人は何を抱いて生きるか?

いきなり神と宗教など書くと敬遠されるので、テーマは曖昧にして輪郭をぼかした。もっともこのnoteは、そうした諸々を「語る場」でないことも勘案して、内容を希釈して話すことにした。

ではnoteに集まる方々は、どんな思想(大袈裟だな) をもって、どこに向かって生きようとしているのか気になる。

会員の年齢を拝見すると、下は小学生(親御さんからのアピール)から高校生、そして成人して、仕事真っ只中の30~55歳と見ている。もちろん現役バリバリの起業話しは意気軒昂が伝わってきてすがすがしい。またそのまったく反対、身体に障害をもった人の心情吐露も、人間のいとなみとして、おろそかにはできない。

ある女子高校生の記事があったので2.3読ましていただいた。執り方によっては自暴自棄な生き方で「生きている価値もない」といっているので、ただならぬ状態と察してコメントを入れてみた。そのあと気が付いたが、それは過去の日付であり、今では、そんなことも払拭され、社会生活に順応している様子だった。

このnoteは、その傾向の「こころの内」のはけ口として使っている場合の比率が高いと察した。


脱色した青春を元に戻すにはどうすればいいの?

杉本 織穂乃 2019/04/10 19:33


宗教という響き方

冒頭に書いた「神と宗教など書くと敬遠されるので、テーマは曖昧にした。もっともこのnoteは、そうした諸々を語る場でない」、と書くには、そのような雰囲気があるので、書いたのだが、それは日本人の宗教観と密接に関係していると改めて感じた。

日本を除いて他の諸外国は、宗教色が鮮明で、またその区分けで喋る言語も決まってくる。したがって大別すると二つの宗教に分かれている。詳細は省くとして、その対比としてこの日本は、そして日本国民は、どんな宗教観があり、それを信じているか、という質問をしようとしたとき、すぐさまイメージするものが無かった。

それはどうしてなんだろうかと、いろいろ文献をあさってみた。



八百万の神でもってして異国の神を受け入れる
 米公共ラジオ放送(PRI)は、日本の土着の信仰である、八百万の神を祀る「神道」に日本人の宗教観の背景を見出している。PRIに詳細を語っているのは、東京都の渋谷に位置する金王八幡宮の田所克敏宮司。彼の言によれば、「ある日、仏陀と呼ばれる神がアジア大陸からやってきた。その後、キリストと呼ばれる神が船でやってきた。すでにいた八百万の神にもう2つ加わった、というだけのこと」。田所氏はさらに、こういった日本人の受容性の高さを、天ぷらを使って説明する。もともと天ぷらはポルトガルから伝えられたものだが、日本人は受け入れ、文化の一部としている。田所宮司はさらに、次のように述べる。「人々は宗教を、何を信仰しているのかという観点ではなく、儀式の観点から見ている」。つまり、「この儀式(冠婚葬祭)はどう執り行うのか」が重要であるため、子どもが生まれれば神社にお宮参りし、結婚式はキリスト教の教会で挙げながら、問われれば即座に「仏教徒」と答える状況になっている、とPRIは論ずる。
荒ぶる神を受け入れ、内面の糧とする日本人              しかし、この高い受容性が別の面で発揮されているのを、別のアメリカのメディアPBS(Public Broadcasting Service)が伝えている。ケンタッキー州にあるベリア大学のジェフリー・リチー准教授が、2011年の東北大震災に見舞われた人々が見せた忍耐強さを、宗教的観点から論じている。

まったくそれは神話世界であり、そのことを「古事記」(720)は詳細にえがいている。だとすると外人が日本人の宗教観を語りのべるとき、その超難解なテキスト訳本を参考に評しているのではないかとおもった。

その「あらぶる神」とやらはどこにいるのか、日本人はみたことがない。だが「古事記」には記載されている。

※ 初代天皇・神武天皇は実在したか 
「日本書紀」や「古事記」によれば、初代天皇とは神武天皇とされる。この神武天皇から第9代の開化天皇までは、一般的に伝説上の人物であり、実在しなかったのではないか?というのが現在、一般的な説である。

 神武天皇は九州の日向に生まれ、3人の兄がいた。神武天皇は、生まれながらにして頭がよく、正確もしっかりしていて、15歳で皇太子になった。そして、45歳になると「神武東征」といって、大和に都をかまえるため、大軍を率いて日向を出る。しかし、大和に向かう途中、土豪の長髄彦(ながすねひこ)の抵抗にあい、兄の五瀬命(いつせのみこと)が重症をおい、それが元で死亡する。

 神武天皇は、太陽の方角に向かって大和を目指したのが悪かったと海を渡り熊野からの上陸を決意するのですが、この時、風にあおられ少しも船が前へ進まない。この状況を嘆いた2人の兄は海に身を投げ死亡してしまう。

 やっとのことで、上陸を果たした神武天皇の軍でしたが、今度は土地の神の毒気にあたり全軍が倒れてしまった。この時、神武天皇のピンチを救ったのが霊剣「ふつのみたま」と「八咫烏(やたがらす)」だった。「ふつのみたま」は、地元の高倉下(たかくらじ)という人がアマテラスオオミカミから授けられた剣であり、それを神武天皇に渡すと、倒れていた全軍が目を覚ました。

 しかし、軍は復活したけれども、険しい山に阻まれ、軍を前に進ませることができない。すると、その夜、神武天皇は夢でアマテラスオオミカミから八咫烏を授けられ、この霊剣に導かれ無事大和に出ることができた。

 しかし大和には、あの兄に重症を負わせた強敵、長髄彦がいる。神武天皇が苦戦をしいられていると、一羽のトビが神武天皇の弓に止まり光り輝きます。すると、そこから放たれた矢の威力により見事、長髄彦の軍を打ち破ることができた。そして、神武天皇は大和を平定し、宮殿を建てて初代天皇になったのである。

 ちなみに、この神武天皇のおじいさんは、「海幸、山幸」神話の山幸彦といわれ、その父親は「天孫降臨」神話のニニギノミコト。そのニニギノミコトのおじいさんがあの有名なアマテラスオオミカミである。つまり、神武天皇はアマテラスオオミカミの子孫である。

 このように、神武天皇については、霊剣、神々など神話めいたお話が多く、また古事記では137歳、日本書紀でも127歳まで生きたとされていることから実在しなかったのではないか、と推察される。しかし、実在しなかったといいきれるほどの史料が発見された訳でもなく、あくまでそれは憶測の域をでない。

 神武天皇については、「いた」とも「いなかった」とも言い切れないというのが正確なところだろう。「日本書紀」や「古事記」によると初代天皇は神武天皇となっている。しかし、この神武天皇は、実在しなかったのではないか?というのが現在の定説となっている。とはいえ、モデルとなった人物はいたのではないか?そこで有力視されているのが天武天皇だった。

 日本書紀や古事記を編纂させたのが何を隠そう天武天皇だった。神武天皇が実在せず、虚構の人物だったとするならば、そのモデルを自分とさせたとしても不思議ではない。さらに、天武天皇は、壬申の乱の際、大和国を出ると直線的に北上することはせず、わざわざ尾張経由で美濃に入り、近江へと進軍している。これは、日の昇る方向から攻め入ってはならないといった天武天皇の考えがあったとつたえられるが、実は初代天皇の神武天皇も大和の地に都を作る際、同じように日の昇る方角から攻め込んではならないと遠回りして大和の地を目指している。天武天皇が神武天皇を真似て、そういった進路をとったのか?或いは、天武天皇が壬申の乱の際にとった進路をモデルとして神武天皇のお話を作ったのか?それは、定かではない。

 やはり、神武天皇のモデルとなった人物がいるとするならば、天武天皇がもっとも有力なのでしょうね。
(https://rekisi.info/jinmu.html 引用)


※緊急入稿 黄金を運ぶ者たち1 裏稼業

真田正之 2019/07/02 01:35  フォローする


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racoco

「漢」という文字は「水の流れていない川」をあらわす形声文字である(音は「乾」に通ず)。長江の支流で現在の陝西省南部、秦嶺山脈の南麓に源を発し、湖北省に注いで武漢(漢口)に注ぐ漢江(漢水)をさす。現在でも支流では冬期に断流することがある。#note
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