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5.25 プリンの日

安城優子は迷っていた。
今自分が置かれている状況を鑑み、一番最適なリアクションが何であるかを頭の中で素早く考えた。
結局先に相手から答えが提示されたのだが、それに対するリアクションをどうしたらいいのかも安城優子には分からなかった。
「優子さん。プリンです」
無言でそのプリンらしきものを眺めてみる。
目の前にあるのは取っ手のついた見慣れたマグカップだ。
そのなかに並々とカラメルの層が揺蕩っている。
「うん。…うん?」
何故この男は、私の、しかも職場で使っているピンクのマグカップで、勤務時間中にプリンを作ったのか。
「あのですね。外回りから帰ってきたら手作りプリンが食べたくなって、こっそり裏のドラッグストアでプリンの素と牛乳買ったんですけど、入れ物のこと考えてなくて」
えへへと頭を掻く後輩の三谷は柴犬みたいで可愛い。童顔は好みのタイプである。そしてスーツを着ていれば優子のなかで三割増しになるので、三谷は今スーツ姿なのでポイントが高まっている。だから何だと言われればそれは優子にも分からなかったが、平たく言えば今混乱しているのである。
「ありがとう。でも、なんで私にも?」
他の部署にはまだ残業をしている人も幾らかいる。
優子は八時になったら帰ろうと思い、鬼の形相で仕事を片付けている最中で三谷にこの応接室に呼び出された。
「昨日仕事助けてもらったんで、そのお礼です。本当は一人で食べようと思ったんですけど、その…」
そう言って三谷は自分が使っている犬柄の湯呑みを見た。
「ああ。なるほど。プリン液が余っちゃったのね」
とぼけた顔の犬が蝶々を追う絵柄の湯呑みは、確かに小さくそれほどの容量はない。
それに比べて私のマグカップはお昼に粉末スープを作ることも考慮して大きめだった。
「すみません。でも、安城さんになら俺のプリン分けてもいいかなって。いつもありがとうございます」
客用のコーヒースプーンを元気に渡すと、三谷は手を合わせて「いただきます」と張り切って言った。
こういう真っ直ぐなところを見せられてしまうと、なかなか怒るに怒れない。無邪気は時に罪である。
「三谷くん、待て」
「へい」
優子は素早く自分のマグカップと三谷の湯呑みを入れ替えてから「いただきます」と手を合わせた。
「えっ、えっ?安城さん?」
三谷はなぜか顔を赤くしてうろたえていたが、優子は無視して湯呑みに入ったプリンをスプーンですくった。
「貴方が食べたかったんだから、おっきい方食べなさいな。でも、今後社内での勤務時間中のプリン製造は禁止よ。あと、勝手に人のカップを使うのも」
甘い香りが鼻先に漂う。
口に入れると、ひんやりとしていて、思ったよりもさっぱりとした味だった。
その程よいさっぱり感のおかげで、残業でぎゅうぎゅうになった頭に少しずつ隙間が生まれていくのが分かった。
「はい。すみません。ありがとうございます…」
三谷はちょっと反省した様子で、躊躇いながら優子のマグカップに入ったプリンにスプーンをさした。
「…あっ、なんか懐かしい味。いつも食べてる濃いやつもいいけど、たまにはこういうのもいいですね」
「そうだね。さ、誰かに見つかる前に早く食べちゃいなさい」
「へい」
スプーンに山盛りにしたプリンを頬張る三谷と優子の目があって、二人は同時に噴き出した。
とても変だしあまり良くないことだけれども、たまにはこんな非日常的な時間もありかもしれない。
優子はプリンを口に運びながら、じわりと温まる胸の温度に気づかぬふりをした。

5.25 プリンの日

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