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バナナ・キャッチ

 この業界では、東京税関に摘発されることを「キャッチ」と呼んでいる。
  帰国日の朝を迎えた。午前中にホテルをチェックアウトし、午後の全日空便に搭乗、夜には成田着となる予定だった。

 香港空港での保安検査も出国審査も全員問題なくパスし、問題の「バナナ」を受け取ると、各自個人行動になってから飛行機に乗り込む。いつも通りに、機内食を食べ終わってしばらくしてから、機内のトイレで「バナナ」のポジションを調整してみた。

「違和感あるな、いやシリコンの張り具合が硬いだけさ]、と自分にいい訊かせた。
 バナナ六本というのは存外に重く、調整してもしばらくすると、ポケットの付いた内側のスポーツティーシャツが徐々に垂れ下がってきてしまう。ズボンのベルトをキツく締めておかないと、重さで垂れてきた「バナナ」が脇にズレて、腹のシリコンの外にはみ出してくるのだ。
 

 もしもボディーチェックで、ベルトを緩める羽目になったら「ヤバいぜ」、と嫌な予感は感じていたものの、もう今更どうすることもできない。この場に及んでいま一つの不完全材料をぬぐさることの出来ない自分にいらだった。
 そうこうしているうちに、飛行機は成田空港へ着陸。対策を練るにも打つ手がないままに、税関検査へと臨むことになった。
 いつもなら、税関検査官の「どちらからお帰りですか?」という一言から始まり、パスポートと税関申告書を渡す。何も聞かれないままスルーのこともあるし、聞かれるとしても、お決まりの渡航先や滞在日程のはずなのだが、この日はまるで様子が違った。 列に並んで数分、前にいた男性の検査を終えるや否や、二人体制で待ち構えていた検査官は僕に 「こういうモノをお持ちでありませんか?」 と、いきなり金塊の写真の載ったクリアファイルを見せてきたのだ。
 不意を突かれて一瞬心臓が止まりそうになったが、それでも僕が平然を装って
「いや」
 と答えた瞬間
「ちょっとボディーチェックさせていただいてよろしいですか?」
 と検査官がたたみかける。
 その背後にはもう一人の別の検査官が、既にスタンバイしていて、三人の検査官に取り囲まれてしまった。
 

 検査官たちの行動がこれまでと違い、素早く無駄がない。なんとなく怪しいからちょっと質問を掘り下げてみよう、という段階を一気に超えて、僕が絶対に何かを隠し持っていると、決めてかかっているようだった。
(完全に狙い撃ちだ)
 としか思えなかった。
 検査官たちが放つオーラがピリピリとしていて、剣呑過ぎる。本能的に危機を察知した僕の脳内では、瞬間的に様々なシミュレーションが駆け巡り、出した結論は
(とにかく、早く終わらせる)
 それが今取れる最善策だと思った。誤魔化して時間を稼いでも、誰も助けてくれないし、抜け道を探すことはもはや不可能だと悟ったのだ。
「腹に、あります…今のモノ…」
 僕は動揺を表に出さないように言ったつもりだが、喉の奥から振り絞って出た言葉なので、そうは聞こえなかったと思う。検査官の目が光り
「どこにあると言いました?」
 と顔を寄せてきた。僕が自分の手で腹を触ると、そこに検査官の手が伸びて、感触を確認される。はみ出た「バナナ」に検査官の指が当たったのが、僕にもわかった。
「別室に行きましょう」
 三人の検査官に左右と後ろを囲まれ、僕はそのまま、普通なら通ることのない検査室への通路に導かれた。

 なぜこんなことになってしまったのか…。歩きながら僕の頭の中では、ボスや利根川、メンバーみんなの顔、香港の街角の風景、孫さんの笑い声などが、グルグルと回っていた。この後に何が待ち受けているのかという重いプレッシャーに苛まれ、わずか十数メートルの通路が遥か先まで続くように感じた。

 通路の奥にある検査室に着くと、まずは全身写真と顔写真を撮られた。次にジャケット、ワイシャツ、肌着を脱ぐように言われ、黒のスポーツティーシャツのみの姿にさせられた。その腹部を、二人の検査官が交互に、金塊の位置を確かめるように触って確認する。命じられるがままに、上に重ねている黒いスポーツティーシャツを腹までたくしあげると、挟み込んでいた腹型シリコンが、ズルッと落ちてきた。それを拾って手で持つように言われ、その姿をまた写真を撮られた。
 とにかく脱いでは写真撮影、脱いでは写真撮影の繰り返しだ。最終的にはパンツ一丁になり、身に着けていたものが床に広げられているのを、ひとつひとつ指差しながら、その姿の写真撮影も行われた。
 検査官は事務的な対応をしつつも、時として嘲笑うような表情を見せてくる。客観的に見たらかなり屈辱的な光景なのだろうが、僕にはその感慨に浸る余裕もない。今後の追及にどう対応すれば良いのか、いう考えだけが、目まぐるしく交錯していたのだった。
 それから、ゴールドバーはもちろん、シリコンやらティーシャツやらの、ゴールドバーを隠すために使った道具が押収された。続いて、パスポートや携帯電話、財布の中に入っていた銀行のカード類なども押収されてしまった。それらの物品のリストが作られ、書類にサインさせられた。押収は一時的なものである、と説明されたが、いつ返すとは言われなかった。
 ここでひとつ、奇跡が起きた。押収目録の中にはタブレットが入ってないのだ。通信データの削除はしてあったが、そんなものは専門の機器を使えば簡単に復元されてしまう。タブレットさえ押収を免れれば、仲間とのやり取りは漏れずに済む。この僥倖に少しだけホッとしつつ、ここからの展開を、また頭の中でシミュレーションし始めた。
 この時点で既に二十三時だった。搭乗便の成田着陸が二十時なので、三時間経過。税関には逮捕権はないという認識だったが、もしかすると警察が呼ばれて現行犯逮捕され、拘束が続くかもしれないとも考えた。だが、見る限りその様子はないようなので、ボスから聞いていた通り、現行犯逮捕はないと判断した。時間的に、ここはいったん解放されて、後日出頭になるのだろうか?
ところがそんなに甘くはなかった。身体検査の担当者が下がり、別の取り調べ官二名が代わりにやって来た。さてここからがいよいよ追及の本番という感じだ。
 取り調べ官の一人は二十代に見える若い女性、もう一人は僕と同世代のアラフォー男性だった。男性は温厚そうな見た目だったが、反して女性の方は目尻の上がったキツい顔付きに薄い笑みを浮かべており、ドエスの匂いが漂っている。
 時系列で経緯を話せ、と言われると思い、心の中で復唱していたのだが、予想が外れた。席に着くやいなや、女性取り調べ官が怒鳴ったのだ。
「誰に頼まれて運んだんだ!」
 僕は思いがけない展開に驚いたが
「いや。自分で購入したものです」
 とセオリー通りに答えた。
 どこで買ったか、とか、なぜこんなことをしたか、ではなく、誰に頼まれたか、と開口一番に聞かれたことが、僕がマークされていたことの証のような気がした。おそらく「ボス」までワレているのではないか。なぜかという説明は難しいが、直感的にそう感じたのだ。
「自分で買ったんなら、これが密輸という犯罪だって、しっかりわかってやったんだよな!」 
 女性取り調べ官は強い口調で怒鳴り続ける。
「いえ、タバコの持ち込みと同じような感じかと思っていまして…すみません」
 と答えてはみるが、
「四十越えているいい歳したオヤジが、そんなことも知らないわけないだろうが!」
「いや…知らなくて…すいません…」
 と謝り、しばらく沈黙。
 この先はずっとこの調子だった。怒鳴られて、シナリオ通りに答え、また怒鳴られ、謝って黙りこむ。合間合間に男性取り調べ官が、どこで買ったのか、宿泊ホテル名は、などという状況確認をしてくるので、真摯に聞こえるように具体的に答えてみるのだが、答えるごとに女性取り調べ官に「適当なことばかり言うんじゃねえぞ!」と罵られ続けた。
 長時間に及び激しい口調で責られて確かに動揺はしたが、以前働いていた会社では自分ではなく同僚たちが社長から面罵されるシーンに何度も立ち会わされた。他人が責められるのを見せられて、それに何も言うことができない気まずさに比べれば、ただただ自分が耐えれば済むこの場は随分マシだと思えた。
 だが、女性取り調べ官は、誰かに依頼されたことを大前提に、そればかりしつこく聞いてくる。誰からの依頼なのか、把握されているとしか考えられず、何が何でも名前を言わせたいようなのだ。この取り調べの前途は多難だと、思わずにはいられなかった。最終的にはもう答えられることがなくなり、俯いてダンマリを決め込んだ。
 重い沈黙が一時間ほど続いたところで、男性取り調べ官から「真田さんの話をまとめたのでサインしてください。今日はこれで終わりますが、本当の話をするまでは、何回でもこちらに来てもらうことになりますからね」
 という解放宣言があった。ようやく帰れるのだ。持ち帰りを許された荷物をまとめ、その中にやはりタブレットがあったことに小躍りしつつ、到着ロビーフロアに放り出された。時刻は既に午前三時を過ぎていた。
 とにかく早くこの地を離れよう、そして事の顛末を仲間に連絡せねばならない。電車もとうにない時間なので、まずはタクシーで京成成田駅まで向かう。公衆電話ボックスを発見したので、タブレットの電源を入れ、仙道の電話番号を確認した。深夜というよりは明け方に近い時間ではあったが、事態が事態なだけに、三コールで仙道は電話に出てくれた。きっと僕からの電話連絡があることを予測して、待っていたに違いない。
「キャッチされたよ」
 と重苦しく一言伝えると、
「みんな見ていましたよ。連れていかれるところ。それより大丈夫ですか?」
 と心配そうに尋ねた。
「大丈夫だから電話してるんだよ。勾留はされずに終わったよ。悪いけどみんなに、僕が解放されたってメッセージ送ってくれるかな。実際に摘発されてみて、イロイロわかったことも多いし、何事も勉強だと思ったよ。詳しい話はまた後日ゆっくり話すよ」
 僕は、ことさら明るく聞こえるように答えた
「帰宅したらゆっくり休んで下さい。でも真田さんがこうなった以上、この仕事も終わりですよね」
 僕の明るい口調に少し安心したのか、割のいい収入源を断たれたことを、早速残念がる仙道が少しだけ憎らしかった。
「何事も、そう都合良くはいかないもんだね。だけど、僕がキャッチされただけで、組織が退くとは思えないけどね」
 深い考えがあったわけではないが、この予想は見事に的中し、僕らはこの裏稼業の泥沼にどっぷりと嵌まりこんでゆくことになる。

原作 真田正之 部分引用 


https://note.mu/sanada2102/n/nabc1524c9846
https://note.mu/sanada2102/n/nf6ea1d04ae94


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マネーロンダリング


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