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アリストテレス的実験検証は絶対欠かせない

これを書く前にひとこと、多くの皆様がこれを読んでいただいてなおスキも付与していただき、まことにありがとうございます。内容といっても特別トリッキーなこと、よくいう「意識高い系」でもなく、日々日常のなかで思うふとした疑問、コレいつからあったのか、と考えると案外、2000年前からぜんぜんおなじことをしていた、という事象が可笑しくてどうにもなりません。例えば「レンズ屈折歪み」がよい例でした。そのギリシア時代では、著名なタレス、アリストテレス、ピタゴラスなど学問天才がごろごろいたはずなのに、日々の生活を疎かにして哲学ばかり論じていた、というのは片手落ちです。だからこの際、裏の井戸に落下しないよう、気をつけて「つるべ落とし」のミネラルウオーターを汲んでみたいと思うのです。

2019年7月、ネットSNS界隈、ちまたある営業ネット記事配信低俗ネタだけはしたくありません。ささやかながらの反骨精神、社会へのスピンアウト、またなんらかの事情でそうなってしまった人々への鎮魂歌であれば、よいかなと思う次第です。

アリストテレス的実験 その検証は 絶対欠かせない必須

「台所で沸かすヤカンの沸騰点と、トイレに居た場合の因果関係」、です。これについてもごく、日常的なことで、おそらく江戸時代、もっと古くて縄文時代火炎土器を焼いていたころと、ほとんどかわらない日常生活の断片であると推察されるわけです。

冒頭説明の「レンズの球面収差については、2000年以上前のギリシャの数学者であるディオクレスが言及していた。17世紀の数学者「ホイヘンス」は1690年に著書「光についての論考」で、アイザック・ニュートンやゴットフリート・ライプニッツが望遠鏡のレンズの球面収差を解決しようとしたができなかった」。とされるように、それらは日常という時間に隠された人間思考のエポックで、「わかっちゃいるけとわからない」という僅差を先延ばしして、それであっというまに2000年とか5000年たってしまった、というのが本音のようです。

それて最近はじめたのが白熱教室「アリちゃんのヤカン沸騰とトイレの鍵が開かない」実験の巻.a1でした。それを詳しく説明すると~、いや詳細も何もポットに水を入れてガスコンロに着火してその沸騰時間を測るだけです。別に実験でも計測でも、わざわざ2500年前のアリストテレス博士(その当時ノーベル賞はまだ発行されていなかった)を招聘するまでもない。

話題を激変させますが、「ニュートリノ」(カミオカンデ)存在を実験実証してノーベル賞を付与された小柴博士が、明晰な語録を述べました。神はサイコロ遊びはしないし、すべの物理事象は用意された場に訪れる、ということを述べている。先の重力波発生源中性子波を捉えた関係者もまったく同じことを述べている。

そこです、「用意された」とは、何が起こるかわからない、ことを想定して「すべてを用意」準備万端整えスタンバイすることです。それには、用意すべきテーマがあって、周到な計算式を使って仮想現実をシュミレーションする。いまはパソコンを使って、そこで幾通りの実験ができて大幅コストダウンが容易になった。また重力波捕捉のように地球規模で世界の学者が連携して、それに望むことも大きな成果として挙げられる。

私の白熱教室「アリちゃんのヤカン沸騰とトイレの鍵が開かない」実験の巻.a1ですが、いまだ誰も知らない、という点では、それらと同一ですが、スタッフ1名、予算0、パソコン2、愛猫1、こりゃ余計~で実験と呼ぶには詐欺的行為に等しい。

(再開 7月10日 16時12分)

発光する表示機器としてブラウン管が誕生したのもつい百年くらい前の事で、10万年以上前からほぼ体の構造が変わっていないと言われている人間にとって、「発光体を長時間凝視する」という行為は物凄く不自然で適応しづらい行為の一つなのです。しかもスマートフォンは、テレビやパソコンよりも至近距離で見る上に、小さい文字を読む為 眼の瞳孔が開きやすく、物凄い量の直接光を眼に入れている事になります。眼がモノを見る時に光を捉える細胞には二種類あり、錐体(すいたい)細胞と桿体(かんたい)細胞というものがあります。

という「りょうさん」の懇切丁寧な説明ですが、まったく専門的で「猫に小判犬に排便ストップ看板」、みたいな比喩で、せっかくですが、よく判らない。

それとこれ、ぜんぜんリンクしませんが私情で申し訳ありませんが「加齢黄斑変性」に眼が罹患してしまい、右目がよくみえない。だからこのパソコン打つのも大変で、最近誤字がやたらと多くなった。その分推敲でカバーしてますのでお許し願いたい。

で話しは、スマホを白黒にしてしまうというテクニックですが、それも一理あって、次の一手が「レンズの球面収差」であり、それらを合理的に収斂すると、「台所で沸かすヤカンの沸騰点と、トイレに居た場合の因果関係」に帰結する。

いやいや、「風が吹くと、桶屋が、儲かる、」ロゴスでは決してありません。それをこれから説明いたしましょう。

皆さん誰もが一度は経験しているとおもわれますが、ガスコンロにヤカンをかけて、朝の支度を色々やりますよね。そのとき(これが肝心)ストップウオッチでタイム測りませんよね、サニブラウンの100メートル走じゃないんだから。なんでか???

では質問、ヤカンのお湯が沸騰する時間を想定して上階に往ったり下に戻ったり、 そして突然生理現象がもようしてトイレに入るときお湯が沸騰する、ことはまったく想定していない。しかし現実はいつも過酷で、そうしたときにヤカンがピーピーと鳴り出す。これは電話着信ベルと同次元で、咄嗟のアクションは理屈などなく、それを消す、聴くその処置が絶対的です。その理由としては、学問的にそれは解明されていないので解答できない。

最悪、トイレに入っていつもしない施錠したとき、突然それが鳴り出すと、慌てふためき、開鍵の仕方をわすれてしまい、しまいにはドンドン叩いて家族を呼びだす。(全員出払って独り、を考えると恐怖)そうなると一家中がパニックとなって救急事態になりかねない。だからそれに至らないにはどうするか、です。

アリストテレスも知らなかったヤカンピーピー沸騰音

ヤカン温度の沸騰時間を把握すればいいわけです。           ヤカン一杯約1.4リットルの水、外気温度20℃、時間7分23秒沸騰点、これが1回のデータです。しかし、条件は千差万別。水道の水温が毎日違う。外気温度の湿度を量ってない。これが重要で、ガス放出熱量カロリーの設定が家庭仕様では表示されていない。必然的につまみコックの数ミリ操作で、熱量が変化してしまう。わかっているだけで、それだけの測定基準の誤差幅が、大きすぎて、一定のデータがとれない。 ※次、この捕捉7/11

この実験を現在まで13回やった結果の集計タイムです。ちなみに今日11日のデータ。気温17℃、水1.4リットル、時間7分30秒沸騰点。でした。

どれ一つ、同じ時間沸騰点がなかった。これを一般的に「いい加減」と形容しますが、適当なこと、とは違います。周到に計算した結果のランダム差異ですから、それはそれで、一つの解答です。

すこし話題は離れますが、その昔、天気予報は科学的根拠もない「シャーマン巫女」占いで読み取っていた時間がほとんどでした。さらに昔では「生贄」によってそれを願った。残酷きわまりない。今では周知のように気象衛星が地球を俯瞰してデータをとる。「台風の目」などきっちり映って、逆にか神々しい。それでもなお大規模降水など発生して、地球気象を読みきれない事態も起こっている。なぜなのか。

占いと科学は紙一重、それが私の持論です。昔のギリシア哲学者たちは、宗教的なものと自然学物理学天体学哲学など、全部おなじカテコリーで語っていたいたようです。それが徐々に宗教(呪術)と天文学は、別のものだと気がつきはじめた。さらに時代が下ると、その考えが強くなってイタリアルネサンス前あたりから、ガリレオに代表されるように露骨に天体運行の絶対性を主張しはじめ、究極的に地動説が流布する。

これは余談ですが、この「地動説」、太古からその事実を人間は知っていたのではないか、そんな疑問があります。というのは「天動説」というのはまことに西洋的思想(キリスト教的異端審問がある)で、世界(宇宙)は自分のためだけにある、という恣意的見解です。歴史的にも欧米列強植民地政策など現実としの歴史はあるし、また今の政治形態をみてもトランプ言説twitter発言など、それから一歩も逸脱しない、からです。

それから類推すると、「天道説」は説話であって宇宙原理そのものでない。ならば「地動説」の絶対性は証明できるのかといったら、これも難しい。アインシュタインの理論からするとすべて相対的であり、固定した座標がない、という点では宇宙も仮想であることと理解できる。だからそれはビッグバンの特異点をどこから導くか、という理論破綻に行き着く。

深入りしすぎましたのでストップです。

ギリシア物理学も占星術も出所は一緒という解釈からすると、実験データをいかに集めたか、それが現代科学ではないかと思います。占いは。感情的情緒的な文言解説で他人を説得するので、その相手が犬猫、牛馬、だったらまったく通用しない。そんなことでしょう。

すなわち、同じ水量と同じ温度で過熱しても沸騰時間が、いつも一定とは限らない。だから「おんなごころと秋の空」句と同様、まったく意のままに操作できないというヤカン沸騰点であったのです。

しかし、それを参考に朝のせわしない時間帯に、トイレにはいるのに、ストップウオッチと温度計と鍵の仕方は確認しないでしょう。なぜならそれが普通であって換言するなら生活習慣であり、理屈なしに脳を使わなくても自律神経が勝手にやる、という感じです。それがもっとも「楽」だからです。

次は「オーガニック」という流行は、実はもっと巨大なものを犠牲にして成立しているという話しをしてみたいと思う。


続編を書くには資料が必要、時間も必要。 2019/7/11~ 続編.3 





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