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第三者検証という立場でのモヤモヤ

僕のQA人生の1/3くらいは自社プロダクトの品質保証をしているが、第三者検証会社からの常駐という形で、品質保証業務を行っていた。

第三者検証会社時代に、僕が何にモヤモヤしていて、なぜ今、そこにいないのかを書いてみる。
ちなみに、どちらが良いとか悪いとか、そういうことを書きたいわけではない。

僕のざっくり経歴
組み込み系の製品のソフトウェア品質保証チームに8年。
BtoB WebサービスのPMO兼QAとして半年。
誰もが知っているIT企業にQAとして1年。
TVCMでおなじみの不動産サイトにQAとして半年。

最初の8年間の内、5年くらいは正直、自分が外部検証会社であるとか、そんなことを気にしたことも無い。
目線も、この企業のプロパーとそんなに変わらなかったと思う。
所属している会社とか関係なく、同じ製品を良くしていく仲間だと思っていた。

しかし、この時期にちょっとしたモヤモヤが芽生え始める。
自分の考える品質保証は、自社では評価(昇給)につながらないのではないか?っというもの。

それを強く感じた出来事として、自分が所属している会社から

〇〇人増員出来たこと

を評価された時だ。
まぁ評価されているのだから、特に文句があるわけでもないのだが、違和感を感じた。

ざっくりいうと、仕事の質より、リソースの量のほうが評価(給料)に直結しているように感じたのだ。

日に日に僕の中で、モヤモヤが増していった。

この辺りから、僕のQAというものに対する自問自答が繰り返されるようになる。

第三者検証会社として常駐すると、どこまで言っても、お客様は常駐先の企業になる。
もちろん、QA業務をしている時にそんなことを考えているわけではない。
ただ、お金の流れと構造を考えると、どうしてもそうなる。

第三者検証会社のユーザーは常駐先の企業。
常駐先の企業が向いているユーザーは実際のサービス利用者。

この違いは、かなり根が深いと感じた。

この些細な違いが、自分に対して、どのようなことに影響をもたらしていたのか?

それは、1歩目の速さだった。
本能のまま、脊髄反射的に行動に移せるか否か。

常駐先をユーザーとしてしまうと、どうしても僕は頭で一度、考えてしまう。
失礼が無いか?
そこまでやっていいのだろうか?
間違っていないか?
など、昔ながらな考えというか、縦割りベースの意思決定というか、回りくどいというか、常に冗長というか、なんというか。

同じような立場なのに、そんなことを気にせず、1歩目を踏み出せる人もいる。
僕も、最初に8年常駐した企業では、すべての垣根を超えて活動出来ていたように思う。

しかし、自社での評価時期になると、必ず現実に戻される。

感覚値的には、いい仕事をしていたとしても、自社からくだされる評価を見て、モチベーションが下げられる。
「まぁしょうがない」
そんな言葉で自分を騙して、また次の日から始めていく。

僕の頭では、品質保証という活動を行う上で、そもそも構造として複雑すぎてついていけない環境だったのだと思う。
自分の幸せに直接は繋がっていない毎日を過ごすことに、虚しさを感じずにはいられなかった。

また、僕はソフトウェア品質を研究したいわけではない。
バグ出しゲームしたいわけでもない(そんな時期もあったが。。。)

サービスによって、そのサービス利用者が豊かになることを信じて、QAという仕事がしたい。

その仕事の結果として、自分自身も豊かになっていけたら。。。

このモヤモヤと向き合い、出した結論は、環境を変えるしか無いということ。
自社プロダクトに対して、品質保証の仕事が行える環境に身をおくことを決意した。

環境を変えたら、このモヤモヤは消えた。
僕は自分の信じる品質保証活動に、シンプルに向き合えるようになった。

第三者検証会社時代、色々な企業の文化に触れ、尊敬できる人からたくさん大切なことを学び、たくさんの失敗をしてきた経験は、間違いなく今に活きている。
一人の人間として、つながっていたいと思える人たちとの出会いもたくさんあった。
QAを仕事としてするのに必要なことの基本は、すべてここで学んだ。

第三者検証という関わり方の会社はたくさんある。
僕が知らないだけで、会社によっては、今回書いたようなモヤモヤを感じないような仕組みを実現しているところもあるかもしれない。

繰り返しになるが、第三者検証というものを否定しているわけでも、悪く言っているわけでもない。

僕という人間は、第三者検証という立場では、羽ばたけなかった。
その立場で羽ばたこうとも思わなかった。
その立場自体がモヤモヤにつながっていた。

というただの思い出話。

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