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SNSが席巻する今、「適切に繋がる」を考える

「あの人、消えたよね」

テレビに一時期よく出ていた芸能人が出なくなると、言われるようになるこのセリフ。他人が言うのを聞くこともあるし、自分が言ったこともある。

ただ、蓋を開けてみると、活動の場を移していたり、芸能界を離れて別のビジネスをやっているだけだったり。それを知る度、「見えるものだけがすべてではないのだ」と思う。

SNSからフェードアウトしつつある最近は、ツイッターで純粋なつぶやきをすることは、かなり少なくなった。現状は、執筆した記事のお知らせを流すbot状態になっている。そのうち、お知らせすら流さなくなるかもしれない。
Facebookも昔はよく更新していたけど、最近はあまり。ツイッターと同じくお仕事報告の場となっているけれど、最近は名前の出ない裏方仕事をすることも多かったから、投稿数はかなり少ない。

「適切に繋がる」ことについて、ずっとずっと考え続けている。

「適切に繋がる」というのは、自分が好きなものと同じようなものを好む人たちと繋がる、ということ。要は「価値観が合う人」だ。私はフリーランスで、ライターで、どこそこのメディアで書いたこともあって、とか。それらは私を示す言葉ではあるけど形骸的なもので、私そのものを表してはいない。そこだけに惹かれて近づいて来た人たちは、私がライターじゃなくなったらきっと離れていくんだろう。まぁ、私だって、同じようなことをしてきたんだけど。

価値観が合う人と適切に繋がることについて考えていたら、自然と繋がりの場をnoteに求めることのほうが多くなった。以前は気になる人がいたら、ツイッターでフォローしていたんだけど、最近はnoteをフォローしている。単純に、noteほうがより詳細にその人のことがわかるから、というのもあるし、ツイッターは過去にフォローし過ぎてしまってもはや見切れない、というのもある。じゃあフォローの数を減らせば、リストで管理したらって話なんだけど、それも面倒で。

「人の脳が処理できる情報量は限られている。インターネットの登場によって、物理的に処理しきれない情報量を浴びまくっている状態なんです」

という話を、以前とある取材の場で聞いたことがある。なるほど、確かにそうだ。ネットのおかげで、出会うはずのなかった人とも交流を持つことができるし、ほとんど無料で自分の考えを多くの人に見てもらうこともできる。いい面もあるけれど、一方で必要のない情報もじゃんじゃん入ってくるようになった。「どれが自分にとって必要な情報なのか」と、選別するのにもエネルギーを使う。

ツイッターは気軽に繋がれるのはとてもいいのだけど、気軽に繋がれてしまい過ぎる。フォローしている人のつぶやき以外にも、RTやらいいねやら広告やらおすすめやら、いろいろな情報で溢れているから、メインで使うと脳みそがぐったりと疲れてしまう。
かつては好きなメディアの更新情報をツイッターでチェックしていたけど、埋もれてしまって見きれないから、最近はFeedlyで管理している。とても快適。(Feedlyってもはや若い方々は知らないのか。メディアを登録して記事をまとめて見られるサービス、みたいな感じ)

ツイッターやFacebookでしか繋がっていない人の中には、私のことを「消えた」と思っている人もいるのかもしれない。noteやブログは書いているし、もしそれらを書かなかったとしても、私が消えることはないのだけど。

そして、文章に書いていることだけではなく、書かない部分にも、「私」は存在している。

SNSの投稿の中にいる私も、この文章の私も、過去の文章にいる私も、これから書く文章にいる私も。すべて断片に過ぎなくて、そのかけら一つひとつをまとめても、私そのものにはならない。嘘は書いていないけれど、書かないこともあるから。それを不誠実だとも思っていない。だって、現実世界でも、どこまで自分をさらけ出すかって、相手によって変えているし。同じように、不特定多数が見るネットでどこまで書くかを自分で決めて、書いている。

ただ、普段の会話では言いにくいけど、文章にするからこそ言えるようなこともある。「価値観」的な部分については、現実世界の「私」よりも、ネット上にある私の断片のほうに、色濃く表現されているのかもしれない。

半年前に、こんな記事を書いた。

この文章を書いていた時も、そして今もずっと「繋がり方」について考えている。文末にある「今この文章を書いている、生身の私が本体なんだから」という思いは、やはり変わっていない。けれど、SNSの繋がりを完全に断つというよりは「書くこと」でより色濃く自分を表現していきたいし、それによって適切に繋がっていけたらいいな、とも思っている。

……なんて書きながらも、もしかしたら半年後には「SNSアカウント全部削除します!」とか言い出すかもしれないし、逆にツイッターをガンガン更新し出すかもしれないけど。わからん、先のことは。まぁ、人の気持ちは変わるものだからね。

「適切に繋がる」は、適切に情報を得ることでもあり、自分の言葉を適切に届けることでもある。どうやるのか、っていう具体的な部分はまだまだ模索中だけど、程よいバランスを見つけていきたい。

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中村 英里

浅草出身のフリーライター。街歩き記事やインタビュー、エッセイを執筆|イラスト、写真、読書、純喫茶めぐりが好き|おさんぽWebマガジン「てくてくレトロ」運営→https://tekutekuretro.life |Web Site→https://2erire7.com/

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コメント2件

英里さんこんにちは。
note酒場ではお話出せていただきありがとうございました😊

ピンポイントで、今自分が考えていたことを英里さんがnoteで書かれててびっくりしました!
適切な距離感を模索中です・・・
ちひろさん、こんにちは! note酒場ではありがとうございました。
適切な距離感、難しいですよね。人によって違うから、「あの人はこうしているから私も」って真似してみても、自分にはしっくりこなかったり……。
自分が一番心地よくいられるバランスを見つけていきたいな〜と思ってます。
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