ただいま、東京

「北の冬は、ずっと曇ってるんだよ。東京の冬は空が青くて、不公平だなって思ったりもした」

行きの新幹線で押し寿司を食べながらそんな話を聞いて、本当に? と思っていたら、本当だった。

年末年始は東京を離れ、雪や山に囲まれた北の地で過ごしたが、三泊四日の間中、空はずっと厚い雲に覆われていて、街じゅう灰色だった。

そして、先ほど帰宅。品川駅のカラフルな混雑を見て、あぁ帰って来たとほっとした。実家が東京なので、自然よりもゴミゴミした街のほうが見慣れていて、落ち着く。

荷物を軽くするために、PCじゃなくてiPad+Bluetoothキーボードにしたものの、やはりPCほどは快適に書き物ができない。
書きたいことはあるのに、サクサク文章が書けない、と悶々とした気持ちが心にうずまいていたので、帰宅してそっこーPCを開いた。

書かない日が続くのはとても辛い。
吐き出したいものが体の中に溜まっていくと、心が健やかに保てない。うまく放熱できず、熱が体にこもってぼーっとしているような感覚になる。

文章を書かない人は、どうやって発散しているのだろう。どうして私は、書かないと発散できないんだろうか。

東京を離れると、SNSやブログでの発信、なんてものはとても特殊なことなのだ、ということに気づかされる。

仕事をして、ごはんを食べて、テレビを見て、家族と語らう。
それだけでも充分豊かなはずなのに、どうして満足できないのだろう。

「死ぬ間際にどういう状態でありたいかを考えて、生きなさい」
元日にお寺で聞いた、住職の言葉だ。

死んだらあの世には何も持っていけない。
なのにどうして、生物として健やかに生きる以上のもの、やりがい、達成感、富や名声なんかを求めるのだろうか。

PCを触らないのんびりした休日に不完全燃焼感を感じている私は、生き物として生命を全うするだけではどうも満足できないらしい。

やりがいや達成感が、欲しい。
富や名声も、そりゃあ手に入れられるものなら欲しいよ。

ずっとそう思ってきた。
でも、「求める理由」は昔とは変わってきた。

昔は、人に「すごいね!」と言われたい、というのが一番の理由だった。
劣等感で心はガチガチ、自己肯定感が極めて低かったので、人に褒められることで自分を保っていた。
でも、それで満たされるのは一瞬で、他人からの評価だけで、心から満たされることはないんだなぁ、ということに少しずつ気づいていった。

今は、求める過程が楽しいからやっている。
無いものがある状態になる、その変化が面白いのだ。
欲しいものをすべて手に入れた状態って、たぶん幸せじゃないと思う。何かが欲しくて、求めて、手に入れるまでの過程そのものや、手に入れた瞬間の達成感で幸せを感じるのかな、と。

死ぬ間際にどういう状態でありたいか。

時代に名を残すような大きなことができたら、それは素晴らしいことだと思う。
でも、もしできなくても、その過程--「書く」という行為そのものが楽しく、かつ心を健やかに保つために必要なことでもあるので、これからもきっとずっと、私は書き続けるのだろう。

今年も、求めるものを手に入れるために、淡々と書いていこうと思う。

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中村 英里

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