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2023/07/21

追悼 水口幸広

アカザーからの電話を受けてひと月以上が経つ。先日は内々でのお別れ会をやったというのにまだ実感が持てないでいる。自分が手がけた雑誌とともに、ずっとずっと併走してくれた作家、水口幸広。いや、併走などという言葉は間違っている。彼が命を削って生み出してくれたレポート漫画に、僕はどれだけ助けられたのだろう。にもかかわらず、一度もありがとうとすら口にできなかった。そんな耐えがたい後悔と、伝えられなかった感謝を込めて、記しておきたい。

30年以上も前のことになる。季節がいつだったかも覚えていないが、東十条駅東口を出てすぐのところにあった喫茶店で、僕たちは顔を見合わせていた。どこでも大っぴらにタバコが吸えた時代、客はまばらで、僕たちのいる空間だけ、画伯の吐き出す煙で白んでいた。のちに「カオスだもんね」として、EYE・COM、週刊アスキーの人気連載となるレポート漫画の初めての打ち合わせ、いや、連載の依頼だった。

彼との付き合いは、僕がまだ採用系の広告会社に勤めていたころからだったと記憶している。入社案内の制作の際、似顔絵か何かのイラストを依頼したのがきっかけだ。濃すぎず薄すぎず、それでいてデフォルメされているのに特徴をよくとらえているイラスト。おそろしく器用な描き手だった。

僕がアスキーに移りEYE・COM編集部で働くようになってからも、特集記事のカットを描いてもらっりして付き合いは続いた。あろうことか、MS-DOSでコマンドを打ち込んだ画面をイラストにしてもらったりw が、それがEYE・COMという雑誌のテイストになっていくのに時間はかからなかった。

あるとき、スタッフのひとりYくんが、レポート漫画の連載をやりたいと言い始めた。そこに画伯を起用したい、と。そのころ、ビルの1階下はファミ通の編集部で、そのファミ通で鈴木みそ氏のレポート漫画が人気を集めていた。対抗心もあったかもしれない。なので、レポート漫画の企画はあっさりGOとなった。漫画家、水口幸広が誕生したのだ。

その2、3ヵ月後、編集部みんなの期待の中、最初のレポート原稿が上がってきた。今だから言う。びっくりするほど

つまらなかったw

読者アンケートの結果もふるわなかった。

そこから、画伯も担当編集も、きっと必死だったと思う。どうすれば面白くなるか、どうやれば人気が出るか。終電間際のオフィスの喫煙室から、画伯と担当の熱いやりとりが週に一度は聞こえていた。青春かよ。

「カオスだもんね」は、その後、担当編集が変わるごとに新しいテイストを加え、徐々に人気の連載となっていった。その快進撃は、みなさんの知ってのとおり。EYE・COMから週刊アスキーへ舞台が変わっても人気は不変で、「カオス」は週アスの代名詞のような存在となった。ちなみに週アスを始めての最初の3年間、部数も広告収入も低迷していた。そんなときでも、画伯の連載は安定した人気を獲得してくれていた、本当にありがたかった。

彼と一度だけ衝突したことがあった。当時の担当編集だったシャクライに別の連載の担当も兼任させようとしたときだった。画伯は血相を変えて、こちらの胸ぐらもつかまんばかりに怒った。毎回、担当編集と真剣勝負で創り上げてるんだよ、そんな変更納得できない、と。こちらはこちらで、編集部内の問題に口はさむんじゃねえよ、と。本気でやり合った。が、やり合ってるうちに、お互いにのぼせた血があっさりと収まった。画伯も自分も喧嘩に向いてないのだ。このとき、どうやって落としどころにもっていったのか、まったく覚えてない。が、今となってはどうでもいいことだ。画伯、シャクライ、アカザーのその後の活躍を見れば、大きな間違いは犯さなかったのだろうと思う、たぶん。

先日のお別れ会のときに、彼の作品を改めて眺めた。見たことのない原画もたくさんあった。絵が上手い、と同時にどの絵にも動きがあった。そうか、アニメーションをやりかったのか。描かれたキャラが、すぐにでも動き出しそうな、そんな描き方だった。そんなことを、今になってわかるなんて。

なんであっさり死ぬんだよ。
一番、頼りにしてたよ。でも、正直に言えなくてごめんよ。

さよなら、水口くん
でも、オレはまだそっち行かないからね

2023/07/21


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