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すべての文明文化は、ローカルが原点~

ネットSNSの田舎町ってどこなの?探しは、意外とエジプトロマからやってきた

ロマは各地を放浪し、音楽の演奏やダンスなどを行う旅芸人として生計を立ててきた。彼らによってもたらされた音楽は、現地の音楽に影響を与え、また影響を受け、相互に発展してきた歴史がある。(ジプシー ロマ語を話し、欧州における「ジプシー」の最大勢力である。 ロミ ルーマニア、ルーマニア語圏に居住するロマニ系の民族。19世紀には現代のルーマニアに当たる地域で奴隷とされた。独自の文化や慣習を固守し、キング(王様)も存在する。 アッシュカリー、またはエジプシャン)

昨日の記事

JAXAの月面探査機打ち上げ「SLIM」、ですから種子島であって、東京から眺めたら、田舎ですが、その二ユースを読んで、とんでもない田舎、とは誰もおもわなくて、むしろ東京―永田町から上がったような印象がするのは、それが国家事業だからでしよう。

同じような感覚で、外信とか外人発信YouTubeとか、そんな媒体を眺めていると、それも田舎とは感じなくて、ローカル色が全く感じられない。

特に感じるのはYouTubeの画面で、若い外人娘(特定されない国々)が、流ちょうな日本語で「二ホン大好き」と、忖度なしで感情表現していることです。
当然、彼女らは田舎に棲んていたのに「漫画」とか動画を見て知って、日本に実際行ってみたいと、小遣いを貯めて日本に来た娘さんが殆どです。

まあ、今進めている私の「古事記」探訪とは似て非なるものの中の、ごく一部が近似した、そんなことでしようか。

そして今朝、久しぶりに出会ったnote記事「織る葉@ハープと旅する人」のハープ紀行を読んでいて、「田舎の原点ロマ音楽」を彷彿とさせたので、それについての感想文など、過去記録を引用して語ってみたいです。

この音楽についても、歴史を探れば、メソポタミアまで辿って、そしてピタゴラス音階に至るので、話は長いです。

ジプシーロマ音楽.2
ロマ音楽は、西アジアやヨーロッパなどで移動型の生活を送る、あるいは送っていたロマ民族(ジプシー)を中心に発達してきた音楽。

クラシック音楽への影響

ロマの音楽はヨーロッパのクラシック音楽にも大きな影響を与えてきた。特にロマン派以降の作曲家にロマの音楽に触発された作品が多く見られる。代表的な作品として以下のようなものがある。

ウイキペディア

ロマは北インドに起源を持つ移動型の民族であり、中近東、北アフリカ、ヨーロッパなどで生活している。ロマは西暦1000年以前には北インド、ラジャスタンを離れ、放浪生活に入っていったと考えられている。一方、現在もラジャスタンで演奏家や旅芸人として生活しているロマもいる。ロマは以前は「ジプシー」と呼ばれていたが、ポリティカル・コレクトネスのため「ロマ」と呼称が変更された。

画像 古館由佳子ジプシーヴァイオリン アップロード日: 2014/09/30


古館由佳子バイオリン


ロマは各地を放浪し、音楽の演奏やダンスなどを行う旅芸人として生計を立ててきた。彼らによってもたらされた音楽は、現地の音楽に影響を与え、また影響を受け、相互に発展してきた歴史がある。ロマは北インドをたった後、イラン、イラク、アルメニア、その他中近東に現れるようになった。

西暦1050年頃には既に、コンスタンティノポリスで音楽の演奏をしていたと考えられている。15世紀ごろにはエジプト、スーダン、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ギリシャ、クロアチア、マケドニア、セルビアなどへと居住地を拡大、やがてヨーロッパ全域へと広がっていった。スペインのフラメンコの原型もロマの音楽とダンスであったと考えられるなど、彼らは放浪先の中近東やヨーロッパ各地の音楽文化に強い影響を与えてきた。

ロマの音楽の大きな特徴として、テンポや強弱の激しい変化や交替、細やかなリズムや奔放な修飾ソウルフルなヴォーカル、そして音高をすべるように移動するグリッサンドの多用などが挙げられる。音階の上では、和声的短音階の第4音を半音高くして二つの増二度音程を持つ独特の音階(ハンガリー音階などと呼ばれる)が用いられることが多いのも特徴である。ウィキペディア
画像 HIGHFLYERS ポール・フローレア / Paul Florea | ルーマニア人のジプシー ・バイオリン奏者。日本で初めて感じた観客との深い繋がりを大切に、音楽を通して表現したい感情を伝える

各地のロマ音楽

「ルーマニアの音楽」 ルーマニアのロマ音楽奏者はラウタリ(英語版)と呼ばれ、そのバンドはタラーフ(taraf)と呼ばれる。タラーフの主な構成はフィドル、ツィンバロム、アコーディオン、コントラバスなどからなる。ワールド・ミュージックのジャンルで、ファンファーレ・チョカルリア やタラフ・ドゥ・ハイドゥクス[2]は、国際的な知名度をもっている。マネーレはロマ音楽の影響を受けた現代の音楽としてルーマニアはじめバルカン半島で盛んになっているジャンルである。

著名なロマのソロ・ミュージシャンには、次のような人物がいる。

ロミカ・プチャヌ(英語版)女性歌手

ニコラエ・グッツァ(英語版)男性歌手

サンドゥ・チョルバ(英語版)男性歌手。ほとんどの楽曲をロマ語で歌う。

フランス

フランスのロマは、スペイン由来のグループ(ルンバ・ヒターナ rumba gitana) と、マヌーシュ、あるいはドイツ起源のグループに分けられる。前者にはジプシー・キングス、後者にはジャンゴ・ラインハルトが有名である。

インド

インド北部のラジャスタン地方はロマの故地であり、現在でもロマが音楽やジャグリングなどのショーをする旅芸人として住んでいる。

トルコの演奏家

トルコは西暦1000年ごろからロマが住んでおり、さまざまな音楽が生み出されてきた。こんにち、トルコのロマの音楽はベリーダンスの音楽としてよく知られている。

ファスル(Fasıl)は軽快な伝統音楽で、主にクラリネット、バイオリン、ダラブッカ、カーヌーンなどが使用される。チフテテリは、激しいベリーダンスと比べて、よりスローテンポでゆったりとしたダンスである。古代アナトリア半島に起源を持つといわれているが、その発展には多くのロマが関わっている。

ベリーダンスやファスルのショーはレストランやナイトクラブで披露される。

マケドニア

「マケドニア共和国の音楽」および「チョチェク」

チョチェクは、ブルガリアではキュチェクと呼ばれ、サクソフォンやクラリネット、そして第一次世界大戦以降盛んになったブラスバンド形式の演奏、およびダンスである。チョチェクの音楽は9/8拍子を大きな特徴とする躍動感のあるもので、マケドニア共和国からは多くの世界的に有名な奏者を輩出している。代表的な音楽家には、女性歌手のエスマ・レジェポヴァ、ブラス・バンドのコチャニ・オルケスタルがいる。

アルバニア

「アルバニアの音楽」

アルバニアでは、ロマの音楽と現地の音楽がむすびつき、タラバ(英語版)と呼ばれるジャンルを形成している。タラバは中東の影響を濃く受けついた特徴的な音楽で、ドラムス、そしてダフが使用される。タラバはロマのみならず非ロマ系のミュージシャンも多く、アルバニアでは人気のある音楽となっている。

セルビア

「セルビアの音楽」

セルビアのロマは主に南セルビアに多く住み、オスマン帝国の軍楽隊の音楽に由来する、ブラスバンド形式の音楽で知られている。主な奏者としてボバン・マルコヴィッチ(英語版)が知られている。
 ( "Kecarac kolo" "Sunen romalen, sunen cavalen")

ギリシャ

ギリシャはオスマン帝国支配下でトルコと共通の文化圏に属しており、ギリシャのロマの音楽にはトルコからの影響の要素が強い。希土戦争の影響でアナトリア半島のイズミルからギリシャ本土に移ったギリシャ人によってもたらされたチフテテリなどが有名。

ブルガリア
「ブルガリアの音楽」

多くのロマ人口を抱えるブルガリアでは、ロマの音楽は大変盛んであり、パーティーや結婚式などでたびたび演奏される。ロマの演奏するキュチェクは、チャルガの起源としても知られている。

ハンガリー
「Category:ハンガリーの音楽」

ロマの音楽の影響力は特にハンガリーにおいて顕著であり、人口の上では多数派であるマジャル人を差し置いて、ロマの音楽がハンガリーの代表的な音楽と見做されるに至っている。ヨーロッパでは“ハンガリーの音楽”という言葉がロマの音楽と混同して用いられる傾向さえある(リストの「ハンガリー狂詩曲」やブラームスの「ハンガリー舞曲」などはそうした例である)。特にチャールダーシュと呼ばれる舞曲がハンガリーのロマを代表する音楽として親しまれている。

しかし近年、音楽家の登録にクラシックの試験が課せられるようになってからロマ音楽家は減っており、ロマ音楽が必要なイベント(結婚式など)では隣国のルーマニアからミュージシャンを招いてまかなっているという側面がある。バイオリニストの ロビー・ラカトシュ、ヤーノシュ・ビハリ(英語版)などの奏者が知られている。

ロシア
ロシアの音楽においてもロマは重要な役割を果たしてきた。ロマがロシアに移住するようになったのは15~16世紀頃といわれている。エカチェリーナ2世の時代に大きく発達し、彼らの楽団は町のレストランなどにも出演するようになった。

19世紀にはより洗練されたものに進化し、モスクワやペテルブルクで持て囃されるアンサンブルも出現した。七弦ギターやフィドルの伴奏にのせて野太い声でソウルフルに歌うスタイルを特徴とする。ロシア革命までは大きく栄えたが1930年代になるとソヴィエト政府の方針によりロマの音楽は排斥されるようになった。

Jean Goulescoやピョートル・レスチェンコ(英語版)などの奏者が知られている。

スペイン
スペインのロマ音楽は、その人気が一般化したフラメンコ音楽によって広く世界的にしられている。フラメンコはスペイン南部のアンダルシア地方で生まれ、ロマの文化と関連づけられてとても良く知られている。スペインのロマはヒタノ(Gitanos)と呼ばれ、多くの有名なフラメンコ・アーティストを生み出してきた。しかし、実際にはフラメンコは純粋なロマの音楽というよりは、アンダルシア地方の土着音楽に由来するところが大きい。もっとも、その発展には多くのロマのアーティストたちが関わってきてはいる。

クラシック音楽への影響
ロマの音楽はヨーロッパのクラシック音楽にも大きな影響を与えてきた。特にロマン派以降の作曲家にロマの音楽に触発された作品が多く見られる。代表的な作品として以下のようなものがある。

ハンガリー狂詩曲(フランツ・リスト)
ハンガリー舞曲(ヨハネス・ブラームス)
ツィゴイネルワイゼン(パブロ・デ・サラサーテ)
チャールダーシュ(ヴィットーリオ・モンティ)
ツィガーヌ(モーリス・ラヴェル)

NHKドキュメンタリー『はるかなる音楽の道 さすらいのバイオリン~流浪の民・ロマの道~』12月16日再放送 2019/12/09 16:27掲載

NHK『はるかなる音楽の道 さすらいのバイオリン~流浪の民・ロマの道~』(c)NHK
2002年に放送されたNHKドキュメンタリー『はるかなる音楽の道 さすらいのバイオリン~流浪の民・ロマの道~』の再放送が決定。NHK BSプレミアムの再放送枠「プレミアムカフェ」での放送で、12月16日(月)に放送されます。ヨーロッパ各地の音楽にも影響を与えたという流浪の民・ロマの独特の音楽を特集。旅する日々の中からどのように音楽が生まれたのか?

何百年もの間、旅を続けるロマの人々には独特の音楽がある。ヨーロッパ各地の音楽にも影響を与えたという彼らの音楽は、楽譜にとらわれない自由な奏法が特徴。
旅する日々の中からどのように音楽が生まれたのか…バイオリニストの古澤巌がロマの人々と暮らしながら回った東欧の旅の記録。
V.モンティ / チャルダッシュ(Solo Vn. 古澤 巌)

バイオリンで奏でるロマの自由と情熱の調べ
European Union to Japan 2019年7月1日EU MAG Vol. 74
( 2019年07・08月号 )
「ジプシー(ロマ)音楽」と聞くと、真っ先に思い浮かぶのは、スペインのフラメンコかもしれない。しかし、ジプシー音楽とは、実は、遠い昔に北インドから移動してきた民族が、欧州大陸の各地で伝え育ててきた音楽スタイルの総称だ。国や地域によって異なるさまざまな要素を取り入れ、長年にわたり培われてきたジプシー音楽は、ジャズやポップス、クラシックなどあらゆるジャンルの音楽に多大な影響を与えてきた。例えば、「ジプシー・ジャズ」といえば、ロマ出身のベルギー人天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトが生んで世界に広めたジャズのスタイルだ。

東京の駐日欧州連合(EU)代表部で5月25日に開催された「ヨーロッパハウス・オープンデー」では、さまざまな民俗色豊かなイベントが行われた。中でも、アコーディオン、ギター、ウッドベース、そしてバイオリンの4人組の軽やかな演奏を楽しんだ人たちは多いのではないだろうか。ルーマニア人のバイオリニスト、ポール・フローレア(Paul Florea)さんが、この催しのために、イタリア人、フランス人、日本人のメンバーで「結成」したジプシー・ジャズ(Gypsy jazz)・カルテットだ。ポールさんが一緒に演奏するメンバーは、その時々で違い、デュオやトリオのときもあれば、ソロのときもある。曲目も“All of Me” に代表されるようなジャズのスタンダードナンバーからポップス、映画音楽、クラシックまで多彩だ。しかし、ひとたびポールさんたちの手にかかると、どのようなジャンルの曲でも、耳に慣れ親しんだオリジナルのメロディーが見事に「ジプシー・ジャズ」に変身する。

そのポールさんに、ジプシー音楽(囲み記事参照)の本質とは何なのか、また日本で演奏活動を続ける理由などについて話を聞いた。

5月の「ヨーロッパハウス・オープンデー」で演奏するポールさんのジプシー・ジャズ・カルテット

ジプシー音楽の本質は自由と情熱

ジプシー・ジャズの創始者、ジャンゴ・ラインハルト。若いころのやけどで左手の薬指と小指が不自由だったが、独自の演奏法を編み出した cLibrary of Congress, Music Division

「ジプシーは世界中どこにでもいます。ジプシー音楽をひと言で表現するなら、『自由』だと思う。例えば、ルーマニアには、手つかずの自然が多く残っていて、ジプシーたちはその自然の中をキャラバンで移動して、自由に生きてきました」とポールさん。その演奏スタイルは「自由」で、「すべての音楽は、ジプシー・スタイルで演奏することができます」。

もちろん、その「ジプシー・スタイル」も地域や国によって違いはあるが、共通する本質は「自由」、そして「情熱」だとも彼は言う。「ジプシー音楽はマイナー(短音階)で、哀調を帯びていますが、情熱的に演奏することで、その対比によって、とても陽気な雰囲気にもなるのです」

「ジプシー・ジャズ」は「マヌーシュ・ジャズ」(マヌーシュはフランス北部やベルギーに住むロマたち)とも呼ばれ、そのスタイルをギターで生み出したのは、最初に触れたように、ベルギーのジプシー・キャラバンで産声をあげたジャンゴ・ラインハルト(1910~1953)だ。パリを拠点としたラインハルトが当初取り込んだのは、フランスのカフェ・ミュージックとして一世を風びした「ミュゼット」

(※1)だった。ジャズ・バイオリンの巨匠、ステファン・グラッペリ(1908~1997)は、ラインハルトが結成した伝説的な「ホットクラブ五重奏団」に参加したことでも知られる。

ルーマニアから世界へ踏み出す

ポールさんもロマ出身だが、ルーマニアの人口の10パーセントほどを占めているともいわれるロマの人々の音楽は、同国の民俗音楽はもちろん、あらゆる音楽文化に深い影響を与えている。

ジョルジェ・エネスク(George Enescu)は、作曲家、指揮者、ピアニストであり、クライスラーなどと並び称される20世紀前半最高のバイオリニスト。現在ブカレスト市内には「ジョルジェ・エネスク博物館」が設置されており、2年ごとに開催される「エネスク国際音楽祭」(9月)には、ヨーロッパの主要オーケストラが招かれる(写真:Wikimedia Commons)

クラシックの分野で、ルーマニアが誇るバイオリニスト・作曲家のジョルジェ・エネスク(1881~1955)の作品には、ジプシー音楽の影響が色濃く出ているが、中でも『ルーマニアン狂詩曲』は世界的に有名だ。また「ルーマニアは、優れた弦楽器奏者もたくさん生んでいます」とポールさん。「有名なソリストがたくさんいますし、オーケストラのコンサートマスターなどで活躍するルーマニア人も多い」。

ポールさんによると、フローレア家の家系は多くの音楽家を輩出しており、その「家訓」は、「あらゆる楽器に親しむこと」だそうだ。彼が初めてバイオリンを手にしたのは、5歳のとき。「父から、『お前のためのオモチャだよ』と渡されました」。
誰も弾き方を教えてくれたわけではなく、最初は本当にオモチャとして楽器に親しんだ。やがて著名なバイオリニストの指導を受けるようになり、学校に通い始めてからは、放課後も「友達とサッカーをする代わり」に、毎日4,5時間は練習に励んだ上、ピアノやクラシックギターの勉強もしたという。「別に強制されたわけではありません。よい演奏家になるためには、たくさん練習しなければと、自然に思ったんです」。

バイオリンは、エレクトリックバイオリンを含め、演奏によって3種類を使い分けている

「そのうち、コンサートで演奏したり、コンクールに出場したりし始めました。12歳の時、父親に連れられて行った結婚式で演奏して、初めてお金をもらい、とても得をしたとうれしかった覚えがあります」

15歳ごろから、海外の演奏旅行に出るようになった。同行するのはアコーディオン奏者の父親のこともあれば、やはり音楽家として活動するいとこたちだったりした。ルーマニアは当時、チャウシェスクの独裁政権下(1974~1989)にあり、国外に出られるのはアーティストを含め、限られた「特権的」な人たちだけだったという。しかし、早くから他のヨーロッパの国々で演奏する機会を得た経験は、ポールさんの血となり肉となった。

ルーマニアの音楽学校で学び、20歳になると国立オーケストラ・ラジオとジョルジェ・エネスク交響楽団に参加。2年後には第1バイオリニストとして活躍した。一方、ポールさんの2人の兄も、それぞれピアニスト、バイオリニスト、妹はオペラ歌手の道を歩んでいた。

「進歩」のために日本で新たな音楽スタイルを

演奏家として順調なキャリアを積んでいたが、大きな転機が訪れたのは1998年。長崎県佐世保市のハウステンポス(オランダの街並みを再現したテーマパーク)が、演奏者やダンサーのオーディションをルーマニアで行い、ポールさんがその中の一人に選ばれたのだ。「ルーマニアにいれば、恐らくそのままオーケストラでクラシック音楽を演奏することが多かったでしょう。私はソロでも活動したかったし、新たなスタイルを模索したかった。私がいいと思う新しい要素をいろいろ取り入れて、『進歩』したかった」

クラシックからジャズ、ポップス、映画音楽に至るまで、ポールさんが奏でるバイオリンは、軽やかで陽気かと思えばある時は情熱的、またある時は哀調を帯びたり、自由自在だ。ハウステンポスでは、演奏だけではなく、さまざまなショーのプロデュースも担当した。その後、横浜、東京とベースを移しながら、演奏に日本の音階を取り入れ、バイオリンで琴や三味線に似た音色を工夫するなど、意欲的に、自由に自分のスタイルを作りあげている。移り住んだ土地の文化、音楽との出会いから新たな音楽スタイルを生み出すという、まさに「ジプシー・スタイル」の音楽づくりを踏襲しているのだ。

「日本の聴衆が大好きです。演奏で伝えたい思いを、聞き手がちゃんと受け止めてくれる。演奏しながら心の中で泣けば、彼らも泣く。とても感受性が強い」とポールさんは言う。

幼児が自然に音楽を体得できるように
現在は欧州系企業のイベント、ホテルやレストラン、ジャズバーでの演奏など、柔軟で精力的な活動を展開しているポールさんだが、こうした活動の一方で、毎週、無報酬で幼い子どもたちに音楽を教えている。「私自身がそうだったように、言葉を学ぶのと同じ要領で、音楽を自然に体得させることを目指しています」。実際、生後5カ月ぐらいの赤ちゃんが、バイオリンの音色を聞き、実際に弦に触ったりして、とても楽しそうに音楽に慣れ親しんでいるそうだ。街を歩いていると、自分が教えていた子供たちが、「こんにちは、センセイ!」と声をかけてくる。ポールさんの妻や娘はまだルーマニアにいるけれど、東京ではたくさんの子どもたちに囲まれているので幸せだとポールさんは言う。でも、その家族とまた一緒に住める日も近い。

「来年、私の娘が高校を卒業したら、東京に家族を呼び寄せることになっています。娘は、上智大学を志望しているんですよ」そう言って、ポールさんは顔をほころばせた。これからもずっと、東京からジプシー音楽の魅力を発信し続けてくれることだろう。

「多様性の中の統合」を体現するジプシー音楽
フランスでは「ジタン」、「マヌーシュ」、スペインでは「ヒターノ」、イタリアでは「ツィガーヌ」、ドイツでは「シンティ」、「ツィゴイナー」など、自称、他称のさまざまな名で世界に拡散するジプシー。近年では、政治的・人権的配慮の下、彼ら自身の呼称である「ロマ」が統一名称として用いられることが多い。

ハンガリーのBorsod-Abauj-Zemplen郡にあるBodvalenke村で、国際ロマ民族デー(the International Romani Day) を祝う人たち。この村の人口は95パーセントがロマだ cEuropean Union, 2013

ジプシーという名称は、英語のエジプト人(エジプシャン)が由来だと言われている。

ヨーロッパやペルシャの古い文献、あるいは言語学的推察によれば、現在ジプシーと呼ばれる人々は、インド北西部発祥だと考えられている。10世紀頃に、そうした人々の一部が西進し、トルコ、エジプト、中東からバルカン半島を抜けて、ヨーロッパ、果ては北アフリカまで移動、何世紀にもわたり差別等により苦難の歴史を歩み続けたといわれる。約一千年の間、熊使いの大道芸、冶金、占い、そして楽士などを代々の生業にしつつ、行く先々の土地の文化的要素を取り入れ、互いに影響を与え合い、また新たな音楽を生み出してきたその軌跡が、ジプシー音楽に多面性を与えている。

ジプシーの音楽は、バルトークやリスト、サラサーテなどクラシックの作曲家に多大な影響を与え、また、スペイン南部ではフラメンコを生み出した。現在でも旅を続ける人々もいるが、多くはスペイン、フランス、東欧の村々などに定住している。

ポール・フローレア プロフィール Paul FLOREA

1967年、ルーマニア・ブザウ生まれ。5歳からバイオリンを学び始める。ブカレストのジョルジェ・エネスク音楽高等学校、スピル・ハーレット大学の音楽学部で学ぶ。人気ジャズ・バイオリニストのフローリン・ニクレスクは音楽高校の同級生。20歳で国立オーケストラ・ラジオとジョルジェ・エネスク交響楽団に参加。1998年に来日、2004年まで長崎のハウステンポスの専属バイオリニスト、その後2009年まで、横浜の老舗ミュージックレストラン、アルテリーベを主な演奏の場とした。現在は東京在住。代官山のジャズバーでは、毎週ライブも行っている。

関連情報
ポール・フローレア/Tokyo Elite of Artists and Musicians ウェブサイト(英語)
参考図書 『ジプシーを訪ねて』(関口義人著、岩波新書)

ロマ、マヌーシュ
世界的な注目を集めているジプシー(ロマ、マヌーシュ)の音楽。日本でも近年、映画を通してジプシーの音楽に興味を持つ人が増えてきた。エミール・クリストリッツァ監督の作品「アンダーグラウンド」「黒猫・白猫」、トニー・ガトリフ監督のジプシー映画の3部作「ラッチョ・ドローム」「ガッジョ・ディーロ」「ベンゴ」は、衝撃的な映像と音楽世界を作り出している。中でも、「ラッチョ・ドローム」は流浪の民である彼らの音楽の旅を映像として初めて綴った音楽映像詩であり、ジプシー音楽の魅力と多面性を興味深く一気に見せる。

 

クラシックなひととき 記事

中世・ルネサンス時代(5~16世紀)  
クラペンクラペン
西洋の音楽は教会から!グレゴリオ聖歌がクラシック音楽のはじまり

グレゴリオ聖歌とはローマ・カトリック教会の典礼のための聖歌です。

中世のヨーロッパではローマ・カトリックこそが社会・文化の中心だったことから、このグレゴリオ聖歌はヨーロッパ各地で歌われ、発展していきます。

この頃の音楽はまだ楽器の伴奏などはなく、歌のメロディだけでした・・・。

このグレゴリオ聖歌がクラシック音楽のはじまりと言われ、ヨーロッパ各地で長い年月を経て変化していきながらも根付いていきます。

楽譜と音階の誕生

クラシック音楽のもととなったグレゴリオ聖歌にも楽譜が存在しました。
ただし今の形式ではありません。
「ネウマ」という記号を使って大まかな旋律の動きを示したメモ程度と言われています。
13世紀頃になるとやっと4本の譜線を用いるようになり、少しずつですが今の楽譜の形式に近づいてきました。そして現代で使われるド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの音階が誕生するのは17世紀。

次のバロック時代まで待つことになります。
中世・ルネサンス時代は現在、使われる音楽理論が確立されるまで長い年月をかけた試行錯誤の時代と言えます。

神への祈りから音楽作品へ発展
もともと音楽は教会から発展しただけあり、「神への祈り」が目的でした。しかし、中世も後半に差し掛かると教会の影響力もだんだん影を潜め、ルネサンスという文化運動の時代がやってきます。ルネサンスは文学、美術、建築の分野においては大きく飛躍した時代と言えますが音楽においても「神の祈り」という意味合だけでなく、作曲家という人間が作る一つの作品と認識されるようになります。

バロック時代(17世紀~1750年頃)
■バロック時代のポイント

器楽が発達しオーケストラが誕生した

拍子や長短調の概念が生まれ、今のクラシックの形式に近づく

宮廷でバレエやオペラが流行

イタリアから発展が始まったが後半はドイツに移行

このバロック時代からクラシック音楽の歴史が本格的に始まったといっても過言ではありません。

ルネサンスの流れから前半はイタリアから発展が始まりましたが、後半はJ・Sバッハやヘンデルの出現でドイツが中心となっていき、以後ドイツはクラシック音楽をけん引する立場となります。

バロック時代に活躍した作曲家

J・SバッハJ・Sバッハ

私が音楽の父と言われるのは今のクラシック音楽の基礎をまとめたからだよ

ヘンデルヘンデル

オペラやオラトリオの演奏会をメインにイギリスを中心に国際的に活躍したよ

ヴィヴァルディヴィヴァルディ

協奏曲というジャンルを確立しました。『四季』は私の代表曲です。クラシック音楽史上の最重要人物といっても過言ではないのはJ・Sバッハ。彼は今のクラシック音楽の基礎をまとめたとされ、後の作曲家に大きな影響を与えました。

ヘンデルはJ・Sバッハと同じ年に生まれた作曲家。実績こそ素晴らしいですが生涯、教会勤めのバッハに対し、イギリスをはじめ国際的に活躍したのがヘンデルです。作曲もオペラやオラトリオなど娯楽性の高い作品が多いです。

ヴィヴァルディは今では一般的で数々の名曲がある協奏曲というジャンルを確立した作曲家です。彼の作曲した『四季』はとても有名ですね。バロック時代の特徴や時代背景、有名な曲を紹介した記事もありますのでバロック時代の詳細についてはこちらの記事をご覧ください。

ロシア
ロシアの音楽においてもロマは重要な役割を果たしてきた。ロマがロシアに移住するようになったのは15~16世紀頃といわれている。エカチェリーナ2世の時代に大きく発達し、彼らの楽団は町のレストランなどにも出演するようになった。
19世紀にはより洗練されたものに進化し、モスクワやペテルブルクで持て囃されるアンサンブルも出現した。七弦ギターやフィドルの伴奏にのせて野太い声でソウルフルに歌うスタイルを特徴とする。ロシア革命までは大きく栄えたが1930年代になるとソヴィエト政府の方針によりロマの音楽は排斥されるようになった。

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note 


ローカルが原点 ロマ音楽
ロマは北インドに起源を持つ移動型の民族であり、中近東、北アフリカ、ヨーロッパなどで生活している。ロマは西暦1000年以前には北インド、ラジャスタンを離れ、放浪生活に入っていったと考えられている。一方、現在もラジャスタンで演奏家や旅芸人として生活しているロマもいる。ロマは以前は「ジプシー」と呼ばれていたが、ポリティカル・コレクトネスのため「ロマ」と呼称が変更された。

ロマは北インドをたった後、イラン、イラク、アルメニア、その他中近東に現れるようになった。西暦1050年頃には既に、コンスタンティノポリスで音楽の演奏をしていたと考えられている。15世紀ごろにはエジプト、スーダン、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ギリシャ、クロアチア、マケドニア、セルビアなどへと居住地を拡大、やがてヨーロッパ全域へと広がっていった。スペインのフラメンコの原型もロマの音楽とダンスであったと考えられるなど、彼らは放浪先の中近東やヨーロッパ各地の音楽文化に強い影響を与えてきた。

ロマの音楽の大きな特徴として、テンポや強弱の激しい変化や交替、細やかなリズムや奔放な修飾[1]、ソウルフルなヴォーカル、そして音高をすべるように移動するグリッサンドの多用などが挙げられる。音階の上では、和声的短音階の第4音を半音高くして二つの増二度音程を持つ独特の音階(ハンガリー音階などと呼ばれる)が用いられることが多いのも特徴である[1]。


ウイキペディア


ロマ音楽と語り部


ロマの昔のジプシー民族スタイル



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