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消滅部落~

やつ墓村、の話しではありません。正真正銘の消えた部落・・・、いや同じ意味か。

過疎化によって住民ゼロ、けっかとして「廃村」となった、今の日本を象徴するような話しなので、取り上げました。

その詳細をテレビにした番組が今夜、ありますので、好かったら見てください。白神山地の麓「消滅集落」を体験

ETV特集 選「消滅集落の家族」[字]

2022年10月29日(土) 23:00~00:00 放送時間 60分

秋田県・白神山地の麓(ふもと)に住民が一人もいなくなった“消滅集落”があった。そこに、ある男が自給自足を目指して移り住む。やがて妻と出会い、子どもたちに恵まれ…

それについて記事を検索したものを紹介します。同類の「里山古民家移住」など、昨今のはやりですが、それにしても、お隣さんゼロ、というのは、初めて知りました。

いつも思うことですが、そうした人里離れた生活を、羨望して移民する人は、絶対数として少ないとおもうのですが、若いうちは、それでもいいですが、やはり20.30年経過すると、辛くなることもあると思うのです。

そのことについて、後で書いてみたいと思います。

いやそれは他人が、ここでとやかく云うことでもないし、またそんな立場も資格もありません。

本人は、諸事情とあらゆる選択肢の中の、それを選んだのであって、誰がうれしいかといったら、本人が一番の夢心地のはずです。

間違いかもしれませんが敢えて、自分のそれと対比してみたいとお思います。

数日前までしてた「選挙」というのは、そのまったく反対のポピュリズムを、とことん凝縮し詰めて、過疎でも過密でも、そこに住む住民の民意をくみ取って訴えるのが使命で、それが得られて選らばれるわけです。

廃村住民ゼロ(そこに一人の住民)の場合、その行政法律下の、及ぶ権限は、調べてみないと判りませんが、大変なコストがかかることは容易に想像されます。

そして憲法では 
◇「日本国憲法(昭和二十一年憲法)第25条第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
とあります。
そこには土地、場所の規定はない。

また世界的傾向の「少子高齢化」のトップを飾るこの日本は、諸外国の見本などと自虐してますが、いまは余裕で、そんなヘラヘラしてますが、喫緊5.10年後の最重要課題である認識と、国家的具体的救済法案が、出されても社会の注目度がないのでは振りかかる事態は自分であることの認識不足なんでしょう。

これも再三云っていることですが「伝承芸能」、住んでいる村落に昔から継承されてきた「獅子舞、神楽」など、ロボットアバターがやればいい、なんてことは不可能で、当然、そこに住む子供たちが継承してきたのが村の芸能文化であったのです。
その肝心の子供がいない、親もいない、残ったのは昔から住み慣れた爺婆たちで、その彼らに「獅子舞」を見せてほしいといったところで、所詮無理な話です。
人が住む、という絶対条件は食料が豊富、健康、生活インフラが安定している、そこに「音楽」が必須なのです。
世界中、どの国の歴史をみでも有史と音楽は表裏一体で欠かすことができない。

私は「雅楽」を演奏しますが、その楽器「ヒチリキ」の原型である「鶴の骨笛」が中国で発掘された。その年代測定結果が、9千年前、という数字に驚いたものですが、日本の縄文が1万年ですから、人が暮らした跡には必ず音楽(楽器)があったという証明でした。

そんなことを考えてみると、ちまたいう「平家落人村」的な寒村と、そこに住もうとする「新住民」ギャップは計り知れないものがあって、では、そのギャップ、というのを埋めたのか、また埋められるべきなのか、という重大な瑕疵は、そのまま残ったまま、というのが私の捉え方でした。

例えば、テレビでよく見る「里山移住」民のパターンは、地元民と仲良く交流し、とれたて朝野菜をいただいて家計としては貧しいが、日々生活では清々しい日々の生活、という一つのセオリーがある。
そのモダンな茅葺囲炉裏居間には、パソコンが設置され(反対に撤去の場合もある)都会とは、隔絶された生活というのを演出している。(これも政治選挙の逆説)

そこには何か、が足りない、と思う人は、ほとんどなくて、「過密都市逃避」という大義が勝っていて、一見、誰もが納得してしまう。

その逆説論「過密都市逃避」は大雑把に換言すると、いま都会で仕事をしている人々の理想郷であり「自分だって余裕があったらそこに生きた」とおもっいてないだろうか。そんなことを思ったりします。

いま足りないものはなにか、といったら皆一様に「金」というでしょう。正直なはなし、それがないと暮らせないし、不足分は、コンビニ愛用のキヤッシュレスで賄う。それだって神様からのプレゼントではない。出所は自分の口座からです。
そうなんです、まず自分が確かでありそれで社会が安定してある。いま経済が50年来の円安という実体です。これでは個人も安定しない。
これが正念場です。

茅葺き屋根の集落に、世界の人が訪れる古民家の宿を
「原風景」。その言葉を聞いたとき、あなたはどんな景色を思い浮かべますか。同じ素材、似た形状の建物はどんどん増え、各地にチェーン店やコンビニエンスストアが進出し、わたしたちの世界には、「変わらない景色」がどんどん増えてきたように思います。https://kumiki.in/shop/dit-50/

でも、この場所は違いました。今回のともにつくる舞台となるのは、「手這坂(てはいざか)」と呼ばれる茅葺き屋根の残る集落。世界遺産となったブナの森「白神山地」望むことができる海と山に囲まれた「秋田県八峰町(はっぽうちょう)」の山間部に位置しています。
春になると桃の花が咲き誇り、その美しさから「まるで桃源郷のようだ」と和歌を詠まれたほど。ですが、時代の流れとともに人々は町なかに移り、ついに2000年には無人の集落になってしまいました。そんな手這坂に変化が訪れたのが、12年後の2012年。今回の主催者である「木村友治(ともはる)」さんが宮城から移り住み、自給自足の暮らしをスタートした年でした。木村さんはいいます。
「20代のころ、青年海外協力隊としてパラグアイで農業指導をしたことから、帰国しても自然とともに生きたいという想いが強くなっていきました。農業だけでなく、家づくりなど、暮らしを手でつくりながら生きていきたいなと。そんな想いを持っていたときに手這坂に出逢えた。「やっと見つけた!」そう思えたんですよね。妻と2人の子どもともに、自給自足の暮らしを楽しんできました。」
そのための第一弾として、木村さんが住んでいる4LDKと30坪の土間の古民家の半分を、ゲストハウスにするため「ともにつくるワークショップ」を開催します。今回は「茅葺き屋根の修繕」と「断熱した床ハリ」の2つの内容を実施。
東京からこられる方、正直、ここは遠いと思います。でも、なんといっても江戸時代に「桃源郷」とまで呼ばれたこの風景。人生のなかでぜひ見てほしい風景です。そして、これからの「手這坂の景色」を一緒につくって頂けたら本当に嬉しい。心からお待ちしております。
主催:NPO法人ミチのクニ手這坂 木村友治 ✕ KUMIKI PROJECT共催:Kaag project 須藤和彦、鈴木了写真:写真家 コンドウダイスケ みんなでつくるプロジェクト空間づくりを 依頼する(*交流会会場:あきた白神体験センター)◎近隣のオススメ宿・「八森いさりび温泉ハタハタ館」・「秋田しらかみ温泉ホテル」集合 集合:11/2(金)13:30頃:JR五能線「沢目」駅 解散:11/4(日)14:00頃:JR五能線「沢目」駅(往路)7:36 東京駅-11:25 秋田駅(こまち3号「秋田行」)11:39 秋田駅-12:42 東能代駅(JR奥羽本線(普通) 「弘前行き」)12:58 東能代駅-13:19 沢目駅(JR五能線(普通) 「岩館行き」)(復路)14:15 沢目駅-14:37 東能代駅15:05 東能代駅-16:02 秋田駅16:12 秋田駅-20:04 東京駅定員 8名程度/回 (終了 いまやっておりません)持物 日帰りの方:汚れても良い服装、靴、タオル、水筒等泊まりの方:上記に加えて、宿泊に必要なもの 一式


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