見出し画像

明るいラジオと,暗いラジオ

ラジオって,陰キャのイメージがどこかにあるのだろうか。


SNSを見ていたら,『陽キャが「ラジオ聞いてる!」って言ってきたが素直に喜べなかった』旨の投稿が目に留まった。
なんとなく「わかる」と思ったのだった。

…いや待てよ。ラジオは情報を伝えるもの。ラジオはニュースを仕入れる術である。陰キャの集まるところとして括っちゃあかんよ。
最近は表舞台で活躍するような人たちが次々にラジオの冠番組を持つようになってきてるし,ラジオ業界も陽キャとかどっちでもない人たちをリスナーとして引き込みたいに違いない。だからキャラとかは関係ないよ。…
直後にそう思ったのだった。


陰キャの居場所としてラジオにレッテルを貼ると,自分もなんとなくラジオから遠ざからなきゃと思う,いらんプライドがある。ま,んなこと言ったって自分はおそらく陰キャだけど。
でもなんとなく,ラジオに集っている人たちのことが好きだ。自分がどこか通じ合えるところがある人が多いと思うんだ。
それだから,こんなにずっとラジオが好きって公言してるようなものだから。

私がラジオを聞き始めた理由はただただ,親が生活のBGMとして聞いてたからだ。当たり前のように聞いていた。
好きとか嫌いとかじゃなく,当たり前だった。
ただ,学校にいくとラジオ好きっていう人には誰も巡り会えなかった。
みんなテレビの話はしてた。私がしっている番組の話をしている人はいなかった。悔しかった。
小学校5年生くらいのある日,テレビの話をするみたいに,ラジオの話を友だちにしてみた。
テレビで好きなチャンネルの話とかあるじゃないですか。あんな感じで,
「AMとFM,どっちが好き?」
って言ったら友だちが,
「何が違うの?」
って聞いてきた。総スカンだよ。そんなのも当たり前じゃないのか!
うすうす気づいていた,「ラジオの話は通じない」が現実になった瞬間だった。


おぎやはぎさんに読まれて「俺はここにいる!!」『ポスクラ#1』【トンツカタン森本×ザ・マミィ林田】 - YouTube

この話の中で,「SCHOOL OF LOCK!」が“明るいラジオ”と言われている。それがどうも引っかかった。いや待てよ,と。
私はSCHOOL OF LOCK!が居場所だったときがある。ここで,人間性のよさに出会ったと思ってる。こんなに,こんなにも真っ正面から向き合う。学校に行ってもあんまりちゃんと知らなかったこと。でも実はでっかい問題であることの数々。
人って優しいな,と思ったのがこの番組だった。
ずっと聞いてた。
あんまり光を当てられてこなかったところをちゃんと,信念をもって居場所にしていた。ただのお喋りとか,仕事とかじゃないと思った。校長が,好きだった。
学校であまり居場所のなかった感情が主役になれる番組のことを「明るい」とは思わなかった。

おそらく,この対談で「明るいラジオ」の対照に置かれているのは深夜ラジオなのだと思う。
深夜ラジオ,すなわち,シモOK。
シモ は,明るいところでは話せない。
暗いところ,誰も見てないところならいっくらでも話せるぜ!
そういうことだと理解した。望んだ暗さ。
「暗いラジオ」は暗さがメリットの集い場ということである。
明るいというのはおそらく陽キャとか目立つとかそういうことではないのだろう。

明るいラジオも,暗いラジオも,人の良さが深く濃く染み出たラジオだ。
ラジオの良さは「身近さ」だと思っている。
テレビで見たら遠い人。晴れ舞台の上はほど遠い。でも,ラジオを聞くと共通点が見つかる。
商品としてではなく,ひとりの人間としてその人を好きになる。隣に,その人がいる。そう思わずには居られない。
そんな魅力が,ある。
だからやめれないんだ。私は,ラジオが好きだ。

いいことありますように!