浅草で70歳の純喫茶の終焉を見届けたとき、「まだ会える人」を大切にしたいと思った

私はあのケーキが大好きだった。
幼いころにおやつとして母や祖母がよく買ってきてくれた、黒と白のバターロールケーキ。いつも「どちらを食べよう」と迷ってしまう。ホワイトチョコでコーティングされた白の方が好きでそちらを選んで食べるけど、「やっぱり黒も食べたい!」と言って、チョコレートでコーティングされた黒いケーキも食べてしまうのだった。

昭和21年創業の、浅草の喫茶店「アンヂェラス」が、2019年3月17日をもって閉店する。
手塚治虫や池波正太郎など、多くの著名人も通っていたというそのお店は、純喫茶好きの間ではとても有名で、休日は行列ができるほど混雑することもある。

黒と白のバターロールケーキは、店名を冠した看板メニューである「アンヂェラス」というケーキだ。買ってきたものを家で食べることがほとんどだったので、どこのお店の何というケーキなのかなんて知らなかった。
大人になって「あのケーキ、そんな有名なやつだったんだ」と知ったときはびっくりした。

初めてイートインでケーキを食べたのは、浅草の実家を出たあとだった。実家にいるときは「いつでも行ける」と思ってしまって、行かなかったのだ。実家に帰る用事があり、そのついでに寄ってみた。
懐かしのアンヂェラスのケーキ。白い方を食べた。今風の生クリームたっぷりで豪華なケーキではないけど、シンプルで、上品で、言うまでもなく美味しくて。あぁやっぱり好きだ、と思った。

私が生まれるずっと前から、そこにあったお店。これからもずっとずっと、そこにあるものだと思っていた。
実家を出たとはいえ都内に住んでいるので、行こうと思えばいくらでも行ける。だから「そのうちまた行こう」と思っていたら、「そのうち」が来ないまま、閉店することを知った。

閉店を知ってもなお「閉店までには行こう」とぐずぐずしていた。閉店まであと3日と差し迫った14日。朝目覚めて、天気がよくて、「今日アンヂェラスに行こう」と急に思い立った。バタバタと支度をして、その日やる予定だったことを全部すっ飛ばして浅草に向かった。

お昼過ぎに到着したら、予想通りの大行列。着いた時点でケーキは完売していて、並んでいるうちにドリンク以外のメニューはすべて終了した。残念だけど仕方ない。
1時間半ほど並び、入店。ウインナーコーヒーを注文したら3分ほどで出てきた。ものすごいスピードだ。提供を早くして、行列のお客さんが少しでも早く中に入れるようにという配慮なのかもしれない。あたたかいコーヒーを口にしたら、行列で冷えた体が少しゆるんだ。

懐かしい、と思った。
はっきりと覚えてはいないが、1階のショーケースがある眺めにはうっすら見覚えがあった。多分、幼いころに来たことがあったのだろう。誰と一緒だったかは覚えていない。母だろうか、それとも。

ふと、祖母のことを思い出した。昔は父方の祖母の家の近くに住んでいて、よく遊びに行っていた。おやつも買ってもらった覚えがある。言問団子、梅園のあんみつ、舟和のいもようかん……あのころはよくわからずに食べていたが、どれも浅草ならではの有名なおやつの数々。その中にアンヂェラスのケーキもあった。

たしか、私が小学生くらいのころだっただろうか。祖母は認知症になり、しばらくは家で介護をしていたがそれも難しくなり、施設に入った。両親や親戚が介護にあたっていたが、私はほとんど会いに行かなかった。
久しぶりに会ったのは体調を崩し入院しているときだった。体が弱っていたので「もうそろそろ、保たないだろう」という状態。その後少し持ち直したがしばらくして亡くなった。

「どうして、会いに行かなかったんだろうなぁ」と後悔した。ひどい話だけど、仕事や日常のあれこれを優先させていて、祖母に会いに行こうと考えたことがなかった。「会おうと思えばいつでも会える」という気持ちもどこかにあったような気がする。でも結局、会いに行ったのは具合が悪くなったときで、その後亡くなった。もう、会えなくなってしまった。

どうして「いつでも会える」なんて思ったんだろう。
人は必ず死ぬなんて当たり前のこと、わかっていたはずなのに。

アンヂェラスを出たあと、ふらふらと浅草を散策した。
浅草公会堂の「スターの広場」には、浅草にゆかりのある著名人の手形がびっしりと並んでいる。幼いころは誰のものかもよくわからないまま、いろんな手形に手をあてて遊んでいたっけ。

伝法院通りを通って、昔フランス座があったあたり、今は寄席を楽しめる演芸ホールなどがある「六区」の方に向かう。
伝法院通りの両脇にずーっと立ち並ぶ店舗は、味のある、レトロなたたずまいだ。昔はもっと古臭い見た目だったが、一度大掛かりな改装をして綺麗な外観に整えてからは、ぐっと見栄えが良くなった。お店ごとのシャッターにもイラストが描かれている。夜遅く、お店のシャッターがすべて閉まったあとはそのイラストが一望できて、昼間とはまた違った見事さがある。

六区にあるお気に入りのアンティークショップ「東京蛍堂」へ。ここは、10年ほど前にできたお店だ。
「え、この隙間?」みたいな路地のずーーっと奥の方に入口があり、ものすごく入りにくい。一度勇気を出して入ってみたら、質の良い古着や雑貨が揃っている素敵なお店だった。今回は、春向けの薄手のコートとアンティークパーツを使ったピアスを購入。
アンヂェラスの閉店は建物の老朽化が理由とのことだったが、ここもかなり古い建物だ。いつかなくなってしまうのだろうか。

帰り際、駅の近くのカフェにも立ち寄ろうか……と思いながら駅に向かっていったら、建物全体がネットで覆われていてドキっとした。
「ギャラリー・エフ」というカフェだ。浅草に住んでいたころに度々利用していた。休日にランチを食べたり、夜はお酒も飲めるので、会社帰りに1杯だけ飲んでから帰宅したり。古い蔵があって、そこで展覧会やイベントをやっていることもある。以前は「銀次」という看板猫がいたのだが、数年前に亡くなってしまった。

ここも閉店してしまうのか……? と思ったら「1ヶ月お休みします」と張り紙に書いてあって、閉店じゃないんだとホッとした。次来るときはここに寄ろうと思い、電車に乗った。

帰り際、母に「アンヂェラスが17日に閉店するって知ってる?」とLINEを送ったら、閉店が今月末だと勘違いしていたみたいで「え、17日まで?! ちょうど明日仕事が休みだから並んで買うわ!!」と鼻息荒めのメッセージがきた。後日確認してみたら、3時間並んで無事買えたようだ。よかったね、母……私の分までケーキを堪能してくれ。

父方の祖母は亡くなってしまったが、母方の祖母は元気だ。都内に住んでいて、幼いころはよく会っていたが大人になるにつれ会わなくなっていった。先日、久しぶりに会いたい! と思い立ち、母経由で連絡を取ってもらっている。会うのがすごく楽しみ。

行きたいと思ったらすぐに行って、会いたいと思ったらすぐに会いにいく。人も場所も「永遠」じゃないから。忙しさを理由に大切なものを後回しにして、後悔しないように。

(表に飾られていた、アンヂェラスのサンプル。長い間、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました)

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中村 英里

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