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「心を動かす文章」のヒントはゴスペルにあった 【#1 これまでにもっとも強烈だった音の記憶はなんですか?】

私は本当は、歌手になりたかった。

歌うのが好きな子供だった。
父は学生の時にバンドをやっていたこともあり、ギターが趣味だった。
家でもよく弾いていて、それに合わせて一緒に歌ったりしていた。

歌うのは楽しい。歌を歌う人になりたいな。
「歌手」という職業を認識する前から、そんなことをぼんやり考えていたように思う。

でも、私は、「大人」になってしまった。

中学、高校、大学、と進むにつれて、あることに気づいていった。

どうやら、大人になると「仕事」をしなければいけないらしい。
そして、「歌手になる」などというのは、現実味のない、夢見がちな、幼い考えであるらしい。

誰かにはっきりとそう言われたわけではなかったけれど、そのことに次第に気づいていき、「現実」を見るようになっていった。

大学を卒業し、みんなと同じように、企業に就職をした。

でも、胸の中にくすぶっていた「歌いたい」という気持ちは、消えなかった。
趣味として楽しもうと思い、ネットで「歌/サークル」と検索して、とある社会人ゴスペルサークルに見学に行った。

そこは、技術的なことをきっちり習うようなところではなくて、「歌うことを楽しもう」というスタンスのサークルだった。

サークルの先生は、ジャズシンガーとして活動している女性だった。

私はジャズに詳しくなかったのだが、あとで詳しい人に聞いたら「知ってる! 有名な人だよ」と言われた。

そんな人とも知らず見学に行ったのだが、練習中にお手本としてその先生が歌ったときの歌声を聴いて、一気に心が奪われた。

音楽の知識なんて、もちろんない。
声がどうとか、技術的にどうとか、正直そういうのは全然わからない。

でも強烈に、惹きつけられたのだ。

うねる波に包まれるような、耳からではなくて、体全体で聴いているような、そんな感覚。

圧倒された。
そして、その日に入会を決めた。

サークルの雰囲気が良かったこともあったが、先生の歌声を聴きたい、というのも理由として大きかった。

***

サークルには、3年ほど所属していた。
練習中に先生はよく、「歌心」という言葉を使っていた。

技術的な指導もあったが、そこは本質ではなくて、先生は「歌に気持ちをどう乗せるか」というのを重視していた。

それができているのかどうか、歌っているときにはよくわからなかったが、録音したものを聞くと、やはり違いはあるように感じた。

サークルのメンバーもみな良い人ばかりで、練習終わりに飲みに行ったりするのも楽しかった。
月に二回の練習日が、いつも楽しみだった。

ただ、ひとつ後悔していることがある。
それは、歌にきちんと向き合わなかったこと。

練習をサボることもあった。
半年ほど休会したこともあった。
不真面目さを、先生に怒られたこともあった。

本気になるのが、怖かったのだ。

「大人にならなきゃ」で諦めてきたこと。
その思いがよみがえって、止められなくなってしまったらどうしよう。
歌うのが楽しければ楽しいほど、恐怖は増した。

歌だけじゃない。

文章を書くのが、好きだった。
絵を描くのが好きだった。
彫刻刀で削ったり、紙粘土で何かつくったり、ものづくりが好きだった。

「大人」になるために、手放してきたものたち。
それと引き換えに、「大人」になるために、努力によって得てきたものも、たくさんある。

手放したものを今更かき集めようとするのは、積み上げてきたものを、自ら崩すのと同じことなんじゃないか?

だから、歌にも真面目に向き合うことを恐れていた。

***

サークルは、仕事などメンバーそれぞれの事情により次第に集まることが難しくなっていき、結果として解散することになった。

最後のライブは、区の複数のサークルが参加するイベントが舞台だった。
すでにサークルを辞めたOBOGも、何人も来てくれた。

冒頭で先生が、今回が最後のライブだということを、客席に向けて伝え、ライブは始まった。

ライブでは数曲歌ったが、最後の曲は、ミュージカル映画「天使にラブソングを2」の劇中でも歌われた「Oh Happy Day」。

私が入る前、サークル創立当初から歌われてきた曲なので、客席のOBOGも含めて全員で合唱した。

先生も、メンバーも、みんな泣いていた。
音程なんてあったもんじゃない。
史上最高にへたくそな、「Oh Happy Day」だった。

サークル関係者以外のお客さんもいたので、泣きながら歌う私たちを見て、白けた気持ちになった人もいたかもしれない。

でも、歌い終わったあとの拍手は大きく、舞台を見る見知らぬ顔の中には、泣きそうな笑顔もちらほら見られた。

サークルにいた約3年間で、仕事が変わったり住むところが変わったり、私にも、メンバーにも、いろんな変化があった。

先生も、サークル開始当初は独身だったが、サークルにいる間に結婚し、妊娠して子供を産み、産休を経てまた先生として指導をしてくれた。

メンバーが入れ変わっても、環境が変わっても、先生は変わらず「歌心」の大切さを教えてくれた。

会社とも家とも違う、第三の居場所。
それがなくなってしまうという喪失感。

ずっと続くものだと思っていた。
だから、甘えていたのだ。きちんと向き合わなかった。
そのことを、ものすごく後悔した。

最後に先生が涙声で歌い上げたソロパートは、それまでで一番心に響いた。

私はそれきり、歌うのをやめた。
もう五年以上も前の話だ。

***

先日、旅行先でジャズバーを見つけて、ふらりと入ってみた。
設備や楽器もかなり本格的なお店で、その日はピアノとボーカルのセッションだった。

ボーカルの女性はおそらくプロで、セッション慣れしている様子だった。
上手だったけれど……どうしても物足りなさが残った。

ゴスペルサークルの先生の歌声にあったような、うねる波に包まれるような強烈なものは感じなかった。

「いい歌声」って、どんな歌なんだろう。
音程が合っている。節回しがこなれている。
それは、プロとしての「最低限」なんだろう。
それだけでは、どうやらないようだ。

そこで、「歌心」という先生の言葉が、ふと頭に浮かんだ。

歌に気持ちを乗せる。それが人の心を動かす。
それはどうやるのか?
目に見えるものではないし、数字の指標があるわけでもないので、言語化は難しい。

でも、言語化できないところに、人の心を動かす「本質」が存在するんじゃないだろうか。

この「言語化できない部分」については、「文章を書く」ことにおいてもよく考える。

たとえば、SEO施策や、ページからのコンバージョン(申し込み数など)をあげるには? といったものは、手法として切り出しやすいし、言語化もしやすい。

私がいま主に手がけているのはインタビュー記事で、「読んだ人の心を動かすには」というような、言語化しにくいところを考えることが多い。

「人の心を動かす文章」というのは、どんな文章なんだろう。
誤字脱字がない? 構成がきちんとしている?
それは、プロとしての「最低限」なんじゃないか。
これだけでは、どうやらダメなようだ。

「歌心」ならぬ、「書心」とでも言うのだろうか。
「上手だね」と言われる文章の、その先。
思いを乗せて、それが人に伝わるような文章。

そこを表現したい。
何回かに一回ではなくて、100%の確率で、再現できるようになりたい。

幼い頃に諦めた、好きだったことの一つ、「文章を書くこと」。
ずいぶん遠回りをしたが、私はいまそこに、向き合っている。

歌でした後悔を、またしないように。
歌から学んだ「心」を、無駄にしないように。

今度は諦めない。

あの日、先生の歌声に感じたような、強烈に心に残るうねりを、言葉で表現する。
そのことに、きちんと向き合っていきたい。

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中村 英里

浅草出身のフリーライター。街歩き記事やインタビュー、エッセイを執筆|イラスト、写真、読書、純喫茶めぐりが好き|おさんぽWebマガジン「てくてくレトロ」運営→https://tekutekuretro.life |Web Site→https://2erire7.com/

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