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スラム街ツアーに参加した話(フィリピン🇵🇭滞在記⑦)

 フィリピン、マニラ、トンド地区のかの有名なスラムに行って来ました。ツアーで。高かったです、とても。団体ツアーで1人5000円程度。私たちが、安全に、そして自分たちだけでは行けない場所に入るにはそれだけのお金がかかるということらしい。仕方ないけど、ボホールを一日中満喫したツアーよりひとまわり高い、、。ツアー料金には現地への寄付も含まれているらしいが、一体いくら当てられているのか、、。

 はじめに降り立ったのは、少し混沌とした住宅地。中に入ると子供たちが笑顔で手を振って来て、後ろからちょこちょこついて来た。噂通り。可愛い。ガイドさんが「ツアーに来た人みんなサリサリとかでお菓子買って配るのね。だからみんなついてくるよ」ということだったので、私たちも購入。一応暮らしを見させてもらうお礼のつもりで、ガイドさんも買ってたから大丈夫かなと思って買った。子供たちにお菓子をあげたら、途端にパーーっと走って帰って行った。素直に薄情で可愛い。

 次にゴミで作られた山を登って行った。入るときに何か予約のようなものが必要で、ガイドさんが名前を言うと、現地の人が先頭を歩いて連れて行ってくれた。歩きながら、そこに建てられている家の様子を見たり、寄ってくる子供にお菓子をあげたり。上の方では、フィリピンのボーイスカウトのような学生たちが、炊き出しのようなことをして、みんなでご飯とジュースを囲んでいた。

 歩き終わってびっくり。不思議な空間だった。お菓子を持っていても、せがんでくる子はあまりいなかった。マネー!とも一度も言われなかった。「くれるなら、、もらうけど、?アリガト」みたいな、少し照れのような、はたまた少しもらい慣れているような、そんな感じもした。そしてすごくのどかだった。天気の良い日曜日の昼間だったからか、穏やかな空気が漂っていた。これなら、LRTモニュメントの駅前の方が、何倍も殺気があって、今にもお金をむしり取ってくるような気配がある(されたことはないが)。ボーイスカウトさん達や他のボランティアの人達の支援も定期的にあるらしく、ある意味、人の目が届いているのではないかとまで感じてしまった。

 そした1つ余計な考えがよぎってしまった。先進国からやって来た人が、貧しいながらも笑顔で生活する人々に元気付けられ、子供たちの笑顔に癒され、人生の幸せを見つめ直す。もしかして、その機会を提供するビジネスにもなっている、、?私たちのエゴを満たすために、、?とまで思って、それは流石にか、と考え直す。問題はもっともっと根深いものだ。変わらないから、変えられないから、だからそのままここにある。彼らは決して私たちのエゴなんかのためにそこで生活してるわけじゃない。ただ、本当にこのような寄付が行き届いているなら、ビジネスにも意味はあるだろう。でも、じゃあ、あの、いつも見る路上で生活する人々は?

 数日後、フィリピン人の知人達に「トンドのスラム街に行きました」と伝え、想像より穏やかで、中には体型がふっくらしてる人もいて驚いたと伝えた。すると「なんで太ってるか分かる?働かないからだよ。彼らは家を得るチャンスがあっても、働くチャンスがあっても、別のことにお金を使う。そしてしまいにはその家を売って、また元の場所に戻る。They are very very lazyなのだ」と、口を揃えて言っていた。なるほど、そういう認識なのか。日本人が「スラム街」と聞いてイメージするものと少し違う感じがした。ガイドさんが私たちに見せなかった「この先お酒飲んでる人いる」や「あそこゲームしてるから行っちゃダメ」も同じ意味だろうね。ただ、子供たちは何一つとして悪くないのだが。

 というように、高額ツアーに参加したところ、結局分からないことがもくもくと出て来た。もっと本気のやつは、きっと誰の目にも届かないところにあるのだ。ただ、一つだけ確かだと言って良いものがあったと思う。

 それが、匂い。歩きながら、ずーっと鼻にまとわりつく匂いがしていた。なんなら、この記事を書いている今も、匂いが蘇っている。マニラ自体、匂いがキツイところはあるのだが、また別種のものだ。この日は長い時間、ディープなマニラを歩いて、帰りにいつも行くモールに寄ってみた。そのモールが、いつもよりとても良い匂いがした気がした。そしてそのときに「あ、多分私今臭い」ということに気づいた。でも、自分で自分を嗅いでも分からない。これがあの映画パラサイトと同じ意味の匂いだなきっと。

 ガイドさんが言っていた「ここにいる人一生ここのままね。教育とかもそうだけど、マナーとかエチケットも」という言葉。多分匂いもその中のひとつだ。染み付いて離れない、自分ではわからない、でも人が顔をしかめる、人が離れていく匂い。それを自分から放つことになる。それが、あそこに住むということなのだ。

 人の記憶は嗅覚からなくなる、というが、私はこの日のこの匂いを忘れてはいけないと思った。見たものがどれだけ本当なのか、何に対してどう思えばいいのか、あの短時間で掴むことはできなかったけど、あの匂いは確かにあの場所のリアルだった。

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