加速する懐古趣味とデジタルデトックス

数年ぶりに腕時計を付けるようになった。

スマホがあるから時間はそれで確認すればいいし、時計をしていないと格好がつかないような仕事でもないし……ということで、ここしばらくはずっと引き出しの奥にしまいこんでいたんだけど、アクセサリーを出す時にふと目に留まった。
最近SNSをあまり見なくなったことで、スマホを見る機会も減ってきたので、時計を付けてみようかなと思った。まだ慣れなくて時間を確認する時にもスマホを見てしまうことは多いけど、時間を確認するためにわざわざ袖をまくって時計を見るという行為が、なんだか新鮮で楽しい。

ここ最近、懐古趣味が加速している。純喫茶めぐりをしたり、古着屋で服を買ったり、フリマアプリでヴィンテージバッグをひたすら見たり。骨董市とか蚤の市的なものも好き。古いもの、歴史があるものに、無性にときめくのだ。

それにあわせて……というわけではないが、インプットの方法も懐古寄りになっている。以前はSNSで読みたいメディアのアカウントをフォローして更新情報をチェックしていたけど、あれもこれも、とフォローしすぎて見きれなくなった。厳選したいくつかのサイトをFeedlyに登録して、チェックするようになった。
新聞もちょこちょこ読むようになったし、テレビもよく見るようになった。テレビ、意外と面白い。つまらないのもあるけど。「テレビがつまらなくなった」は、ある意味では本当かもしれないけど、すべての番組がつまらない訳じゃない。「Youtubeは面白い」がすべての動画に当てはまらないのと同じことで。

「ビジネスマンは時計すべし」「新聞読むべし」みたいなのって古いしダセェよと思ってたけど、最近はそういう行為が逆に新鮮で、面白く感じるようになってきた。「〜すべし」っていう謎の型にはまってやるのがダサいだけで、行為そのものがダサいわけじゃないからね。

前は、ツイッターでフォローしている人のつぶやきとか、シェアする記事とかから情報を得ていた。はてブのアプリも入れていて、ホッテントリはだいたい毎日チェックしていた。ネットの中で流行ってるものを知るには、手っ取り早い方法だと思う。単純に好きでやってたというのもあるし、私はWebメディアで文章を書いているから、ネタを集める意味でもあった。

でも、すでに流行っているものを元に企画考えてもなぁ……とか思い始めてしまったのだ、生意気にも。そういう記事の存在そのものを否定したい訳ではなくて「作る過程」において完成図が予測できるものは少し退屈に感じるようになってしまった、ということ。すごい簡単に言うと、「慣れてしまったから飽きた」のだ。だって、ガラス細工でコップ作るとして、初めて作るときは新鮮だし楽しいけど、同じコップを何個も何個も作ってたら飽きるでしょ。他の形も作りたい、コップじゃないものも作りたいってなるでしょ。

あとは、触れる情報が多すぎて、不要なものもけっこう入ってくるのが、だんだんノイズのように感じられてきた……というのも、インプットの方法を変えた理由のひとつ。ツイッターだと、フォローしてる人が「いいね」したツイートもタイムラインに上がってくるようになったのが、けっこう鬱陶しくて。インスタの広告も最近目に余るようになってきた。
そういう意味で言うと、noteは自分がフォローしている人の記事が流れてくるから、シンプルでとてもいい。

ツイッターやネットニュースから離れると、流行りには疎くなる。でも、自分が必要としているものが必要な分だけ入ってくるのは心地いいし、頭もすっきりクリアな感じで、なかなか調子がいい。

人間の脳が処理できる情報量には限界があるけど、ネットが登場してから、私たちの脳みそは許容量以上の情報をじゃんじゃか浴びている状態なのだ。
処理し切れない量の情報がどんどん入ってくるって、ずっと走り続けているみたいな状態に近いんじゃない? そりゃ疲れるよね? と思う。脳みそも体の一部だから。

デジタルデトックス的なものに興味もなかったし、必要性も感じていなかったけど、悪くないなと思う。

時代に逆行しているのかもしれないけど、まぁ自分が心地いいならなんでもいいのかな。だから私は今日も明日も、朝は新聞を読み腕時計をはめて出かけて、夕飯を食べながらテレビを見ようと思う。

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中村 英里

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