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つまりあなたは主人公だということ

いくえみ綾の漫画がだいすきで、昨日も新刊が出てるのを本屋で見つけて買って読んだ。

いくえみ綾の漫画はちょっと不親切だと思う。

登場人物がその成長と共に顔や表情が変わっていったり、髪型がガラッと変わったりする。
久しぶりに読む漫画の続きだと一体誰が誰でどうなってるのかよくわからなくなったりする。
今回買ったやつもよくわからなくなってもういちど1巻から読み直した。

いくえみ綾の描く漫画の登場人物はひとりひとりのキャラが濃い。
キャラが濃いだけではなくてその人生も濃い。でもべつに特別なものを持つ人ではなくて普通にそこに存在する人のように感じる。

漫画は一方方向に話が切り取られてそれを読者(わたし)は読み進めるのだけれど、いくえみの描く人物はその描かれる範囲の外でも確実に生活をして、恋とかもして、いろんな考え方をもっていて、というのが見え隠れする。

いくえみ綾の代表作で潔く柔くという作品があって、それ以降、登場人物ひとりひとりの人生が濃く描かれるようになった気がする。
潔く柔くでは、数話によって主人公がかわっていく。その主人公たちは同じ世界で暮らしているのでいろんなところでニアミスしてたりする。
描かれる場面でその立場もぜんぜん違ったりする。
あるときは同じ高校の二個下の後輩だった登場人物が、あるときは白衣を着た学校の先生だったり。
高校生だった男の子が社会人になって先生をしている時の流れがある。でもその時の流れの間にきっといろんなことがあったんだろうなという含みが見え隠れする。
そして主人公の目線の違いによってその人物像の見え方が若干違ったりもする。
なるほどわたしもきっと家族といるときと、ともだちといるときとでは雰囲気はきっと違う。そういう差さえ表現されている。なのでたまにぜんぜん違う人にみえる。

その主人公が一番好きになった相手でもその相手にもいろんな事情があるし感情もあるからその人とうまくいくという保証はない。うまくいかないからといって他に好きになってくれるひとがいるとも限らない。主人公の人生のために他の人が生きているわけではないから。ただ人が同じ世界のなかでそれぞれの生活を守りながら たまに相手のことを考えたり自分の思いに耽ったりしてる。物語ではなくて人生がただ切り取られている。

いくえみ漫画にでてくるいわゆる脇役たちにも自身の人生があって、時にその脇役が主人公となって描かれる。

人はいつまででも主人公でいられないってきいたことがあって、そんなわけあるかよ、と思っていた。いくえみ漫画からすると全員が全員その人生の主人公であることは確固たるものだ。

ただひとつ言えるのは、自分よりも大事な存在ができることもあるということ。でもそうなったとしても自分が自分の人生の主人公であることに変わりはない。どんな人生を歩んでいようといくつになってもあなたの人生の主人公はあなたでいい。


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