「恥をかくようなものを書いていない」という危機感

「物を書くということは、恥をかくということだから」
ある人に言われたこの言葉が最近、身に沁みる。

世の中には、SNSをやらない人なんて沢山いるし、ブログを書く人はもっと少ないだろう。晒す必要のないものも言葉にして、人目に触れる場所に置くなんて、そういう人たちからしたらとんでもなく恥ずかしい行為だろう。

最近、恥をかくような物を書いていない。

約1年前、ライティングの講座に通っていた時、課題として週に1本文章を書いていた。主にエッセイ、たまにフィクションも。
どの文章も、読み返すととても恥ずかしく感じる。文章の上手い下手は関係なく、過去の私から漂う青臭さに耐えられなくなるのだ。昔の日記を読み返した時の感覚に似ている。
元来、自分の中に「ここからこっち側の気持ちは言わない」という線引きがあった。会話の中でもその線引きは無意識に守っていたし、文章を書くときはいつも、自分の領域を守るために、抽象的な表現にしていた。恥ずかしいから。傷つきたくなかったから。

でも、物を書くことを生業にしたいのなら、それを避けて通ることはできないだろう。そう思って、課題のエッセイを書く時は、言葉にすることをためらっていた生々しい思いの数々を、文章にしたためた。
そういう物を書くときは、ものすごく消耗するのだ。気軽に書けない。ぐっと集中して、それをずっと保っておかないと、書き上げられない。身も心もごっそり削られるような気持ちになる。

講座が終わる頃には、ライターの仕事が入るようになっていて、次第にお金をもらえる仕事の方にリソースを割くようになっていった。なので正直、講座の最後の方はあまり課題に力が入らず、惰性で書いた文章を提出してしまったこともあった。
仕事として主に受けていたのは、インタビュー記事。ありがたいことに、仕事は順調に増えていった。

エッセイを書く頻度はぐっと減った。トピックが頭に浮かんでも、書き出すことをためらって、目の前の仕事に逃げた。
怖くなったのだ。自分の身を削るように書き、それが人目に晒されることが。さらけ出したものであればあるほど、良い反応がもらえる。でも、それに味をしめて、そのまま書き進めていったら、「こっち側は言わない」を、どこまでも際限なく壊していってしまうことになるんじゃないか。

インタビュー記事を書くようになったのは、自分の思いをインタビュイーの言葉を通して表現すれば、自分の身を削らないで済む、という思いも少しあったのかもしれない。でも、それではどうしても満足のいくものが書けなかった。
「満足がいかない」というのは、読み物として面白いものを作れているかどうかとは別の話だ。いいものが書けたときは満足するし、記事に対して好意的な意見をいただけたりすればもちろん嬉しい。
だが、noteで自分の考えを書きなぐった記事にいいねをもらえた方が、格段に嬉しい。つまり、陳腐な言葉ではあるが、「自己表現」をしたいんだろう。

身を削りたくないくせに自分の考えは表明したい、という身勝手さを満たせる、違う表現方法はないかな、と考えた。
「言葉」は具体的すぎるのかもしれない。そう思って、絵を描いてみたりもした。黙々と手を動かすのは楽しかったけれど、やはり少し違う気がした。

結局、「書きたい」のだ。そして私が書きたいのは、人の言葉ではなくて、自分の言葉だった。
何で言葉じゃないといけないのかって、そんなのわからない。ただ、私が表現したいことにしっくりくる手段が文章だったのだ。絵を描いて違うと判断したように、他のものを試してみることもあるかもしれない。試してみて、そちらをやるかもしれない。でも、やはり書くことに戻ってきてしまう気もする。

作家の一木けいさんが、デビューのきっかけになった賞を受賞された時のコメントに、こんなことが書いてあった。

先日、十代のころの手紙や日記を詰め込んだ鞄をあけてみた。長いあいだ封印してきたそこから出てきたのは、恥と恥と恥と恥と恥。恥しかなかった。嘘と自意識過剰、自分勝手。わたしもじゅうぶんあほだった。今書いているこの文章も、わたしの手を離れた瞬間、恥になるのだろう。
(中略)
(受賞の知らせを聞いて)湧いてきたのは、覚悟だった。この数年で徐々にかたまってきた決意が、より一層強いものになった。恥を怖れず書いていこうと思う。

https://www.shinchosha.co.jp/r18/jyushosaku/no15_ichiki.html

エッセイ書くのは恥ずかしいけど、小説ならまだ……なんて一瞬でも考えた自分を、殴ってやりたい。何を書くにせよ、「書く」と決めるのならば、恥をかく覚悟は必要なのだ。

恥なんてかきたくないし、傷つくのだって嫌だ。だから避けてきたのだ。「書くこと」そのものから。でも結局書いているし、ただ書きたいだけなら自分の手帳にでも書いておけばいいのに、それじゃ満足できない。何でなんだろう、訳がわからない。
訳がわからないから、考えるのをやめようと思う。
理屈じゃないのだ。頭の中で練り上げたものを生み出そうとする時の、アドレナリンがドバドバ出る感じが楽しい。思いどおりのもの、思っていたよりも良いものが作れた時の達成感を得たい。それだけなのだ。

この文章も、明日読み返したら恥ずかしいと感じるのかもしれないけど。
まぁ、それでもいいかな。

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中村 英里

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