過程を目的にしてもいい
物事は結果よりも過程が大事という話はよく聞く。どちらが大事かは知らないけど、わたしは過程がすき。
少し前に就学・就職支援企業の取材を受けたときに、この仕事のやりがいは?何を得ましたか?これからの目標はありますか?と聞かれてうんざりした。
ほぼ誘導尋問だった(話すプロではない素人に対してそうなるのは必然的だと思うのでそれに対する嫌悪の話ではない)ので、客観的にみたやりがいや得られたものを羅列していった。それは嘘ではないけれど実感としてのそれとは全く的外れのような気がした。
わたしは衣装製作の仕事をしていて、製作したものが著名人が着るということもある。それは確かに誇らしいことだし、記事にするにあたってのキャッチーさからいうとそれをピックアップするのは正解なのかもしれない。でもそれはあくまで結果の話であってそれを目的にやってきたわけでもないし、それで達成感を得られたことはほとんどないと言ってもいい。
これからこうしていきたいとか独立したいとかの目標はありますか?と聞かれてこまった。
仕事場の他の人も聞こえる場所での取材なのに独立したいとか答えさせたいのすごいな、と思いつつ、自分を振り返ると、学生時代に描いたやりたいことを叶えた形で今の職場で働いていてこれ以上なんの目標があるのだろう…?と思って素直に答えた。「夢を叶えた最中にいるのでこれ以上の目標は今はありません」そしたらなんかちょっと腑に落ちない顔をされた。
夢を叶えたのにそれより先にいくことを望まれる意味がよくわからなかった。人は常に事足りてない前提なのかな。常に次に向かって成長していかなければならないのかな。
せっかく夢を実現させたのだからもう少しくらい浸らせてくれてもいいだろうに。
思うにわたしは人を喜ばせる事とか自分がどう思われたいかに無頓着なところがあるのかもしれない。
だから結果はどうでもよくていまそれをやってることが自分のなかで自然かどうかばかりを考えがち。
最近料理してて、野菜を洗ったり包丁をつかって切ったりするのは好きだけど炒めたり煮たりするのはあまり好きではないし苦手な作業だなってことに気づいた。
"料理が好き"といっても、調理をして料理を完成させることが好きな人だけが料理好きなわけではなくて、包丁で野菜を刻むのがすきって人も料理好きって言える世の中であってほしいし、あなたにはわたしはそうなんだよって知っていてほしい。
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