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時代はかわった、か?


「バーチャル」を凌駕 2007-09-24拙著記事
24日夕方のテレビニュース、安倍首相が病院から痛恨の「お詫びメッセージ」の挨拶をしていた。

その姿に誰もが「痛々しい」と思ったに違いない。これはシナリオなき劇的ドラマである、そう感じた。

また、ある報道では安倍首相回顧を「モーゼ」となぞらえた。そのことが、そなんに難しい退陣劇か、と思ったがモーゼを名を借りておけば安倍氏も救われる。                             「安倍さんは一種のモーセたらんとした」。文芸評論家の新保祐司さんには、安倍首相が旧約聖書に描かれた指導者の姿と重なってみえたという。(堀晃和)「安倍さんは、『出(しゅつ)エジプト』をやろうとしたんですよ」 。 新保さんは「安倍さん個人の事情や政局ばかりが大きく報じられ、一国の首相に対して敬意を払わない報道が目につきます。だから、あえて精神史的にモーセという補助線を引いてこの問題を考えてみたい」と前置きして、安倍政権発足から辞任表明までの一連の流れを、そう評した。 旧約聖書の「出エジプト記」。紀元前13世紀ごろ、モーセは大国エジプトの圧政に苦しむイスラエル人たちを約束の地「カナン」へと導く。隷属的な状況から抜けだし、真の自立を求めるという物語である。この内容と安倍首相の目指したことが二重写しに見えるというのだ。

そう評価したのは評論家新保祐司氏だった。

歴史的題材を用いて足跡をなぞるのはよくある手だが、はたして本人がそう思っていたのか否か。

散々メディアに叩かれて、いじめられて病院から懺悔ではモーゼどころではない。満身創痍の身を呈しての「お詫びメッセージ」は前代未聞の党発足以来ではないのか。そうしたことが派手なパフォーマンスで世間の喝采を満遍なく頂戴した前総理よりも特別印象的である。

このドラマは、誰もが描き得なかったシナリオで、また、このドラマこそが日本人のもっとも好きな展開なのである。「美しい国」とは、古来より風景ではなく人間ドラマを描いてきたのである。 

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つくづく思うこと。きのうの過去はすぐ忘れてしまうが、書き留めた記録をひっくり返してみて唖然とする。その安倍首相の長いこと。

第1次安倍内閣…2006年(平成18年)9月26日 - 2007年(平成19年)8月27日第2次安倍内閣…2012年(平成24年)12月26日 - 2014年(平成26年)9月3日第4次安倍内閣 (改造)…2018年(平成30年)10月2日 -

きのうは、夏休みも終わって、「#8月31日の夜に」としたテーマも絡んで記事にしたが、そこで「ピコ太郎」の新曲披露でいろいろ意見を交わした。話は、「ローリングストーンズ」に及び、むかしの歌い手は、何でもかんでもケチつけて、社会の半端もん、みたいなフリして、そうして人気をとっていたと書いた。

じゃいまの歌い手、例えばピコ太郎が、それをやるかといったら、まったく反対で2年前のトランプタワーでみせたアッポーペンパフォーマンスは、忖度どころか、大統領、首相御用達丸出しのスタンスを演じた。それでも社会の評判は上々だった。

時代は変わったのである。

それと併行して安倍政権の長期安定がある。たしかにそれだけの実力と実績と、血統のよさは折り紙つきで他と比較してまったく遜色ない。

だから国民の信頼を一身に集める、それとはまったく別の話だと思うが。たしかに、並居る先進諸外国の頭首と比較した場合、安定度からいったら群を抜くが、それは個人のポテンシャルとは違った、日本的地理的国土も相俟って、外の国の大陸国境間同士の軋轢いざこざは、極端に少ない。

そんなことを、まぜこぜに考えても、やっぱり「時代は変わった」と思うしかない。

安倍首相の政権がすべて由、ではなく傷はあるものの、対抗批判政治勢力の非力さが、逆説として安定させている、と思うしかない。

そんなことを考えると、他の国々もそれに準じているように思われた。  よくある話しで「こいつはダメだがあの間抜けよりましだろ」という比較論だ。総じて世界標準は間抜けより、ほんの少しレベルが高い、ということになる。その代表がアメリカ、トランプといったら、正鵠は、まあ外していないだろうとおもう。

そしてさらに思う、時代はすっかり変わったなと。


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黄金を運ぶ者たち2 ポーター 真田正之 2019/07/02 01:41
 二〇一五年。年明けて、いよいよ利根川に詳細を話してもらう時が来た。待ち合わせの場所として彼が指定してきた場所は、渋谷の道玄坂にあるロイヤルホストだった。人目を偲ぶ話は意外にも、明るいファミレスで繰り広げられるのである。
 初詣やら初売りやらで人出も多く、華やいだ雰囲気が漂うスクランブル交差点の雑踏を足早に抜け、約束の時間より少し早目に店に到着した。それでも案の定、利根川さんは僕らより先にそこにいた。話しやすいボックス席をしっかり確保し、ノートパソコンを広げ、自身の仕事を処理しているようだ。一心不乱にキーボードを叩いている利根川に、声をかけた。
「あけましておめでとうございます。こちらが電話で話した仙道くん」
「良い年になりそうですね。仙道さん、利根川です」
 利根川は高揚した表情で仙道に手を伸ばし、力強く握手をした。体育会系の利根川さんからすれば、とらえどころがなく茫洋とした、いかにもゆとり世代の仙道の雰囲気に対し、もしや拒絶反応が出るかもと思っていたが、杞憂だったようだ。今のところは利根川にとって、仙道は僕のおまけという認識だろう。その分僕が注意深く接して、判断を下さなければならないと思い、笑顔の裏で心を引き締めるのだった。
 詳細な話といっても、提示されているのは「香港から金を運ぶ。税関をうまくやりすごす。日程は一泊二日、持ち帰るのは一人四本程度。運ぶ方法は現場で『上の人』の指示に従う」といういたってシンプルな内容で、以前電話で聞いたことと大差なかった。僕が気になったのは『上の人』のことだった。前の職場で『上の人』に散々な目にあわされたからである。
 十万円のバイトという、気楽な儲け話のスタンスで取り組むにせよ、やることが犯罪だけに、『上の人』がろくでもない人だと後から痛い目を見ることになりかねない。それに『上の人』からの罵倒や蔑みで自尊心を引き裂かれる苦痛は、もう二度と味わいたくない、という気持ちもあった。それを利根川にぶつけてみると、
「私もこの件で初めてボスと知り合ったものですから、付き合いは浅くてね。知らないことも多いですが、ヤクザとか半グレとかではなく、金融関係のエリートサラリーマンだった人ですよ。とても優秀で腰も低い」そこまで言ったところで口調がやや苦々しいものに転じた「ただその取り巻きというか幹部どもが、人の扱いが下手な奴らでね」
 ボスがいて、中間管理職がいて、その下に運び屋がいるという階層の組織のようである。その中間管理職が、横柄なところでもあるのだろうと理解した。その程度は仕方がない。
「では、僕が『運び屋をやりたい』となると、その取り巻きの面接を受けるということになるのですね?」
「その『運び屋』というのはいかにもなので、ウチらでは『ポーター』と呼んでます」
利根川が僕らに言い含める。他人の耳もある中で「運び屋」と連呼するのも憚られる。それに何か後ろ黒いことに友人を誘う際は倫理観を刺激する言葉を使わないほうが良いだろう。そういえば利根川は「密輸」を「脱税」と言い換えている。
 予測される次のステップの話に移ったが、彼の答えは意外なものだった。
「面接なんて必要ありませんよ、真田さんと仙道さんは『ポーター』合格です」
 利根川から話を聞いたあとで、人相の悪い男に品定めされてから、いよいよ話が決まるのだろうと悠長に考えていたが、違った。何より驚きなのは、利根川にポーター採用の決定権があるということだ。
「利根川さんに、決定権があるんですか!?」
 唐突な面接の合否判定に、僕は驚いてストレートに聞いた。
「そうですよ。あとは、お二人がやるかやらないかを自分で決めるだけ。ボスからも『資金は豊富にあるものの、ポーターの数、それを束ねるリーダー、どれも足らないので協力して下さい』と頭を下げられましてね。別にボスに取り入るつもりはないのですが、結果的に相談役のような立場になっておりまして」
「なるほど、いうなれば創業間もない企業で、知り合いなら信用ありきで即採用ということですかね」
 進展の早さに困惑しつつも、自分自身を納得させるように、僕はそう言った。


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