見出し画像

毒をもってドクを制す、という習い

先日の「縄文時代」のことでは、10000年前はどんな日常生活で外はどんな風景だったのか、そんなことに思いを廻らせて葦原原野の風景を描いてみました。

といいつつ、今のような近代的なスマートな住宅に棲み、ガス水道など一ひねりして火がつき、水が出るなんてことはぜんぜんなくて、水は、遠く離れた河に、火は摩擦熱で木片に種火をつくるというエコ生活です。(桃太郎、ババさまは河に選択、ジジさまは山で木を切るその世界)

若いころは古代史が好きで、近くの野山を歩いて、その遺跡(らしき)ものを探して歩いてました。そのヒントは近くの鎮守様にあり、そこには何かしらの痕跡が残っているものです。

目印となるのは「食料」であり、まず木の実が良く生る森(椎・ドングリ)があること、その近くに小川があること、最後の考証として「石器」がそこいらに散在していること。その三点セットが組まれていれば、縄文でなくても古代遺跡の可能性は充分あります。

家の近くの裏山を休日に散策してみると、石器の一つ二つを見つけることが出来るかもしれません。(石器はまず持ってみること。手にすっぽり収まれば90パーセント、さらにその先の尖角分部が摩滅してピカピカしていれば、98パーセントの確率で石器です。)

そんな時代は、薬といえば薬草で、その知識を持っていたのがシャーマンで、祈祷するときに、それを使って神に化身する。(古代エジプト王の必須アイテムは、その薬草知識、祈祷コンテンツ、天文学とその季節天候観測が備わっていたもの、とされる)

それでやまいが治ることもあるでしょうが、近代科学の見地からすると存命率はきわめて低い。子供が生まれてくる生存率は30パーセント以下、そのため出産(女性器)のための信仰がとくに強く、それをかたどった焼き物が多く出土している。

その古代呪術のはなしです。

古代中国の呪術 蠱毒(こどく)

1. 蠱毒とは何? 

 古代の中国では、その社会の中においていわゆる「呪術」の役割が大きな部分を占めていた。中国、日本などで現在でも使われている文字である漢字も、その起源は古代の中国において呪術的な役割を持った記号であったと考えられている。古代中国の呪術の中でも比較的私たちが聞き覚えのある呪術の1つに蠱毒がある。犬夜叉やハンターハンターなどのアニメや、フィクション小説の中にもたびたび登場している。今回はこの蠱毒について簡単に調べてみた。

 蠱毒とは、古代中国において発達した呪術の1種であり、近世まで特に中国西南部の少数民族(ミャオ族やペー族)において用いられた呪術である。一般的な呪術の様式は、次のようである。

 ムカデや蜘蛛、昆虫などの虫を壺など入れ物の中に入れて互いを戦わせる。

生き残った虫をすりつぶす

 すりつぶした粉を呪いたい相手の食事に混ぜたり、相手の民家に撒いたりする。
 2番目の手順において別に虫をすりつぶさなくても良い。その虫を呪いたい相手の民家に住まわせるという方法も存在する。この手順は一般的に女性が行う。

2. 蠱毒の効能

 蠱毒の効能には大きく分けて3つある。1つは、呪いたい相手を殺すというもの。2つ目は、呪った相手から富を奪うというものである。3つ目は、いわゆる媚薬である。

3. 蠱毒のリスク

 蠱毒は、とても強力な呪いの1つと考えられていた。つまり、術者にもそれなりのリスクが存在すると考えて良いだろう。例えば、蠱毒を用いて他人の富を奪った場合、蠱毒の呪いは奪った富により強大化すると考えられていた。その強大化した呪いは、術者にも帰ってきてその術者自身の富までも食らってしまう。それを避けるために、蠱毒を他人に転嫁させたり(道端に金銭と一緒に蠱毒で用いた虫を近くにおきその金を拾った人に呪いを転嫁させる)、呪いを祭り上げるといった方法で古代の人々は蠱毒の呪いのリスクから逃れていた。

4. 蠱毒を少しアカデミックな見地から見てみる

 蠱毒研究は、民俗学の分野では比較的に行われている研究の一種である。研究テーマとしては、「憑き物」としてみた蠱毒や日本の呪術との比較研究、漢人(いわゆる中国人)の少数民族の間の歴史、古代中国の文化研究、貨幣経済や農業経済の発展と呪術の関係など様々である。特に、貨幣経済や農業経済の発展と呪術の関係の研究については、蠱毒のその私怨的な性質は格差社会からきているものと考える研究者たちもいて、現在の金満主義が盛んにみられる中国において蠱毒的なものがどのように扱われているかのど社会的な側面まで含んだ研究になっている。

2019年2月8日 CAMPHOR – http://camphor-journal.com/gu/ 

※コカイン使用の「ピエール瀧」罪状が決定し本人は認めました。そもそもコカインもシャーマン呪術師が特権で使用していた薬草でした。ミュージシャンの場合に、そのことが顕著で、多くのアーティストがその毒牙にかかってます。

近代でも古くはアメリカ東部のジャズメッカ1960年前後のジャズ黄金期にヘロインが横行し、トップジャズメンが、それにかかってます。

ジャズトランペット王、マイルスは、大師匠である「チャーリーパカー」のヘロイン調達役坊やとして、ジャズよりヘロインが忙しかったと回顧していたのは有名な話しです。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?