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ネットSNSが風の話しを触れ回る

「風刺」、社会や人物の欠点や罪悪を遠回しに批判することや、その批判を嘲笑的に表現することを云う。

それは風聞とは一線を画しているが、同様に「風」が言葉を語るまた、そのような人間心理を直接ではなく間接的に他に伝えるという意味があって、とても日本的言い回しと思っている。

一番わかり易い例で「バンクシー」の描くステンシル画が、それに相当する。いま日本では、それに相当するものがなく、江戸時代の瓦版にしても、「お上」の顔色伺いがあって、風刺批判はご法度のようだった。

現代風刺もやり過ぎると命に関わる事件に発展して、それら宗教的批判は命取りになるので、ネット発言が許容された時代であっても、それは肝に命じておく必要がある。

noteで今年の総決算として、記憶に残る記事を募集「#2019年のベストnote」していたが、おそらくそれは他薦記事のことだと思うが、敢えて他薦ではなく、投稿記事所見として、それを書いてみた。

その記事を一部抜いてみた。

賛否がなくても「良質な会話」は生まれる。ロバート キャンベルさんとの”実験”で考えたこと。(見出し)

#表現のこれから 「竹下隆一郎/ハフポスト日本版編集長」

そのコメントに私はこんな意見を入れた。 

この記事を有料にしなかったことで良心を感じました。原爆テーマを挙げた経緯については知る由もありません。賛否云々の前に「戦争事実」ですからいいも悪いもない、結果です。いまでもアメリカは正しいと考えている。それを否定したらまた戦争です。私のnote記事に2.26事件を扱ったものがあります。いまだに真実は解明されていない。古来より戦記ものは戦勝凱旋であり国民鼓舞プロパガンダです。そこにある人間心理は、そのバイアスに嵌り正常心はなくなってしまう。それを阻止するには高度な心理学が必要です。それをだれも提唱しないのがおかしい。そう思います。

記事内容は「広島長崎原爆投下」映画についての意見聞き取りアンケートのようなテーマであるようだった。

そのテーマは、とてもおもくて重要であることに間違いないが、その記者「竹下」氏の狙いは、それが賛否論に分けられる、という意識にテーゼを持ったようだ。(捉え方の相違ではすれ違いがあるかもしれない)

それに多少の意見があったので、本人宛にコメントをしたという次第だ。戦争と、その結果の原爆投下という前代未聞の魑魅魍魎アクションは、おそらく人類史上でも例がなく、またそのスケールの大きさで安易に論じられないという課題である。

それとは別に私がいまテーマとしているのは「グレタ・トゥーンベリ」の活動についてであり、こちらは賛否両論として仕分けできる。その分岐点は温暖化を阻止する派と、それとは真っ向対立する派は温暖化データをまったく信用ならないという既得権者派に分離される。

おそらく争点は、このまま接点がないまま進むと思われるが、枝葉末節論、本題は何か、という点ではまったく及第しない。

そんな中で「グレタ・トゥーンベリ」の主張は、時代に媚びないという孤高なスタンスとして、私個人としてはカリスマ性を感じている。

いずれも、1行2行で語ることばできないテーマだが、やはり気になる存在として隔靴掻痒の思いがある。

これが今年の締めくくり、とはならないが、もう一つのテーマとして「#2020年代の未来予想図」という雲を掴むような課題を課せられた。

いや、これは難しい。社会のいま起きているニュースはそれとはまったく乖離する事件ばかりで、考えてしまうが一足飛びに「風聞」として聞流してしまうと、案外おもしろい記事が書けるかもしれない。

#2019年のベストnote




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