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会話が下手すぎてすぐ病む

帰りの電車に揺られながら、ぼんやり考える。
今日はそう珍しくもない、孤独感と無力感を拗らせた一日だった。
内側に浮かんだ感情や考えを書き留めてみる。

人とうまく話せないことに落ち込む


職場での出来事だ。
近くに人が座っているのに全然話しかけることができない。
話しかけたいな、この話せてもおかしくない距離感に横たわる沈黙の重々しさを取り払いたいなって思うけれど、何をどのタイミングで言えばいいかわからないまま、一日が終わった。

一応、勇気を出して話しかけもする。
でもなんかこう、会話が続かない。かえって申し訳ない気持ちになる。
他のフレンドリーな人がいると、場に笑顔が咲いて話が弾む。
いいなあ。私もそんなふうに、空気を和らげたいし、人と楽しく話したい。
なのに、そんな会話がそばで広がっていても、自然な話への加わり方もわからず、そっと口元だけで微笑んで参加している雰囲気を出すか「いま集中してるんで」オーラを出して聞こえていないフリすることしかできない。
これはきっと正解じゃないよな……

こうなると、人と交流できない孤独感、人と上手く会話ができない無力感に打ちのめされて気分が鬱々とする。
しかも、こんな日は全く珍しくなくほぼ毎日のように訪れて、自分のメンタルが崩れる。我ながら面倒くさい。

なぜ人とうまく話せないのか?


何がだめなんだろう。
自分の何が、楽しい自然な会話を妨げているんだろう。
自分なりに考えてみる。

私はたぶん、自分のことを気にしすぎで、怖がり過ぎだ。
話していて、「私どういう風に思われてるんだろう」っていうのが気になりすぎている。怖くて仕方ないのだ。
相手を楽しませられているか、も気になるけど、それ以上に私は、ありのままの自分を外に出すのが本当に怖い。

ありのままの自分で話せない理由は、2つある。
一つは、何も考えずに話すと無神経な発言をしてしまうことがあるから。
勢いを殺せずに口にした直後、「あっ今の言葉は配慮が足りない、取り消したい」と思うけど、だめ。そしてその日一日、ずっと後悔を引きずるのだ。
だから慎重に言葉を選び、正解を探しながら話すことで対処しようとしている。傍目にはきっと、会話の途中で不自然に黙ったり目が明後日に向いているように見えてるんだろうな(次の発言を考えながら、言葉を精査している)

もう一つは、ありのままの自分はおかしいものと思っているからだ。私のちょっとした失敗、価値観、適当さ、好きなこと、感動したこと。そのどれもが、他人に出すに値しない、恥ずかしいものに感じている。
生きていて恥ずかしい。存在が恥ずかしい。
そんな自分を知られたくない。
書いていても、オンリーワンのはずの自分にこんなふうにしか思えない自分に涙が出そうだけど、この話は長くなるからまた別で。
とにかく、私はこんな理由でありのまま話すことに強い恐れがあるのだ。

そんな自分の恐れが滲み出て、きっと相手に伝わっているだろうことも、わかっている。
なんかこう、人と話そうと話題を投げても、すぐに話を切り上げたくなる。
目線もなんとなく合わせにくくて、話を広げられない。
それでそそくさとした態度になってしまう。
私からすると、ボロを出すのが怖くて、自分の知られたくない部分を隠しながら話そうとする。だからたぶん、言葉が上っ面でちょっと嘘くさく聞こえるんじゃないかな、と予想している。

そうした話しぶりはきっと、相手には「この人、あんまり話したくなさそう」「本心で話していない、信頼できない」って思われてるように感じる。私の緊張感も、相手に伝播している気もする。だから、相手に親しみやすくほしいなら、まずこの自分の態度をどうにかしないといけないんじゃないかな。
私が勝手に思ってるだけだからこれも卑屈な妄想かもしれないのもわかってるけどさ~~~~この手のことは直接聞いて答え合わせできないから、ずっと疑心暗鬼から抜け出せないのよ。
ああ、「あなた、私に対してはよそよそしいですよね。私のこれこれこういう態度がそうさせてると思ってるんですが、合ってますか?あなたと仲良くなるために直したいので、率直に教えてください」って言いたい!言えたらいいのに!

ちなみに、職場では加えて「業務時間内にどこまで雑談で盛り上がっていいのかわからない」というのも、うまく話せない原因だと思っている。いっそ休憩時間とかであれば、もう「話していい時間」だから自由に話せるけど、賃金が発生している最中に、仕事そのものじゃない話をしていいのか……?とこれまた柔軟性に欠ける自分の性質が顔を出す。

あとは、一人だけ会話の輪に加わらずに空気に徹している時間も、協調性がなくて感じ悪いと思われている気がしてならない。近づくなオーラを出してしまっているんじゃないかな。それがまた余計に人を遠ざけているように感じる。
考えすぎ?でもこれが私の世界だからさ……

けど、そもそも人とうまく話せないってなんだ?それは問題なのか?


ただ、自然と話題が思いつかなかったり雑談にこれだけややこしく考えたりしてる時点で、私はやっぱり人にあんまり興味がないんじゃないか、それを受け入れたほうがいいんじゃないかとも思う。

誰とでもオープンに話せて、安心感を与える人。憧れの完璧な人物像だ。
自然とできて、その上周囲から愛される人は本当に羨ましい。
なんで私は素直に話すことすらできないのかな。本当に嫌だなあ……おっと、卑屈ストップ。

けれども私の素質からして、自然とそう振舞えるようになるのは、無理ではないかもしれないけど、まだまだ時間がかかりそうだ。
一旦はそういったキャラクターは向いてないって諦めて、それこそ「誰とも楽しく上手に話せる自分」への幻想を捨てたほうがいいのかもしれない。そうして「正直あんまり他人に興味ない自分」のまま、自然に話せるようになれたほうが、いいのかも。うん、そうできるなら無理している感じもなくしっくりくる。
そもそも、「人とうまく話したい」という強迫観念の裏には、人に必要とされたいとか、頼られたいとか、なんか別の願望が眠っているんだと思う。だから、なんか自分ができる違うやり方で、その願いを叶えられたらいいのにな。

どうしたらありのままの自分で話せそう?


素で話せるようになるにはたぶん、まず自分のことを恥ずかしいと思わなくなるのが大事だと思っている。
この自己卑下の気持ちは根深くて、会話だけでなく人生のさまざまな場面で、「どうせだめだ」「私なんか」と足を引っ張る。
もう物心ついた頃からの長い付き合いでもあるけれど。

4月から、私はクライアントとしてコーチングを受ける予定だ。
その中で、自分を否定するこの気持ちとの向き合い方を、模索したい。

「人とのうまい会話」へのスタンスとして、最終的に「やっぱり私は人に興味ないや、無理して話しかけるのやめよ」って開き直れるのも、「本当は向いてないかもだけど、それでもやりたいからあえて挑戦してこう」って覚悟を決めて話術を磨くのも、どっちでもいいと思う。

いずれにせよ、自分のことを恥ずかしいと思わない、ありのまま振舞えるっていうのは、いつまでも私の前に立ちふさがるドでかい壁だと思うから。
いい加減、そこを解消していきたいと思います。

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