Twitterで仕事を受けたら、売却したかつての我が家に再会できた

今日は入谷へ行き、地域に根付いてまちづくり事業をやっている会社の代表の方へ取材をした。

この取材は浅草を紹介するメディア「COREZO!ASAKUSA」を運営する方が、私のTwitterに書いてある「浅草出身」というプロフィールを見てライター依頼の連絡をくれて、実現したもの。SNSで仕事が来るんだな、すごいなー、なんて思いながら取材に向けて事前にその会社のことを調べていたら、まさかの事実が発覚した。

私の家は昔浅草で履物問屋を営んでいたのだが、商売が立ち行かなくなり、私がまだ幼いころに店をたたんだ。そのあと住居兼店舗だったその場所にしばらく住んでいたが、大学のころに物件は売りに出すことになり、浅草の別の場所へ引っ越した。
その物件は長らく誰にも使われていなかったが、しばらくしたらシェアオフィスになっていた。引っ越したとはいえ近くには住んでいたのでそのことは知っていたが、外から見ることはあっても中に入ったことはなかった。

そして月日は流れ、今日の取材相手の方のことをネットで調べていたら、「浅草でシェアオフィスを経営」と……。
あれ???? と思ってシェアオフィスのWebページを見ると、見慣れた外観。それは、昔の我が家だった。かなりの衝撃で、「おかーさん!! 取材先の人が!!!!!!!」と母にLINEで報告。母もびっくりしていた。

シェアオフィスにするにあたり、内装をリノベーションしたようで、Webページにはリノベーションしていく過程の写真のスライドが載っていた。

住人がいなくなって朽ち果てた、築50年以上の家。

店舗だった1階にある昔靴を並べていた棚は、ほこりまみれだった。右奥の隅には扉が見える……たしか、ここはトイレだ。和式でレバーを引っ張って水を流すような、ものすごく古いものだった。
店の奥、ガラス戸の先には台所がある。床は腐ってボロボロ。保存食なんかを入れていた、床下収納の扉も外れてしまっている。

流しの右側にはお風呂が写っている。ドアが外れている……リノベ時に外したのかな? わからないけど。お風呂の床は小石を散らばしたような、変なデザインだった。これまた古〜いタイプのお風呂で、外気が入りまくりで寒かった。

2階に上がる階段の写真もあった。ほこりまみれだ。この階段はめちゃくちゃ急だった。ふざけて家の中を走り回って階段の降り口の近くですっころんだ時には、「階段から落ちたらどうするの!!!」とお母さんにものすごく怒られた。

2階には勉強机を置いていた。出て行くときに置いていったはずだけど、写っていない。撤去されたんだろうか。

ここにテレビがあった、ここにはパソコン、あそこに妹と二人で写った写真が飾ってあった……。

いくらでも思い出せた。

家そのものが古いし、大通り沿いだから車の音もうるさいし、正直住みやすい家ではなかった。
もともと店だったから、出入り口はシャッターしかない。友達の家はみんなドアを開けて出入りするのに、「ただいま〜(ガラガラ)」といつもシャッターを開けるのが、恥ずかしくて嫌だった。

いろんなことを思い出しながら朽ち果てた我が家の写真を眺めていたが、しだいに改修されていく様子に、写真が移り変わっていった。
タオルを巻いて、マスクをした人たちによって、扉は外され、床は剥がされ、壁も張り替えられていく。

私の家が。

壊されていく。

息が止まりそうに、苦しくなった。あんなに嫌だ、恥ずかしいと思っていた、古い家だったのに。

それでも見る手を止められずに、どんどんスライドを進めた。そして、改修後の写真に切り替わった。

1階の靴が置いてあった棚には植物などが陳列されていて、カフェのような雰囲気。私が住んでいた時からすでにぼろぼろだった床も、きれいになっていた。
2階にもおしゃれな照明が取り付けられ、おしゃれなソファーが置かれ、Macが置かれているオフィススペースになっていた。

改修後のシェアオフィスの1階は、イベントスペースとして使われていたらしい。イベントの写真を見ると、売り物の靴がなくなり、がらんとした棚だけが残っていて使いようもなかった1階は、たくさんの人で賑わっていた。
家族4人で住んでいた2階にも、シェアオフィスの借り手だろうか、たくさんの人が笑顔で写っている写真もあった。

商売をたたんだあとは社員やお手伝いさんもいなくなり、祖母は痴呆で施設にいったので最後は家族4人で住んでいた。(祖父は私が産まれる前に亡くなっていた)
そのがらんとしていた家で、たくさんの人が楽しそうに笑っている。
その様子を見て、胸の中にずっとあったモヤモヤしたものが、晴れたような気がした。

実はシェアオフィスになったあとに、家の前を通りかかることは何度もあった。シャッターはだいたい空いていたので、ガラス戸の中を覗いて「イベントやってるな」「中にカフェメニューみたいなのがあるな」と、気になっていた。でも、中の人と目が合いそうになると、急いでそらして通り過ぎた。
出入り自由の1日カフェみたいなのも、ちょくちょくやっていた。でも、中に入る気にはなれなかった。

20年近く過ごした、私の家。
毎日「ただいま」と言いながら帰ってきていた、私の居場所。
そこに、知らない人がたくさんいる。
それは、どうしても受け入れにくいことだった。

シェアオフィスになる前は「おしゃれなカフェとかになったら来てみたいな」なんて思っていたのに、いざ完成してみると、どうしても入れなかった。

どうして私の家に、知らない人がいるの?
なんで私の家は、私の家じゃないの?
私は、もうここに帰ってこられないの?

この複雑な気持ちをどう表現したらいいのかわからない。
さみしい。悲しい。虚しい。切ない。すでにある言葉はどれもしっくりこない。胸の中にじわっと黒いもやが広がるような、あのなんとも言えない感覚。

でも、リノベーションのその様子を見て、笑顔の人たちの様子を見て、あぁ、こんなふうに使ってくれてありがとう、と心から思った。
私たちでは面倒を見切れず、手放し、朽ち果てたあの家を、こんなに綺麗にしてくれてありがとう、と。

そのシェアオフィスは数年ほどで閉じ、その後別のお店が入れ替わり立ち替わり入っているようだ。リノベーションされない状態だったら借り手もずっと見つからなかっただろうから、本当にありがたいなと思った。

今日インタビューの時に、「実はあの家に住んでいたんです」という話をした。インタビューの内容とは関係がないから、アイスブレイク程度に最初に少しだけ。

そうしたらすごく驚いていた(当然か)。そして「あの場所から始まって、いろんな地域の方とのつながりもできて、新しいプロジェクトも生まれたんですよ」ということだった。

時とともに人の居場所は替わり、その場所にいる人も変わる。なくなるものもあれば、新しく生まれるものもある。それは当然のことでもあり、偶然により起こることでもあり、嬉しくもあり、悲しくもある。

人間の脳は本能的に「変化」を嫌うようになっているそうだ。私がかつての我が家に起きた変化を、快く思わなかったように。だが、その変化により生まれたものを知ることで、「もうあの家は、私の家ではないんだ」とやっと受け入れることができたような気がする。

SNSを通じた偶然の出会いに、心から感謝している。

▼追記:取材をして出来上がった記事はこちら


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中村 英里

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