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世界富豪のリストは何人か?.2

君はリチャード・ブランソンを知っているか


今朝はいつもとまったく変えて海外立身出世物語「リチャード・ブランソン」のはなし、なんかしてみたいと思います。

リチャード・ブランソンという人物、知る人ぞ知る、知らない人は多分Zかミレニアム世代、また団塊世代あたりは、知らないとおもいます。

比較でいったらジョブズ、ゲイツ、ベゾス、ペイジ、ザッカ―バークなどのいわゆるガーファ村の一員で、世界の99パーセントある金を1パーセントの、その数人が支配しているという昔だったらすでに百姓一揆が勃発していてもおかしくない世界経済という中で、彼らより3歩先に孤軍奮闘して財を成したイギリス人のはなしです。

なんで知ったかと云ったら、いつもネットで見ている動画配信「U-NEXT」「リチャード・ブランソン -稀代の実業家宇宙へ行く-」U-NEXT
を観たのでした。


番組最後の「ヴァージン・ギャラクティック」による宇宙圏到達は圧巻で、彼の生涯を数分で語っていた



それで、有名人につきものの、隠れた秘話と云うのがあって、彼もまた生まれついての障害(遺伝的)があり、それを克服して世界の頂点に立った、という定型の立身出世物語です。 ※詳細失読症については末尾参照

と云っても、よく在りがちな無一文の貧乏人から這い上がった、というのとはちがって、もともと両親が高学歴で母親が、その良き理解者であったことが原動力であることがよく理解できます。

また起業当時の、成り立ちなど、古本やレコードレンタルから出発していることは、日本の起業家と同じようでした。
それで何が違うかと云ったら、失読症ですから、読み書き、が不自由でしたから、それを自分なりの暗号化で克服したそうです。ですから彼は今でもパソコンは使わず、自分暗号筆記で記録しているようです(予想)。

そんなことで思い出すのがハリウッドスター「トム・クルーズ」が同じ病気ですが、彼は「セリフ」を文字起こしして、それを耳で訊いて覚える、という作業で映画を撮った、という凄腕のスターだつたのです。

そんなことだって、そのリチャード・ブランソンの話しを書いて知ったわけでして、知識というのは、自分で歩かないとわからないと思いました。

その動画全編をみて判るのは、起業家と冒険家が同居していて、何度も死線をさまよって生還しているのです。
云ってみればそれが、唯一の宣伝効果で、立ち上げた自社「バージンブランド」のすべてに相乗効果をもたらしていたのです。

ただ、そんなやり方に批判する人もいて、自業自得やらせだとか、一時は、こっぴどく叩かれたようです。

それも一流人につきもののゴシップで、当然、妬みだつてあるわけですから、イヌの遠吠え、数万人は当然いたのでしょう。

それを一口で云ってみれば「ガキの悪戯」に大人もあんぐり、というスタイルで、いよいよそのガキが、ロケットで宇宙を飛ぶ、ことまでしたのですから、そのガキに頭が上がらない。(よい例が「ブリティッシュ・エアウェイ」航空)

「よのなか偉人は多数いるけれど、ガキのまんま悪戯をやめないクソガキ、私は、そういうものになりたい」


リチャード・ブランソンとは誰なのか

サー・リチャード・チャールズ・ニコラス・ブランソン(Sir Richard Charles Nicholas Branson, 1950年7月18日 - )は、イギリスの実業家。コングロマリット、「ヴァージン・グループ」の創設者で会長を務める。
1950年に、ロンドン郊外のサリー、シャムリー・グリーンのアッパーミドル(中流の上)の家庭に生まれた。父親は法廷弁護士で母親は元スチュワーデス、祖父はサーの称号を持ち、高等法院の裁判官で枢密院のメンバーだった。幼い頃はディスレクシアに悩まされていたことを公言している。17歳のときにパブリックスクールを中退し、雑誌「Student」を創刊。

音楽産業その後、趣味で始めた中古レコードの通信販売で成功を収める。1973年にはレコードレーベル「ヴァージン・レコード」を立ち上げ、セックス・ピストルズやカルチャー・クラブ、マイク・オールドフィールドなどの人気ミュージシャンが所属するイギリスを代表するレコードレーベルの1つへと成長させた。
後に「ヴァージン・レコード」をEMIに売却したが、「V2レコード」を新たに立ち上げ、ロンドンや東京を始めとする世界各国で音楽ショップ「ヴァージン・メガストア」を展開するなど、音楽産業は同グループの中核に位置づけられている。

航空産業ヴァージン・アトランティック航空1984年にヴァージン・アトランティック航空を設立。ボーイング747-200のリース機を1機購入し、ロンドン(ガトウィック)- ニューヨーク(ニューアーク)間に就航させる。その後次第に規模を拡大し、1988年には東京(成田空港)路線にも就航した(2015年2月1日に撤退)。日本国内で就航時は、懸賞法の絡みも有り、当時格安航空も無く、運輸省と揉めたとTBSのCBSドキュメント「ダッシュダッシュ」で放送。
世界初のエコノミークラスへのシート内蔵テレビの導入や機内でのマッサージサービス、完全に背もたれが倒れるビジネスクラスの導入や超大型機エアバスA380の導入など、斬新なサービスを次々と導入する身軽さを売り物にし大成功を収め、現在はボーイング747-400やエアバスA340などの最新鋭機材を数十機導入し、香港、シドニー、ロサンゼルスなど世界中の主要都市に就航するまでに成長した。
その後もヨーロッパ圏内の格安航空会社ヴァージン・エキスプレスやオーストラリアの格安航空会社であるヴァージン・ブルー、さらにナイジェリア最大の航空会社であるヴァージン・ナイジェリアやアメリカに格安航空会社のヴァージン・アメリカを設立する。また航空連合という形での航空業界再編には反対の立場を取るなど、航空業界の風雲児として注目を集め続ける。
多業種への参入 ブラウンGP音楽産業や航空産業での成功を元に、ヨーロッパ圏内の携帯電話事業への参入や、「ヴァージン・コーラ」などの飲料水事業、「ヴァージン・シネマズ」ブランドで全世界に展開する映画館、イギリス国鉄民営化時にヴァージン・トレインズやヴァージン・クロスカントリーを設立して参入した鉄道事業、金融事業などへ次々と参入した。
中には失敗して早期に撤退するものもあったものの、いくつかの事業では業界の慣習を破った新機軸を打ち出すことにより一定の成功を収めており、現在グループ全体で22カ国、25,000人の従業員を擁する規模にまで成長した。
2004年には「ヴァージン・ギャラクティック」を立ち上げ、宇宙旅行事業にも参入を開始した。2007年-2008年には経営危機に陥った「ノーザン・ロック銀行」の買収に名乗りを上げて話題を呼んだ。
また、2005年に日本人ドライバーの「佐藤琢磨」のスポンサーとなったことを皮切りに、フォーミュラ1へのスポンサーを開始し、2009年には、イギリスに本拠を置く「ブラウンGP」へスポンサーとして参加した。2010年については、新規参戦予定のマノー・グランプリへ出資し、チーム名を「ヴァージン・レーシング」と変更してF1への関わりを強化する。

F1の2010年シーズン開始前、同じく航空会社であるエアアジアをもつトニー・フェルナンデス(ロータス・レーシング)に、コンストラクターズランキングで負けたほうが勝ったチーム側の航空会社のスチュワーデスの制服を着るとの賭けを提案した。結局この賭けはブランソンの負けとなり、フェルナンデスから制服が支給された。2013年5月12日にパース発クアラルンプール行きの便に搭乗、支給された制服を着て女装し、客室乗務員として勤務した。
2012年にチーム名を「マルシャF1チーム」、コンストラクター名は「マルシャ」へ変更になったため、ヴァージン・レーシングとしての活動は終了した。
冒険家近年は飛行機による無着陸世界一周飛行や熱気球での太平洋や大西洋横断や世界一周飛行、民間宇宙旅行など、空の冒険へ積極的に参画し、特に1991年に行われた気球での太平洋横断チャレンジの際は、自らが搭乗者として乗り込むなど、他の大企業の経営者には決して見られないアグレッシブさを持つ。
ナイト2000年には、事業の成功による雇用創出と外貨獲得によるイギリス経済への貢献により、エリザベス女王より「ナイト」の称号を賜わる。また、ダイアナ妃など、イギリス王室との親交も多い。
映画2008年のトロント国際映画祭にてヴァージン・アトランティック航空が製作協力を行った映画「007 カジノ・ロワイヤル」のマイアミ国際空港のシーンに、同社の航空機とともにカメオ出演している。
なお、ヴァージン・アトランティック航空の最大のライバルのブリティッシュ・エアウェイズの機内でこの作品が放映された際には、一瞬しか映っていないにもかかわらず、このシーンがカットされている。
ロックバンドXTCの"Generals and Majors"のビデオクリップに、リチャード・ブランソンに酷似した人物が軍人役で出演している。
XTCは、かつてヴァージン・グループに属していたヴァージン・レコードと契約していて、リチャード・ブランソンはXTCをとても気に入っていたと言われている。その話が本当だとすれば、カメオ出演したとしても不思議ではないのだが、真偽のほどは不明。YouTubeにも「あれはリチャード・ブランソンではないのか?」と言った投稿が多い。
ネッカー・アイランド28歳のときに、カリブ海にあるイギリス領バージン諸島の無人島(ネッカーアイランド(英語版)、北緯18度31分38秒 西経64度21分29秒)を30万ドルで購入した。
無人島に水道、電気を引き、バリ風の建物を建設し、リゾート地として開拓し、ブランソンの自宅もある。ゲストハウスでは、ラリー・ペイジが挙式をしたり、ダイアナ妃や芸能人など、ブランソンの友人達を招待し、もてなしている。

日本人では宇宙旅行者の稲波紀明、起業家の波多野昌昭と谷本肇が2度、山崎大地が1度、経営者の井口 晃などがこの島を訪れている。宿泊客に島ごと貸し出しもしているが、1部屋単位で借りられる時期もある(1週間滞在でカップルで1部屋約300万円台から)。2017年1月には大統領退任後のバラク・オバマが夫妻で訪ねている。
(ローレンス・エドワード・“ラリー”・ペイジは、Googleの共同創業者、元最高経営責任者。Alphabet元CEO。 ウィキペディア)
2017年9月、カリブ海諸島に大被害をもたらしたハリケーン・イルマによってネッカー・アイランドは「すべての建物と木が消え」「完全に跡形もなく破壊された」とブランソンは述べた。ブランソンは島のコンクリート製の地下室(ワインセラー)に避難していて無事だった。通信手段はすべて途絶して衛星電話を介してイルマによる惨状を伝えた。ウイキペディア
リチャード・ブランソン -稀代の実業家宇宙へ行く- 2023年4月16日 / 2023年6月9日
https://www.igoshogi.net/vod/?p=2544962022年に制作された「リチャード・ブランソン -稀代の実業家宇宙へ行く-」。世界的起業家、リチャード・ブランソンの実像に迫るドキュメンタリーです。

共同


ヴァージン・グループを築いた実業家、リチャード・ブランソンに学ぶ2022年12月26日 LIFE今回は、実業家のリチャード・ブランソンを深堀りします。イギリスを代表する音楽レーベル「ヴァージン・レコード」を作り、最近は宇宙事業にも力を入れているリチャード・ブランソンについて、経済・経営ジャーナリストの桑原晃弥さんに、SBSアナウンサー牧野克彦がお話をうかがいました。※12月22日にSBSラジオ、IPPOで放送したものを編集しています。
「監獄に行くか、億万長者になるか」桑原:リチャード・ブランソンは1950年、イギリスのロンドン郊外で生まれました。父親は弁護士、母親も元CAという裕福な家庭です。母親は当時4歳のブランソンを家から数キロ離れた先で車から降ろし、「草原を横切って家に帰れ」というチャレンジを課しています。
牧野:ライオンみたいですね。
桑原:同じ頃には「2週間で泳げるようになったら10シリング(0.5ポンド)あげる」と言って、無理やり水泳にチャレンジさせています。
牧野:水泳教室に入れるんじゃなくて、かなりのチャレンジですね。
桑原:スポーツは得意なブランソン少年ですが、文字の読み書きが困難なディスレクシアという障害に悩まされ、全ての教科でビリになるほど勉強は苦手でした。
学校を退学になったこともあります。その後、800人以上の男子学生がいる大きなパブリック・スクールに入学しますが、11歳の時にサッカーで大けがをして、スポーツもダメ、勉強もビリという悲惨な状況でした。

そんなブランソンが熱中したのが、学校の図書館にこもって小説を書くことでした。学校の随筆コンテストで賞をとり、自信を持つようになったブランソンの英語力は徐々に向上します。教室の数学は苦手でも、お金儲けに関わるビジネスプランを考えるのは得意で、ブランソン少年は学生時代に『スチューデント』という雑誌をつくることを考え始めるようになります。
しかし、学校の成績はパッとせず、1967年にブランソンは学校を中退します。その時、校長先生に言われたのは「君は監獄に行くか、億万長者になるか、どっちかだと思うね」

中略

牧野:アイデアがどんどん浮かんでくるんですね。
桑原:自分の作っている雑誌『スチューデント』に広告を掲載すると、「山のような問い合わせと見たこともなかったような現金が入ってきました」そうです。その時、「新しいビジネスには名前が必要だ」と考えてヴァージン・メール・オーダー・レコードという会社を作ります。
当時、普通の小売店はレコードを売るだけの味気ないものだったんですが、店の中でコーヒーを飲みながら座ってゆっくり音楽も聴けるという斬新なスタイルが若者の圧倒的な支持を得ます。その後ブランソンはレコーディング・スタジオをつくり、数々のアーティストとも契約、アルバムも発売するようになります。
お金がどんどん入ってくるわけではないので、持っているお金で地道にやっていくか、大勝負に出るか、という選択を迫られたブランソンは大勝負を選び、セックス・ピストルズやカルチャークラブ、ボーイ・ジョージなど有名アーティストと契約し、ヴァージンを大きな音楽レーベルに育てることに成功します。
牧野:お金をある程度得て、そこからチャレンジを続けたことで、さらなる富を得ることにつながったんですね。
桑原:音楽ビジネスで成功して、そこでとどまらないのがブランソンです。本やビデオ、映画産業などに進出し、1984年に今でいう格安航空会社に近い会社、ヴァージン・アトランティック航空を設立します。
牧野:1984年の時点で、すでに空に興味を持っていたんですね。
桑原:たった一機の飛行機(ボーイング747)をロンドンーニューヨーク間に就航させます。当時は周囲から「狂気の沙汰だ」と言われるほど無謀な挑戦でしたが、ブランソンは「ワクワクするかどうかが大事だ」ということで、わずか30秒で決断、実行に踏み切っています。
牧野:リチャード・ブランソンの判断基準「ワクワクするかどうか」これ大事なことですよね。 「ヴァージン」を一大グループに、そして宇宙ビジネス進出桑原:音楽産業と航空事業で成功したブランソンは、その後も携帯電話や飲料水、映画館、鉄道や金融などに次々と挑戦します。いつもやっていたのは、両親から教えられた「慣習にとらわれない」「挑戦する」ということで、一大グループをつくり上げます。
牧野:幼少期に叩きこまれたメンタリティですね。
桑原:最近では宇宙ビジネスにも進出しています。2004年にヴァージン・ギャラクティックを創業し、2021年7月に同社の社員3人と2人のパイロット、そこにブランソン自身も乗り込んで宇宙船の試験飛行を成功させました。宇宙飛行はアマゾンのジェフ・ベゾス氏よりも少し早いです。「宇宙は私たちみんなのものだ」と考えるブランソンは、宇宙旅行を本格化させたいと考えています。朝型人間、紅茶は1日20杯
牧野:リチャード・ブランソンは、日々どんな生活をされていますか。桑原:ある記事によると、ブランソンは朝5時に起床してエクササイズを行うといいます。成功した起業家は朝型の人が多く、ブランソンも他人に邪魔されにくい朝の時間を有効に活用して、その後、家族と朝食をとるなどとても健康的な生活を送っています。また、1日に紅茶を20杯も飲むというのは、さすがイギリス人ですね。23時に寝るというのは、アマゾンの創業者のジェフ・ベゾスと同じ朝型人間といえると思います。
牧野:家族も大事にされてるんですね。 大好きなことを一生懸命、道は開ける牧野:高校中退から総資産5100億円にもなったリチャード・ブランソンから、私たちが学ぶべき点はありますか?苦しい時期にも卑屈にならずに、前向きに、クリエイティブにいく。これは大きな学びですね。参考文献:『ヴァージン―僕は世界を変えていく』(リチャード・ブランソン著、植山周一郎訳、TBSブリタニカ)今回、お話をうかがったのは……桑原晃弥さん広島県生まれ。慶応義塾大学卒。業界紙記者などを経てフリージャーナリストとして独立。トヨタ式の普及で有名な若松義人氏の会社の顧問としてトヨタ式の書籍の制作を主導。一方でIT企業の創業者や渋沢栄一など、起業家の研究をライフワークとしている。著書に『スティーブ・ジョブズ名語録』(PHP)、『トヨタ式「すぐやる人」になれる8つのすごい!仕事術』(笠倉出版社)など多数ある。


失読症につて
物理学者アルバート・アインシュタインは、アスペルガー症候群だった。
その他の有名人トム・クルーズ スティーヴン・スピルバーグ オーランド・ブルーム

「失読症」は学習障害の一種で、知的能力に問題がないにも関わらず文字の読み書きに困難を抱える状態のことだ。社会生活で様々な困難を抱える症状だが、中には失読症でありながら偉大な功績を残した人物もいる。ここではそんな有名人やエピソードをまとめた。学習障害の一種で、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害である。
「文字とその文字が表す音とが一致・対応し難く、勝手読みや飛ばし読みが多い」、「音読作業と意味理解作業が同時にできないため読み書きに時間がかかる」などの特性がある。
アスペルガー症候群は発達障がいの一つで、社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージすることの障がい、こだわりの強さ、感覚の過敏などを特徴とする、自閉症スペクトラム障がいのうち、知能や言語の遅れがないものをいいます。人間誰しも自閉症的な部分を多かれ少なかれ持っているのが普通で、程度の差だけが問題といえましょう。それゆえ「スペクトラム」障がいなのです。
出典: WWW.DINF.NE.JP 出典: JA.WIKIPEDIA.ORG

失読症ディスレクシア(英語: dyslexia、ディスレキシアとも)は、知的能力および一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書きに著しい困難を抱える障害であり、学習障害の要因となることがある。失読症、難読症、識字障害、(特異的)読字障害、読み書き障害、とも訳される。発達性読字障害(DRD; Developmental reading disorder)とも呼ばれる。1884年にドイツの眼科医ルドルフ・ベルリン(ドイツ語版)によって報告され命名された。支援方法については、「ディスレクシア#支援」を参照。
正確には、読むことに対する困難がディスレクシア、書くことに対する困難がディスグラフィア(dysgraphia)だが、両方を合わせてディスレクシアと称されることが多い。識字プロセスには、文字や単語を構成する音に結びつけて分析する「音韻的処理」(主に表音文字)から、単語、文章そのものからダイレクトに意味を理解する「正字法的処理」(表意文字も含む)までいくつかの段階がある。ディスレクシアはそれら様々な段階での症例が報告されており、例えば2つの文字の違いがわからない、文字や単語の理解まで非常に時間がかかる、文字の並びが歪んで見える、文字自体が二重に見えるなど様々である。読むことはできるが書くことはできない(「薔薇」は「バラ」と、「憂鬱・憂欝」は「ゆううつ」と読むことができるが書けないことなど)は、一般的な言語学習段階上の経験として覚えのある向きもあろう。ただ、これを学習障害の一種とするかは、日本語においては見解が分かれている。ウイキペディア

原因研究によって、ディスレクシアの人は、脳での情報処理の仕方が一般の人と異なることが明らかになってきている。一般の人は脳内の情報を統合する領域で文字を自動処理しているが、ディスレクシアの人々はこの文字処理がスムーズに行えず、通常とは違う脳の働きをしているという。人類が文字を使い始めたのは5千年ほど前からといわれ、脳には文字の読み書きを行う中枢領域は存在せず、他の代替機能を使って文字の読み書きをしている。ディスレクシアの人々は文字が読める大多数の人々とは異なる脳の領域を使っており、そのためスムーズな文字の読み書きが行えないと考えられている。
遺伝この障害は家族性の場合もあり、遺伝性と考えられる。たとえば親が症状をもつ場合、子どもの23 ~65%に同様の症状が認められるとの報告がある。スウェーデン国王カール16世グスタフはディスレクシアであるが、その長女のヴィクトリア王太子や、長男のカール・フィリップ王子も同様の障害がある(国王およびその子女がディスレクシアを抱えていることについては、1997年にシルヴィア王妃がテレビ番組のインタビューの中で正式に認めている)。作家のジョン・アーヴィングや金融家のチャールズ・M・シュワブ(英語版)、NPO法人エッジの藤堂栄子は、子どもがディスレクシアと診断されてから、自らもそうであることが判明した。


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