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バナナ・キャッチ.b

バナナ・キャッチ <あとがき>

そとは雨、いわゆるシトシト雨、が降っている。この降雨は、スキでもないが嫌いでもない。昔は仕事柄事情として、とても嫌だった。

百姓(禁止用語?)ことばで「邪魔なあめ」と形容することがある。別に深い意味じゃなくて、傘をさして出歩くにも不便という意味で、農家にとっては欠かせない雨だが、時によっては余計な水量は願ってない場合もあって、それが「邪魔」というわけだ。

もしそんなことが「天の神」に届いたとして、ではお望みを叶えましょう、と「ヘイソク」でも振られ3月間、雨が途絶えたら、世界は大パニックに陥る。世界人口の0桁が一桁削られるほど大打撃を被る。だから神社でやたらな祈願は禁物だ。

閑話休題~、今朝のnote統計数「スキ」が500pvあったと報告された。おそらく「異例の出世」ではないかと思われるが、私のサイトに訪れる会員には、それより遥かに多い数のスキマークを記録している人が沢山いる。それがすべて、とはいわないが、やはり一つの目安としい多いことに越したことは無い。

真田正之さんのオリジナル原稿(黄金を運ぶ者たちキャッチ)を拝借して「バナナ・キャッチ」を 書かせていただいた。音楽で云うなら「カバーズ」ということで、人のもの借りて、自分らしい話しを創作する、というのはなかなか快感があった。

もちろん真田正之さんとは、周到な打ち合わせと、公開の承諾を頂いてこのnote上にアップさせて頂いた。

今朝もいつもの様に沸騰点計測をした。数字は同じ条件で時間6分31秒だった。昨日よりほぼ34秒、多く掛かって気温は2.5℃高い20℃だ。

気温が高いのに時間が掛かる、何故なのかまったくわからない。これでは、やたらにトイレに入って鍵などかけられなはずだ。で、そこからある程度のデータ分析をしてみると、温度が高いのに沸騰時間がかかる、の因果関係は、空気湿度がそれにかかわっているのではないかとフォーカスした。よく「薄ら寒い」とか「ぞくぞくする」とか微妙な体感温度を言葉で表現しているが、このことではないかと推理してみた。であるなら温度が高いのに時間がかかる。は合点できる。まだ結論するには早いが、その日を特定して変化をサンブリングすれば、ある回答が導き出せると考えたのだ。

古典と音楽と哲学と

古典音楽をやっている関係上、その歴史文献を知るために、日本歴史の知識を勉強したが、それでは足りず世界史まで手を伸ばした。そこには当然、ギリシア神話があり、やがて占星術があり、そして自然学天文学哲学のアリストテレスを知ることとなった。

それらの総合的データをもとに「日本」を分析してみると、かみ合わない部分がいたるところに散見して戸惑った。この感情は私ばかりでなく、多くの日本人が抱く「差異」ではないかと見ている。

それはなぜだろうか、と長年私なりに思考していた。また現在もその中途にある。答は簡単、などと軽々しく云えないし、いったところで自分の浅学度合いを露呈するのが関の山だ。

敢えてそれを無理強いするなら、白黒、陰陽、東と西、に分別されるように二つの極に分けられる、と解釈した。ところがこの日本の場合、じゃ、どっちなんだい、という両極のいずれ、を明確にせず、また日本人という全体像が、それで由、とする曖昧さ、情緒さ、西洋学のように輪郭(境界線等)を描かない特性(古代中国思想讖緯説・しんいせつ)を引きずって生きているように思えてならなかった。

であるら、西洋的科学の本質を探すことで、少しは理解できるのではないかと思惟してみたのが、諸々、それに該当したのが「アリストテレス」や「アインシュタイン」だった。そのなかにもう一人、精神分析(臨床心理)のフロイトがいた。それをここで紹介したい。

フロイトは、脳性麻痺や失語症を臨床研究し論文でも業績を残している。これらは彼がすでに、脳の構造と人間の行動、さらには心的活動に深い関心を抱いていたことを物語る。やがて彼は、脳の神経活動としての心理活動を解明するという壮大な目的を抱いたが、当時の脳科学の水準と照らし合わせると目的へは程遠いという現実にも気づいていた。しかしながら、フロイトは終生、脳と心の働きの連関を「科学的に」解き明かすことを研究の主旨とし、目標とした。
1881年(25歳)ウィーン大学卒業。1882年(26歳)、後の妻マルタ・ベルナイスと出逢う。彼は知的好奇心が旺盛であり、古典やイギリス哲学を愛し、シェークスピアを愛読した。難しいことを平易に書きこなす美文家であり、また非常に筆まめで、友人や婚約者、後には弟子たちとも、親しく手紙を交わした。1884年から2年間をフロイトはコカイン研究に情熱を傾けていた。その結果、目・鼻などの粘膜に対する局所麻酔剤としての使用を着想し、友人の眼科医らとともに眼科領域でコカインを使用した手術に成功した。その後、コカインを臨床研究に使用し始める。しかし1886年になると世界各地からコカインの常習性と中毒性が報告され、危険物質との認識が広まった。そのため不当治療の唱導者として医学界からは追放されなかったものの「不審の目」で見られるようになってしまった。そのようなことがあっても、1887年(31歳)から1904年(48歳)の17年間にわたって、親友である耳鼻科医ヴィルヘルム・フリース(ドイツ語版)と交わされた文通は、そっくりそのままフロイトにとって自己の構造や精神分析学の基礎を見い出していったプロセスであり、ちょうど後世に精神分析を志す者たちが精神分析医になるために行う訓練分析にあたる自己省察を、フリースを相手に突き詰めていったものとして評価されている。 ※資料ウイキペディア








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