもとに安住、緊張感が薄れ、僧は堕落。
 平安時代末期から鎌倉時代にかけて国家権力階層ではなく、一般大衆や新たに勃興してきた武士階級を救済の対象とする新しい仏教の教えが登場してきた。
 その代表例が浄土教(浄土宗・浄土真宗)と禅の教え(臨済宗・曹洞宗)である。両者の特徴は救済方法の「わかりやすさ」。
 禅の教え
  栄西(1141-1215)開祖の臨済宗は、北条政権に取り入ることに成功し、鎌倉・京都を中心に多くの寺院を建立。これは後の足利政権時代に千利休の茶道や雪舟の水墨画といった禅の思想を背景とする渋みのある文化が花開く礎となった。
  道元(1200-1253)開祖の曹洞宗は農村を布教活動の中心とした。日常生活を修行と見なす禅の考え方は、決まった仕事を毎年規則正しく繰りかえし行う農民にとって実にわかりやすい教えであった。このことは東北地方一円に曹洞宗の寺院が多い理由の一つとされている。

日蓮の不運
 日蓮宗の教え自体はわかりやすいものであったが、日蓮(1222-1282)が本格的な布教活動を開始した一二五〇年代は、すでに浄土宗の教えが民衆の間に広まりを見せ始め、臨済宗は鎌倉に建長寺、円覚寺をはじめとする主だった寺院を建立して当時の支配勢力である北条政権から強力なサポートを得ていた。
 後発の参入者である日蓮宗は既存業者(浄土宗・禅宗)から顧客(信者)を奪い取らなければならない。通常の財・サービスであれば、新規業者であっても優れた商品を開発して市場に出せば、消費者は次回から買ってくれるかもしれないが、信仰は商品のように簡単に取り替えられない。
 信仰という市場の場合、新規参入者が顧客拡大を図るためには他宗に対して批判的にならざるをえない。
 そのため日蓮は必要以上に攻撃的にならざるをえず、世の中を騒がせたとして鎌倉幕府により流罪に処せられた。


村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
 考えてみればあと二十四時間しか人生が残されていないというのは何かしら妙なものだった。やるべきことは山ほどあるはずなのだが、実際にはひとつも思いつけないのだ。(中略)
 結局私に思いつけるのは女の子と二人で美味い食事をして酒を飲むことだけだった。その他にはやりたいことといっても何もなかった。 - (下) P204

桑田真澄『心の野球―超効率的努力のススメ』
松井秀喜『不動心』

9月
佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』
MEMO:
沖縄の戦後史は、基地建設を成長のバネとした土建屋(國場組、大城組)と、空手を武器とした宮城や冝保ら強面のアウトローたちが結集して立ち上げた露天の映画小屋からはじまった。 - P133

本川裕『統計データはおもしろい! -相関図でわかる経済・文化・世相・社会情勢のウラ側-』
山室信一『キメラ―満洲国の肖像』
土屋剛俊・森田長太郎『日本のソブリンリスク―国債デフォルトリスクと投資戦略』
MEMO:
 このように見ると、政治的な意味合いとしての日本のソブリン問題の本質はどこにあるかが明らかになってくる。すなわち、「政府規模の縮小」を目指すことで「国民負担」を引き上げずにとどめようという政治的な主張が果てしなく続くことこそが、日本ソブリンにおける最大のリスクなのである。そもそも、削減すべき政府の規模はもう十分に小さい。場合によっては、現在の「世界最小規模」ではなくて、「中規模の受益」が日本経済の厚生のためには望ましいという考え方もあり得るだろう。その点に対する国民的な合意を形成する努力を怠り、そもそも不可能な「政府規模の削減」に無駄な時間を費やすうちに、政府債務残高は限りなく増加を続けてゆくことになる。要は、現在、政治が考えて決定しなくてはならない点は、国民間の最適配分の構造である。 - 3 日本固有のソブリンリスク 3.6 日本は「低受益、超低負担」の国 P126

 日本が現在直面している問題の多くは、必ずしも日本人が過去に「愚かな過ち」を繰り返した結果生じているわけではない。日銀が金融政策を間違えたからでも、財務省が通貨政策を間違えたからでもない。端的に言えば、「新興国のキャッチアアップ」、「人口動態の成熟化」といった巨大な課題に、先進国の中で最も早く、そして最も激しく衝突したのが日本だったということなのである。
 問題解決の処方箋についての議論は、民間の世界においては既にかなりの程度揃ってきているように思える。すなわち、「高齢化に対応した内需振興政策」、「社会保障の持続可能な形での再設計」、「一定程度の増税」という3つのベスト・ミックスを追及してゆくこと以外にないのである。政治家が考えるべきことはこの点に尽きるわけであり、「日銀叩き」、「官僚叩き」、「公共事業叩き」といった不毛な議論からいち早く脱して、日本の進むべき方向を正しく示して欲しいものである。それは、これから日本と同じ課題に直面してくる他の先進国にとっても、重要な指針となるはずである。 - P218

高齢化に対応した需要創出と若年層雇用の拡大→蓄積された高齢者の金融資産が消費という形態で若年層に円滑に受け渡されてゆくこと

10月
ジョナサン・コット『さまよう魂—ラフカディオ・ハーンの遍歴』
岡田英弘『歴史とはなにか』
桑田真澄・平田竹男『野球を学問する』
直塚玲子『欧米人が沈黙するとき—異文化間のコミュニケーション』
藤森照信『タンポポ・ハウスのできるまで』
青木栄一『鉄道忌避伝説の謎—汽車が来た町、来なかった町』

11月
沢木耕太郎『深夜特急〈1〉香港・マカオ』
長谷川修一『聖書考古学 - 遺跡が語る史実』
山崎元『全面改訂 超簡単 お金の運用術』
レイモンド・P・シェインドリン『ユダヤ人の歴史』
広河隆一『パレスチナ新版』
岩明均『寄生獣』
外山滋比古『思考の整理学』

12月
福本伸行『賭博破戒録カイジ』
浜渦哲雄『イギリス東インド会社 - 軍隊・官僚・総督』
国広正『修羅場の経営責任—今、明かされる「山一・長銀破綻」の真実』
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー『ヤバい経済学 [増補改訂版] 』
中村淳彦『職業としてのAV女優』
戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎 『失敗の本質—日本軍の組織論的研究』

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