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三島由紀夫 伝説の討論会

2023年02月18日

成田悠輔「集団切腹」発言、世界へ拡散

イェール大・成田悠輔氏の“集団自殺”発言、世界中で怒られるより笑われた「あなたから切腹どうぞw」
2023/2/16(木) 8:47配信 女子SPA!
 気鋭の経済学者で米・イェール大学助教の成田悠輔氏の“高齢者の集団自決”発言が国内外で波紋を広げています。
成田氏「高齢者の集団自決、集団切腹」発言、世界へ拡散 これは2021年12月に放送されたネットニュース番組で少子高齢化問題について訊かれた際に、<僕はもう唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと>語ったことに端を発しています。2022年1月に配信された動画でも安楽死や尊厳死を持ち出したことから、彼の持論として一部で賛否両論があったのです。
 ところが、これが今年の1月に再びネット上で取り上げられたところ、今度は瞬く間に大炎上。ついには海外にまで飛び火してしまったというわけです。
 アメリカの『ニューヨーク・タイムズ New York Times』が取り上げると、イギリスの『ザ・テレグラフ The Telegraph』、『デイリー・ミラー The Daily Mirror』、ドイツの『デア・シュピーゲル DER SPIEGEL』などが続き、記事は大バズり。世界的関心事となっているのです。
 成田氏としては少子高齢化に伴い逼迫(ひっぱく)する財政や硬直化した社会システムへの問題提起の意図があったようですが、先の大戦を軽く扱ったかのような言葉のチョイスが大きな反感を招いてしまいました。
 では、欧米の著名人や一般読者はこの件をどうとらえたのでしょうか? ツイッターや発言をまとめてみました。大きく4つに分けて紹介します。(以下英文ツイート、コメントはすべて筆者訳)
①ドライな反応“じゃああなたからどうぞ” 日本では成田氏の姿勢を真剣に問いただす論調が大半でしたが、欧米はなかなかドライです。CNNなどのメディアにも出演するコラムニストのフィリップ・ハロウェイ氏の<イェール大学経済学部の教授の皆さんでどうぞ>(@PhilHollowayEsQ)とのツイートがわかりやすいですね。
 一般読者からも“話はわかった。じゃあ成田さんが手本を示してよ”(「Lead by example」や「Ok Mr Narita, but you go first」)といった内容のツイートが複数見られました。
『ザ・テレグラフ』のコメント欄では、<大学で雇われているいわゆるインテリが集団自殺してくれた方がもっと効果的だわな>なんて辛辣(しんらつ)なものも。ふくれ上がる教育予算が国の財政を圧迫していることへの皮肉も込められいるのでしょうか。
『デイリー・ミラー』の読者は、<成田さんとこのじいちゃんばあちゃんは自宅のセキュリティ費用を増額しただろうね>とユーモアたっぷりのコメント。
 イギリスの世界的コメディアン、リッキー・ジャーヴェイス氏も<セカンドオピニオン頼むわ>(@rickygervais)と一笑に付しています。
 真剣に怒るより成田氏の発言で遊んでいる印象でした。
②カナダの安楽死制度を思えば他人事ではない いくつかの先例がある欧米では、権力による人間の仕分けが合法的な殺人を可能にしかねないとの危惧を抱いたようです。特に安楽死の適用を拡大しているカナダを思い浮かべる人が多かった。
 成田氏を取り上げた『ニューヨーク・タイムズ』を受けて、イギリスの週刊誌『スペクテイター The Spectator』の編集者、スティーブン・ミラー氏は<アメリカのメディアはカナダの安楽死制度を急速に後押ししている。“Xを試したらどうなるか”ということをきっかけに物事は始まる>(@redsteeze)とツイート。『ニューヨーク・タイムズ』の記事が、成田氏への批判ではなく、むしろ世論を誘導するかのような問題提起だととらえていました。
 一般読者もカナダの安楽死制度を思い出し、<カナダのアイデアを宣伝すんなよ>(『ザ・テレグラフ』)とのコメントが多くの共感を集めていました。
 先に法制化されているからといって、完全なコンセンサスが得られているわけではないという欧米の事情が垣間見えます。
③優生思想、大量虐殺?悲惨な歴史を思い出す 経済的合理性からの提言が、生命の尊厳や人権を踏みにじっているのではないかと違和感を感じ、悲惨な過去を思い起こす人も少なくありませんでした。
 ナチスドイツによるホロコーストにたとえたツイートなどに加え、<ネオリベ版ポルポトの爆誕>(@pogorelov_ian)という秀逸なコピーも生まれました。
 こうしたソリューション重視の思考を揶揄(やゆ)して、<人に教育を与えることはできても賢くすることまではできないんだな。彼(成田氏)が愚かさで死ぬことはなくても、年を取れば死ぬだけ>(『デイリー・ミラー』)と強烈なカウンターパンチを食らわせる読者もいました。
④そもそもなんでこんなことを言ってしまったのか さて今回の一件で共通していたのは、“は?何言ってんだ?”という驚きでした。確かにイェール大学で教鞭をとるほどの人物が、なんであからさまに危うい発言をしてしまったのでしょうか?
 アイルランドのリムリック大学のスティーブン・キンセラ教授は自身のツイッターでこう分析していました。
<記事を読んで、見出しは以下のように変更すべし。“自身のキャリアアップを望む若者はわざと世間を煽(あお)る言葉を使って、ちょっと注目を集めればすぐに撤回する”以上。>(@stephenkinsella)
 
生き馬の目を抜くネットメディアの競争を踏まえると、考えさせられるツイートです。===
 というわけで、予想外に大事となってしまった“集団自決”発言。成田氏のツイッターアカウントのプロフィールには、<口にしちゃいけないって言われてることは、だいたい正しい>とあります。
 いまとなっては、“正しいと思っても、口にしちゃいけないことはある”と悔やんでいるのでしょうか。
Sources:『New York Times』『The Telegraph』『Daily Mail』
<文/石黒隆之>【石黒隆之】音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。
Twitter: @TakayukiIshigu4


死の1年半前、三島由紀夫が東大全共闘と繰り広げた「伝説の討論会」とは

https://www.businessinsider.jp/post-209905
吉川慧 [編集部] Mar. 24, 2020, 05:00 AM 政治
学生運動の嵐が吹き荒れていた1969年5月13日、三島由紀夫は東京大学駒場キャンパス900番教室に立っていた。

戦後日本を代表する作家、そして保守言論人として活動していた“時代の寵児”を招いたのは、当時大学を占拠していた「東大全学共闘会議(東大全共闘)」。 左翼学生の総本山とも言える団体だ。

題して「三島由紀夫vs東大全共闘」。右と左、保守と革新———。政治的に真っ向から対立する両者は、1000人の聴衆を前に公開討論会で対峙した。このほどTBSが保存していた当時の記録映像が見つかり、ドキュメンタリー映画にまとめられたものが3月20日に封切られた。

思想的には相容れない三島と東大全共闘だったが、劇中で解説役の一人として登場する内田樹さん(神戸女学院大学名誉教授)は、三島が「全共闘と自分には共通点がある」と語った点に注目する。

イデオロギーの異なる両者が「暴力」ではなく「言葉」で正面から渡り合う姿は、私たちに何を問いかけるのか。内田さんに聞いた。

「三島は全共闘と連帯できると思っていた」
内田さんは、三島が「全共闘の説得に本気でかかっていた」と見る。1969年当時は予備校生だった。

内田さんは、三島が「全共闘の説得に本気でかかっていた」と見る。1969年当時は予備校生だった。

断片的には映像を見ていましたが、今回初めて全容を見ました。50年前から色々な形で語り継がれてきたレジェンドの本体を見せつけられました。

当時、内田さんは東大合格を目指す予備校生だった。報道や直後に出た書籍を通じ、リアルタイムで討論会を知っていたという。

そんな内田さんは、三島がこの討論会で「全共闘の説得に本気でかかっていた」と見る。

この討論会の一年半後に、三島は自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決します。しかし、討論会の壇上で語る三島の表情からは、そんな気配も見えない。ずいぶん余裕があるし、楽観的に見える。

あの時点では、自衛隊の幹部の中に「三島先生が立つなら、我々も立つ」という口約束をした人がいたからです。もちろん、彼らだって、三島が本気でクーデタを起こすとは思ってもいなかったでしょう。三島の自衛隊への貢献に対する感謝の気持ちが、そういうリップサービスとして洩れてしまった。そして、三島はそれを信じてしまった。

ですから東大全共闘の前に登場した1969年5月時点では、三島は『いずれ楯の会が蹶起するときには、自衛隊も続く』という観測をもっていました。東大に彼が乗り込んだのは論争するためではなく、共にクーデタに立ち上がる革命戦士をリクルートに行った、というのが僕の仮説です。

思想的には相反するが、三島は全共闘との連帯が可能だとみていたという。

全共闘は左翼過激派の運動であって、彼らは立憲主義者ではありません。日本国憲法の下での立憲的な民主主義体制を守る気なんかまったくなかった。だから、その点は三島由紀夫とは一致していたわけです。

敗戦後の日本を「対米従属」だと断じ、戦後の民主主義を欺瞞だとして実力行使をもって抵抗した全共闘。そこに三島は、ある種のシンパシーを感じていたのかもしれない。

三島は討論会で、全共闘にリップサービスとも思えるようなエールを送っている。

三島:私は今までどうしても日本の知識人というものが、思想というものに力があって、それだけで人間の上に君臨しているという形が嫌いで嫌いでたまらなかった。

諸君がやったことの全部は肯定しないけれども、ある日本の大正教養主義から来た、知識人のうぬぼれというものの鼻をたたき割ったという功績は絶対に認めます。

以下割愛

撮影:吉川慧

BUSINESS INSIDER JAPAN



画像 三島由紀夫自決50年 :東京新聞

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