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古代紫 イボタろう

「古代紫」とかイボタろう、と訊いただけで何のことか判らないひとも多いと思う。
日本の古典的仕事の経師屋とか染色家とか、今では数少ない職業の一つにもなった伝統工芸に関わっている人だったら、すぐわかるし、使い方も、ある程度知っていると思う。

私の場合は趣味で、それに類することをやっているので、その素材をまず調べて、今では専門品でも、ネット販売しているので案外、手に入りやすい。

そうした物を、いざ使うとなると、やはりこれもネット検索して、2.3例を勉強してから始める。

そんなことをしていると、もともとの素材は、何時からできていて、どうやって作るのか、ということも知る。
いまあるものは、殆ど紀元前より開発、製品化されたものがほとんどで、地球の中の資源の一つとかんがえれば、当然のはなしだ。

その「イボタろう」という「ワックス」のような「固体蝋」は、その使用範囲が広くて、なおかつオーガニックなため、食品に使われるという品物だった。
詳しくは記事にあるので読んでもらいたい。また色素の「古代紫」も、とても手間のかかる抽出で、なるほど古代の「群青色素」が「金」より高い、というのも頷ける。

イボタろう」と、かいがら虫

イボタろう 2022年05月12日記事

カイガラムシの資源生物としての利用は、多くの場合体表に分泌される被覆物質の利用と、虫体体内に蓄積される色素の利用に大別される。

被覆物質の利用で著名なものはカタカイガラムシ科のイボタロウムシ Ericerus pela (Chavannes, 1848) である。イボタロウムシの雌の体表は薄いセルロイド状の蝋物質に覆われるだけでほとんど裸のように見えるが、雄の2齢幼虫は細い枝に集合してガマの穂様の白い蝋の塊を形成する。

これから精製された蝋はイボタ蝋(Chinese wax)と呼ばれ、蝋燭原料、医薬品・そろばん・工芸品・精密機械用高級ワックス、印刷機のインクなどに使われている。主な生産国は中国で、四川省などで大規模に養殖が行われている。

かつては日本でも会津地方で産業的に養殖された歴史があり、会津蝋などの異名も持つが、現在[いつ?]では日本国内では産業的に生産されていない。会津蝋で作られた蝋燭は煙がでないとされ珍重された。

色素の利用で著名なものに中南米原産のコチニールカイガラムシ科のコチニールカイガラムシ Cochineal Costa, 1829 がある。エンジムシ(臙脂虫)とも呼ばれ、ウチワサボテン属に寄生し、アステカやインカ帝国などで古くから養殖されて染色用の染料に使われてきた。

虫体に含まれる色素成分の含有量が多いので、今日色素利用されるカイガラムシの中ではもっともよく利用され、メキシコ、ペルー、南スペイン、カナリア諸島などで養殖され、染色用色素や食品着色料、化粧品などに用いられている。日本でも明治初期に小笠原諸島で養殖が試みられた記録があるが、失敗したようである。コチニール色素を参照のこと。

こうしたカイガラムシの色素利用は新大陸からもたらされただけでなく、旧大陸でも古くから利用されてきた。例えば地中海沿岸やヨーロッパで古くからカーミンと呼ばれて利用されてきた色素はタマカイガラムシ科の Kermes ilicis (Linnaeus, 1758) から抽出されたものだった。

カイガラムシ起源の色素はすべてカルミン酸とその近縁物質で、この名称はカーミンに由来する。ネロ帝の時代に、ブリタンニア地方に生息していたカイガラムシを染料として利用する方法が発見され、属州から税金の代わりにとして納められていた時代もある。

虫体被覆物質と虫体内色素の両方を利用するものに Lac に代表されるラックカイガラムシ科のラックカイガラムシ類が挙げられ、インドや東南アジアで大量に養殖されている。ラックカイガラムシの樹脂様の虫体被覆物質を抽出精製したものはシェラック(Shellac、セラックともいう)と呼ばれ、有機溶媒に溶かしてラックニスなどの塗料に用いられるほか、加熱するといったん熱可塑性を示す一方で、ある温度から一転して熱硬化性を示すので様々な成型品としても用いられ、かつてのSPレコードはシェラック製だった。化粧品原料、錠剤、チョコレートのコーティング剤としても使われる。
また、ラックカイガラムシの虫体内の色素は中国では臙脂(えんじ)や紫鉱、インドではラックダイと呼ばれ、染料として古くから盛んに用いられた。
また、特殊な利用に糖分を多く含んだ排泄物の利用がある。旧約聖書の出エジプト記にしるされているマナと呼ばれる食品は、砂漠地帯で低木に寄生したカイガラムシの排泄した排泄物(甘露)が急速に乾燥して霜状に堆積したものと推測されている。
ウイキペディア

紫はなぜ高貴な色 (前編)
人は何故色を好むのか。 答えはない。 日本人の行動パターンを見ると、 人は同じであることを望むと同時に、 一方では人と違っていることを強調する面もある。 例えば、 葬式では黒一色、 小学校の入学式の母親は殆どが黒の羽織。 入社式も紺色かねずみ色のスーツである。 しかし昨今では人と違っていることを強調する面が出てきて少し色が変り始めたようである。
黒の色は複雑であり、死、悲哀を示す一方高級感をあらわす色となっている。青色もよくわからない。ブルーカラーは工場作業者を示す言葉であり、 一方イギリス最高勲章ガーター賞のリボンに使われ、 また高貴の生まれを示す英語はBlue Bloodとなっている。 黄色はイエスを売ったユダが黄色い衣服をつけていたとのことで “いやな” 色となっている。 一方、 紫は権力と尊厳を示す色であった。 染色における紫という色の稀少価値が特別な意味をもたせるからであろう。 紫の染料は得がたく貴重であった。 旧約聖書(紫紙の旧約聖書 : スウェーデンのウプサラ大学とオランダのライデン大学にある旧約聖書。)や地中海の王侯界では貝紫が紫色の染料として使われた。
貝紫は別に古代紫、 ロ-マ紫、 帝王紫などとも呼ばれ、現在でも多くの人々を魅了して止まない色素である。 人類の古代文明と挙動を共にしてきた染料であったことが最近次々と明らかにされ話題を提供している。 遺跡や石の彫刻は大いなる時代の隔たりを訴える質感を漂わせているが、貝紫は全く昔のままの色を鑑賞できる。 英雄の物語に生命感を添えるものとして、 またとない素材ではなかろうか。大王アレキサンダーも感嘆した色であり、 シーザー等もこの色を王侯以外に使用を禁じて権威の象徴とした。 また、 アントニウスは倒した旧友ブルータスに紫衣を静かにかけたとも伝えられている。その他貝紫に関する話題は多く、 歴史の興亡さながらに英傑達とのはかないめぐり合いの華麗な役割を遂げ地中海から姿を消した貝紫に焦点を当ててみよう。
英語辞典のTyrian purpleには古代ローマ人などがアクキガイの分泌液からとった赤紫の染料とある。古く紀元前1400年前頃より、 フェニキア(現在のレバノン)でホネガイから得られたと伝えられ、 生産量の少ないこの高貴な色調で染められた布は黄金に劣らぬ価値を持ち、正に「帝王紫」であった。例えば、ドイツ人Friedlanderは12,000個の巻貝シリアツブリから僅か1.4gの貝紫を単離出来た。彼は次に貝紫色素の化学構造も明らかにした。 貝紫染めに使われる貝は分類学的にはアクキガイ科に限られる。 色の前駆体は貝の鰓下腺(サイカセン)(又はパープル腺)に含まれている。 鰓下腺をピンセットで取り出して、 その乳白色の分泌液を布などにしみこませ、 光を当てると酸化と光変化で次第に淡緑色から濃緑色、青紫色を経て赤紫色に変っていく。 ペルーやメキシコの海岸線や日本でも志摩の海女さんが磯衣や手拭に貝の内臓をこすりつけて図形を描き、 魔除けとしたことが知られている。 海女が磯衣などに名前を書くとき、 墨などでは海水で消えるが紫液で書くと消えないと記述されている。
最初に貝紫が単離されたのはシリアツブリであり、 日本産のアクキガイ科(アクキ貝はアサリやアカガイなど二枚貝を食す太敵であることから二枚貝の養殖業者にはあまり歓迎されていない。)のイボニシ(殻長2 - 3cm、殻径1.5 - 2.5cm)、 レイシ、 アカニシからも貝紫が得られる。 (日吉芳朗先生(石川県立輪島高校)の方法:やや凍結を解いた貝5-10個をかなづちで割り、 ピンセットで鰓下腺を取り出す。 鰓下腺をビーカーの壁に塗り広げて数分間置き、 エーテル5 - 10mlを加えてよくかきまぜる。 さらに、 時々かきまぜながら30-40分間放置し、 抽出液を濾紙で濾過する(以上の操作は暗室で)この炉液を日光にあてると赤紫色の沈澱が生じ、 エーテルを蒸発し去ると貝1個につき貝紫1-2mgが得られる。 エーテルの代わりにアルコールでも良い。) この色素生成のときに出る悪臭(イオウ系のガス発生)のため、 フェニキアに工場のあったチレの町全体が悪臭の中にあったと伝えられている。

画像 能登半島で採取される貝紫を生ずる貝 (左よりアカニシ、 レイシ、 イボニシ) 荘一


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