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6年後の未来は、2人の過去にどんな変化をもたらしたのか——映画『マチネの終わりに』

時々、「選ばなかったほうの人生」に思いを馳せることがある。

大なり小なり、生きていく中で、私たちはいろいろな選択をする。どちらを選んだとしても、正解だったかどうかはわからない。なぜなら、選択の地点まで戻り、選ばなかったほうの人生を改めて選び直して比較することはできないから。選んだ人生の中で、最善を尽くすしかない。

でも、時々思う。もしもあの時何かが少しでも違っていたら、私は「選ばなかったほうの人生」を選ぶことだって、あり得ただろう。受験する学校を決める時。就職先を選ぶ時。恋人と付き合う時、そして別れる時。多くの選択をする過程で、私がかつて選ばずに通り過ぎてきたものたち。もしあの時別の道を選んでいたなら、今頃どんな人生を歩むことになっていたのだろう?

映画『マチネの終わりに』を試写会で観たとき、「選ばなかったほうの人生」を見させられているような気持ちになった。

世界的に有名なクラシックギタリスト・蒔野聡史と、パリの通信社に勤務するジャーナリスト・小峰洋子。ともに40代という独特で繊細な年齢を迎えていた2人は、出会った瞬間からお互い強く惹かれ合う。陽子には婚約者がいたが、蒔野は高まる思いを抑えきれず、陽子に思いを伝える。陽子もその思いに応えることを決め日本に向かうが、ある出来事が原因で、決定的に2人はすれ違ってしまう。

すれ違いの要因の「ある出来事」は、劇中の人物が意図的に引き起こしたことで、それによって2人は不自然に引き裂かれた。そのたった1つの出来事がなければ、蒔野と洋子は2人で生きる道を選んでいただろう。

『マチネの終わりに』は、同名のタイトルの平野啓一郎氏の小説が原作だ。原作には、こんなフレーズが出てくる。

 洋子は自分が、出口が幾つもある迷宮の中を彷徨っているような感じがした。そして、誤った道は必ず行き止まり、正しい道へと引き返さざるを得ない迷宮よりも、むしろ、どの道を選ぼうとも行き止まりはなく、それはそれとして異なる出口が準備されている迷宮の方が、遥かに残酷なのだと思った。

(『マチネの終わりに』第六章)

数ある人生の分岐点。正しい道が1つあるわけではなく、どの道を選んだとしても、人生は続いていく。

本来選ぶはずだった道を選べず、「選ばなかったほうの人生」を別々に送る、2人の6年間。仕事やプライベートで様々な起伏があり、その過程で迷ったり、幸せを見つけたり、傷ついたりもする。

選ぶ道によって、出会いもあれば別れもある。
もしも、どの道を選んだとしても結果的に巡り会うことになるのであれば、それは運命なのだろう、とも思う。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

これは、蒔野と洋子が初めて出会ったときの食事会のシーンで、蒔野が言った言葉だ。

洋子は幼少期に、庭の大きな石をままごとに使って遊んでいたが、一昨年に洋子の祖母は庭で転倒し、その岩に頭をぶつけて亡くなってしまった。過去の楽しかった記憶は、ただ楽しいだけの記憶ではなくなった……。そんな洋子の話を聞き、蒔野は「未来は過去を変える」と語った。

「未来は過去を変える」。この言葉は、劇中に何度も登場する。楽しかった記憶が悲しみを孕んだ思い出に変わることもあれば、辛かった過去が未来によって救われることもあるだろう。

別々の道を歩んでいた2人が6年後に再会するという「未来」は、2人の過去をどのように変えるのだろうか。

『マチネの終わりに』は、東京・パリ・ニューヨークの美しい街並みと繊細なギターの音色とともに、大人の恋愛を存分に楽しめる映画だった。
原作のほうには、2人のより詳細な心理描写や、時勢を取り入れたエピソードも盛り込まれているので、そちらと併せて鑑賞するとより楽しめるのでは、と思う。


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中村 英里

浅草出身のフリーライター。街歩き記事やインタビュー、エッセイを執筆|イラスト、写真、読書、純喫茶めぐりが好き|おさんぽWebマガジン「てくてくレトロ」運営→https://tekutekuretro.life |Web Site→https://2erire7.com/

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