アイドルという植物

 映画とネイル。
 美少女ゲームとアイドル。
 この四つは私の通念上/あるいは思想的に愛してやまないものである。

 執筆アレルギーにより他人の小説文を読めなくなった私は本の代わりに映画から教養とユーモアを学び、いつの間にか趣味から家業といえるものになったネイルはある種の服飾的フェチズムとして私の精神に定着した。
 そしてもう一つ――私の思想の深いところで敬愛してやまない存在が、美少女ゲームとアイドルである。
 私は端的に性的発散を目的とした美少女ゲームではなく、美少女やその世界観と触れ合いながら主人公、ひいては主人公を通じて自身の心情を掘り下げるタイプのゲームをこよなく愛している。
 一般流通に乗る家庭用のゲームと違い、いわゆる美少女ゲームには年齢制限という大きな枷の代わりに大いなる自由が与えられている。それは必ずしも性的描写だけにかかわらず、倫理的・あるいは思想的な自由が許されている。その中に潜むインモラルへの欲求、あるいは仄暗く退廃的であったり電波ゆんゆんな世界に没頭することで私は自らの創造性を失わずに生きてこられたのだ。

 そして前置きが長くなったが、私はアイドルが好きだ。これは具体的にどのアイドルが好きだというよりも「アイドルという存在概念そのもの」が好きだ。
 私は数年ほど前からアイドルマスターシャイニーカラーズというアイドルゲームに没頭しており、その縁でアイマスのゲームに夢中になった。今でこそアイドル育成ゲームは女性向け男性向け問わず数多の作品が存在するが、アイマスは間違いなくその金字塔といっても過言ではないだろう。
 これ以上書くと長くなりそうなのとアイマスの話になりそうなので三行で要約すると、
1.アイマスにハマる
2.ライブの現場に行く
3.アイドルっていいな。になった
ということなのだ。

 私にシャニマスを勧めてくれたG氏も私の中学時代の同級生で、チケット戦争を共に戦い抜いた戦友でもある。彼女はPカップというシャニマス内唯一のランキングイベントでとあるアイドルのランキング一桁を勝ち取るという偉業を果たしている猛者でもある。(あのイベントは口に出すのはたやすいが実践してみるとそれはそれは過酷な苦行なのだ。)
 私の友人付き合いの殆どは未だに中学の同級生とのものがほとんどを占め、各々の趣味嗜好は大枠では同じだとしても根本が全く違う(人間というのは往々にしてそういうものではあるのだが)ので、しばしば4~5人のグループの中でも共通の流行りと廃りが生まれる。
 今回もその一端として、TRPGに次いで地下アイドルがにわかに流行り始めた。発端は私の友人のY氏、グループ内での酒と社会経験担当だ。彼女がある地下アイドルグループに傾倒するようになると、地下アイドルブームはY氏のその熱い語り口から私のゲーム制作の師でもあるN氏(手芸趣味。血に呪われている。)が現場に同行したのをきっかけに遠方の友人までもが興味を示すようにもなった。
 その中で唯一、私だけが嘲笑するように「空前の肉ブームだ」と反骨し続けていた。(肉というのは私の使う人間の蔑称である。サービス業で荒むと人間を人間と思わなくなるようになるという良い例だ。)
 本質からいうと私は人間の造形がそもそも嫌いなので(爬虫類や両生類の方が人間なんかよりよっぽど美しいと思うのだ。私はレプティリアンがこの世を支配してくれたらどんなに良いかと夢想し続ける人類である。)友人への付き合いという形でライブに行くのは構わないが、決して三次元の、まして男性のアイドルに興味を持つことなどないと考えていた。

 これは、そんなオタクが初めて「三次元の人間が本人としてアイドルをやっている現場」に行ったときの、何のカルチュラルでもないルポルタージュになる。

 私が同行したのは「無銭ライブ」という、ありえないことにチケット代が無料(別費でドリンク代が必要になるがそれもたかが600円なので実際アイドルに入るお金は皆無に等しい)で2つのユニットが登場するという恐ろしくサービス精神に満ちた……悪く言えば物販が動かなかった場合収支はマイナス、動いても±の怪しい商売としては成り立たないレベルのライブだった。それに加え、チケッティングも当日(それも開演の一時間前など)にできる、同行してくれたY氏に言わせれば「布教用」のライブなのだという。
 実際MCパートで演者の方が「無銭だからいつもの五倍人が来ている」と言っていたので、タダなら見に来る精神という人間の浅ましさを利用した上手いマーケティングであるとも言えるだろう。今までシャニマスのライブで現地に行くためにゲーム先行、一般応募、そしてリセールと何度も何度も落選を重ね友人のアカウントを総動員してやっと一日勝ち取れるか勝ち取れないかの戦いを続けてきた私にとっては、その事実だけでここが自分にとって完全に未知の領域であることが理解できた。
 私がアイドルのライブに行く理由は、もちろんその作品やアイドルを愛しているというのもあるが主たる理念としては現場が「ステージにいるアイドルに日ごろの感謝を伝えることができる」場所だからだ。
 もちろんアイマスのライブでは観客がアイドルに手紙を送ったり、ましてや会話や握手などは叶わない。せいぜいが誕生日祝いのフラスタを会場に確認してカンパを募って設置するぐらいだ。(アイマスの現場にいつも同行してくれるG氏はたまたまライブの日程と担当アイドルの声優を務める方の誕生日が被った際に企画されたフラスタ企画に応募しており、その縁で私もメッセージ用紙に記入をさせていただいたりなどした。ああいった企画は素敵だ)
 ではどこで感謝を伝えるのか。それは、ステージ上で目いっぱいのパフォーマンスを見せてくれている彼女たちに拍手やサイリウムなどで答え、日ごろ我々がアイドルのみんなから与えられているものに抱いている我々の歓喜、狂乱、感謝を伝えるのだ。
 今でも感染症対策の一環で口を開くことを許されない我々は、ライブ中に割れんばかりの拍手と色とりどりのライトでアイドル達に返事をする。大好き、ありがとう、楽しかった。そしてそれ以外の言葉にできないめちゃくちゃな感情のすべてを色とりどりのライトに乗せて我々は語るのだ。そうするしかほかに道はないのだから。その感謝を伝えるために我々は厳しい抽選を勝ち取り、一日一万円のチケット代を払い、現場でそれ以上の価値あるアイドル達からのパフォーマンスを受け止めて帰ってくるのだ。
 それを無料で、しかもチケッティングに抽選も存在しない。そのようなもはや出待ちと変わらないような方法でアイドルに会うなどおこがましくはないだろうか、というある種の羞恥と情けなさを感じながらその日私は無銭ライブの現場に赴いたのだ。

 これは単なる言い訳程度にとってほしいのだが、以前から私はY氏にはライブへの同行を求められていた。
 というのも、いわゆるソシャゲの招待ボーナスのようなものでグループで来場すると物販や特典会で動員特典とかいうちょっとしたボーナスが手に入るシステムがあり。要するに連れてきたお友達の数に応じてチェキの割引であるとかムービー撮影であるといったファンには垂涎モノの特典があり、それのために何度かよかったら見に来てくれないかとの熱弁を頂いていたのだ。だが、当時の私はアルバイトの時間や曜日がライブの時間とダダ被りしていたり(Y氏は会社員であったが私は夕勤のアルバイターをしていたので昼から深夜帯が完全に拘束されていた)私が金欠であったり(Y氏に限らず私の周囲の人間は月の上旬を過ぎて私を遊びに誘うと大体金がないの一言で断られるのを知っているので、自然と月頭のわずかな間のバイトのない平日しかライブに行ける余暇が存在しなかったのだ)、あと単純に鬱状態がひどかったりして往々にしてその誘いを断っていたのだ。
 その代わり、もし日程が合う日があればきちんとチケット代を支払ってライブに行くという約束はしていた。金欠を理由に断った際にチケット代は出すから! とY氏に言われた時にはそれはアイドルに失礼だし、私のポリシーに反するからと断ったような記憶がある。いや実際はそんな偉そうな口ぶりではないし、単に私は人から金を借りたくない主義なだけなのだが。
 そして奇跡的に就職先が決まり、就業時間も一般的な会社員になった私はY氏同様に仕事が終わってすぐ現場に直行というスタイルが取れるようになったのだ。月給制の恩恵もあり金銭的に余裕ができたので物販にも参加できるという喜びは筆舌に尽くしがたい。つまり……言い訳をすると、今回のライブが有料でも私は来ていたのだ。いい加減誘われすぎていたので。でも今回がたまたま無料だったので、無料のライブに来てしまったのだ。個人的にすごく悔しいのでその日は物販も参加し、自分への禊としてしばらくの間そのユニットの有料ライブには参加することにした。

 この後はいい加減ルポらしく当日の思い出をつらつらと書いていこうと思う。もし今後、アングラな現場に行くことがある諸賢は参考にしてくれてもかまわないが、こんなものを参考にするよりも正直有識者に同行してもらうか、それが叶わないなら基本的な「地下の」ルールを学んでから行くべきだと思う。たとえチケット代が無料でも、そこは生半可な知識と準備で挑める場所ではないと私はひしとこの身で感じてきたからだ。
 私は有識者3人(どちらも中学の同級生であるY氏とA氏、そしてY氏の現場友達らしき方)と共に赴き、それでも未知のシステムに困惑したりうんざりしたことがあるので準備は周到すぎてすぎることはないだろう。

 地下アイドルの現場はほとんどが新宿だとか渋谷だとかのライブハウスで、だいたい売れ始めのお笑い芸人が漫才をやるぐらいの大きさの箱で開催される。この辺のルールは箱によるが、今回はドリンクの持ち込みが不可・ロッカーなし・オールスタンドの箱だった。そこで入口に入る前にショバ代払いの証として600円を支払い、(その日は二つのユニットが登場するので)どこ目当て? とカウンターで聞かれ返事をするとドリンクチケットが与えられる。返事でチケットが変わるとかはないので単なる集客カウントだろうが、ここでビビるな。
 そして後で物販の待ち時間になって気づくのだが、このドリンクは物販(いわゆるチェキ)で自分の待ち時間が来るまでの時間に飲むものらしく、ライブ中に飲む余裕はない。というか基本的にコップで渡されて蓋はないしMC休憩なども基本挟まれないので飲み物は持ってると邪魔になるだろう。今回は入場後にもらわなくて正解だったと思う。これも場所による。

 話は逸れるが、僕がアイドルのライブ(アイマスのライブも便宜上アイドルのライブとして扱わせてください。お願いします。)で一番いやなことは、人間の匂いとスモークの充満した窒息寸前の会場で立ちっぱなしになる事や治安の悪そうな雰囲気より何よりも「アイドルが悲しい思いをすること」だ。
 何度も何度も振りの練習や歌を練習したステージを誰も見ていない。盛り上がってくれない。応援してくれない。自分の色のライトだけが少ない。ステージの上で圧倒的な孤独を背負っているはずのアイドルに希望の光がともらないなら、アイドルはなぜ壇上に上がっているのだろうか。そのアイドルを励まし、孤独を忘れてもらうためのライトを振る腕だけが我々の存在意義だというのに。

 たまたまその日は同じ会場に行くY氏達との待ち合わせがうまくいかず_(普通に私が悪かったのだが)私が入場した時間はY氏たちよりやや遅れて開場時間を少し過ぎたあたりになってしまった。途中入場なんかは割とよくあることだから気にしなくていいとベテランのY氏は言うのだが、まさにその通りだった。
 地下アイドルに初めて触れる人間は、むしろ今から私が見る光景に衝撃を覚えるために少し遅れてくるべきかもしれない。私は何度でも言おう。メロスに囁きかけるディオニス王のように。ちょっとおくれて来るがいい。この驚きは、永遠にわすれられないぞ。

 少し遅れて箱に入ると、すでに曲が始まっている。
 それなのに誰も動いていない。誰もサイリウムを振っていない。どいつもこいつもただステージの上で歌うアイドルを眺めながら光るサイリウムを掲げもせず握りしめているのだ。
 マジで盛り上がってないじゃん。なんてさみしい箱なんだ。地下ってこんなもんなのかよ。そんな風に考えながらも私は先に入場していたY氏の姿を探しながら会場の後方をうろつく。すると、たまたま通路側に出ていたY氏とその集団を見つけたので合流しながら手ごろな壁際に寄って荷物の中からサイリウムを二本取り出す。丁度曲が終わり、次の曲が流れるところだった。
 未知のユニットのメンバーカラー。さて何も知らない誰の色を振ろうか。周囲を見渡し手ごろなカラーを灯したサイリウムを握りしめ、曲の開始とともに掲げた腕を引き下ろされた時、異端は世界でなく私だったのだ。

 今回体験したライブでは(というか今回に限らず地下アイドル界の中では暗黙の了解というか共通ルールらしい)同じ色のサイリウムをずっと振りっぱなしという行為がNGだったのだ。今歌っているアイドルを推している人間だけが己のペンラを掲げよ。それ以外の人間は下ろす。全員歌唱なら掲げ、振りがあるならそれに従う。それがルールだった。
 今まで経験してきたアイマスのライブではMC中ですらオタクたちは返事や笑い声の代わりに拍手やサイリウムで答え、アイドルの歌に合わせて思いっきりサイリウムを振る。何故なら我々に口はないからだ。
 恥ずかしながら私は未だアイドルの現場で行われるコール文化というものを経験したことがなかった。しかし、同じ二次元アイドルの現場で一部のファンのコールが過去に問題になったことを知っている。そういったイメージが先行した結果、私は声出しのできる会場にあまりいい印象がなく、ただリズムに合わせてサイリウムと手拍子で答えるのが正しいオタクの声援なのではないかという考えに至っていた時期もあった。
 しかし、この地下においてはその沈黙すらも許されないのだ。我々の身勝手なコールでアイドルのパフォーマンスを邪魔してしまわないか、そういった懸念を半ば強引に取り払うコーレスの練習。アイドルの「返事は!?」の問いかけに黙ってライトを振るだけでは、それはアイドルの声を無視していることと同じなのだ。
「はーい!!」
 精一杯の声を出した。初めて。私はアイドルのライブで声援を張り上げた。私は、コール童貞を知りもしない地下アイドルのライブで捨てたのだ。

 心地よかった。歌の途中で求められるコールや振りへの煽りも、それに応えないことが失礼に当たるのだと初めて理解した。所詮クラス一つ分の人数ががぎちぎちに入るか入らないか程度のキャパシティの箱じゃ音響もデカすぎて十分に仕事をしない。せっかく前日に予習してきた楽曲やそれに合わせた振り方もイメトレしたのに曲なんかろくに聞こえなくて何の役にも立たなかった。
 ただ、アイドルが教えてくれた振り付けの動きだけが今がどの曲のどの部分かを教えてくれた。私たちは彼らの求める通りに動けばよいのです。
 ちなみにアイマスのライブでもFULL音源を聞いていない楽曲がライブで流れると振りに困惑することが自分でも恥ずかしながらありますが、そういう時は大体斜め前の振り慣れている感じの人(心の中でそっと先生とお呼びしています。)を眺めて振りを真似しています。今回も知らない人ですが非常に参考になる方がいたのでそこも救いになりました。同行した人を参考にしようにもはみんな横に並んでいたので振りは見えないのです。
 ライブの記憶はそれぐらいです。楽しかった。アイドルの踊りを見てライトを振り、歌っている人の顔を見る。たったそれだけで終わってしまった。メンバーの顔すら覚えられない。けど、そこにはちゃんとアイドルのライブが終わった後の感覚が残っていた。

 最後に物販の話をしよう。今回のライブの物販(チェキ)は公演終了後に行われたので公演が終わっても箱を出ていく人はいなかった。物販の準備が始まるや否や中央に机が並べられ、左右にそれぞれ出演したユニットの列ができる。
 物販はとにかく早く来た者勝ちなのはどこも同じで、早く並べば並ぶほど早い番号で撮影ができる。大体1並びでアイドル一人につき10枚まで購入可能、それ以上は撮影が終わった後に物販列に並びなおすという形が基本的らしい。これも暗黙のルールのようで、そういった点でトラブルになると具体的なことは言えないが結構面倒なことになるようです。あと当然ですがライブを見ずに物販だけ来るというのもちょっとよろしくないようだ。アイマスの会場来てグッズ買って帰ってる奴とかマジでどうして? という感じにはなりますが、ここはアングラ。地上の常識など通用しない。その理由は読み進めていただければわかる。

 とりあえず情報収集とばかりに2ユニットのチェキをそれぞれ数枚購入し、同行者と話しながら自分の番号が呼ばれるのを待った。しばらくするとステージ上にゴミ箱のくくられたテーブルとアイドル、チェキの撮影スタッフが集まりだし次々とメンバーの名前と番号が読み上げられる。該当する人間からステージ上に上がり、撮影をするというわけだ。
 当たり前だがチェキの枚数とアイドルとの接触時間は比例する。10枚買えば10枚撮影するのに値する時間の接触時間が与えられ、ファンはその間に精いっぱいアイドルとの会話や触れ合いにいそしむ。これが地下アイドルの物販というものの真髄なのだろう。
 私は昔から生き物の顔が写った写真が苦手で(証明写真なんかの残りも持っているのが嫌でわざわざその都度取り直しに行ったりもしていた)、チェキも自分の顔を映すつもりは毛頭なかったのでピンショット(=アイドルのみが写ったチェキ)だけを注文した。自分が写るわけでもないのにアイドルに近づく必要はないので撮影スタッフにピンショットで、とだけ伝えてスタッフの少し後ろから撮影されるアイドルをぼーっと眺めていたのだが、その後の対応がすごかった。
 どうせ後ろがつかえているからとスタッフから現像前の真っ白なチェキを受け取り、スタッフとアイドルにありがとうございましたと一礼しそそくさと離れようとすると何と恐ろしいことか、アイドルが私に近付いてくるのだ。
 今日は初めて? 誰の紹介? 楽しかった? とかいろんなことを聞いてくるのだ。まさか話すつもりのない人間にまで話しかけてくるとは思わなかったのでビビりにビビりまくった私はとりあえず初見です、Y氏の紹介であること、よかったですと一言添えて何度もペコペコしながらありがとうございます、恐縮です、恐れ入りますと言って何とか距離を取ろうとした。中には名前は? と聞いてきてナチュラルに肩に触れて来るようなフレンドリーな方(そのユニットに詳しいY氏いわく、その方はいわゆるユニットの営業担当でボディタッチが異様に多いらしく、逆に肩へ触れるだけで済んだのは初めて見たといわれた始末)にはパニックを起こして偽名を使ってしまった。こういう時に本名を答え、嬉しそうにスキンシップを返せるのが本来のアイドルを求めてくる層なのだろうか。
 一応今回は単に遊びに来たというよりは地下アイドルに関する情報収集というか資料集め(私は前々からアイドルキャラクターのチェキ風イラストを描くためにY氏をはじめとした人たちにチェキ画像の提供を求めていたので、今回自分で資料の収集ができたのは大きな収穫だった)に来ていたのでそれぞれの方に特徴に合わせたポーズをとっていただいた。中指を立てるポーズを依頼した方にNGでないか念のため確認を取るも快く受けていただいたので非常にありがたかった。

 ただ、ここで初見への罠があった。なんとユニットそれぞれでチェキの待ち順の待ち方が異なっており、一つはチェキの購入者に番号が振り当てられメンバーと番号の合致した人間(若い番号から呼ばれる)から撮影ができるユニット、もう一つはチェキの整理券を購入後その横の整理列に並んだ先着順で撮影という番号もクソもないシステムだったのだ。それを理解していなかった私(なんとY氏もきづいておらず、コミケ慣れしているN氏が最後尾・NEXTの札を持った人間を確認しようやく発覚した次第である)は列に並んでいる間にも別ユニットの撮影で呼ばれ、結果二度ほど列を抜けてチェキを撮りに行くという体感待機時間一時間ほどの地獄を味わったのだ。
 並び順の列があまりにも動かない(恐らく選んだアイドルがチェキ一枚ごとの触れ合い時間が長く、また人気も高く枚数を積む客や団体で撮影する客が多かった)ので最終的にはNEXTの札が回ってくる前に後ろの人に権を譲って帰ろうかと思った(この時点で同行者全員が撮影を済ませ、Y氏に至っては追加購入分の撮影も済ませていた)ほどであった。その頃には物販の新規受付も〆られており、箱に残った人数もまばらになっていた。これじゃ後ろに並んでる人もさぞお疲れだろうと思い撮影が終わった真っ白なチェキをスタッフから受け取り、早々に仲間と合流しようとした。
 引き留められた。というかスタッフから受け取ろうとしたチェキをアイドルが受け取りこちらに手渡してくれて、何度も礼を言っておそらく三回ほど会話を切り上げようとした自分を引き留めていた。もう疲労とパニックで何を聞かれたかもどんな顔だったかも覚えていない。ただ巨大な安全ピン型のネックレスとすごくきれいなネイルをしていたことだけを覚えている。チェキ待ちの人々がメイクやら服装やらを直している間にもむせ返るような香水の匂いにフードをかぶってうずくまっていたような人間がそういう時に正気で人の顔など見れるわけもないのだ。
 そして気づいたのだが、列で並んでいる間に何度か誰のチェキを待っているのかをスタッフに確認される。どうやら列に並んでいるのはみな同じアイドル目当てらしく、なんと撮影待ちの客が居なくなったアイドルが他のアイドルの撮影担当を行っている光景すら見えた。自分よりチェキの売れているアイドルが居て、その手伝いをするアイドルはいったいどんな気持ちなのだろう。今すぐにでもその人のチェキをもらいたかった。
 だけどただでさえ八時間しっかり労働した後にこんな空間に一時間にいると、それだけでついに私の頭はおかしくなってしまった。ステージ上に並んでいるアイドルはみんな同じ顔、チェキを待っている客も同じ顔、ほかの客と仲間たちの区別も徐々に付かなくなり(疲労のせいかどいつもこいつも同じような顔をしているせいか本当にすべてが同じに見えてくるのだ)結局その人が誰なのか何なのかすらわからなくて順番待ちの間はずっとその人を見ていた。同行者の誰もその人を知らない。まるでアイドルの幽霊だ。悲しくてたまらなかった。

 帰りの電車、Y氏と語り合った。地下アイドルはまだアイドルの苗木で、我々ファンが手塩にかけて育て上げるものなのだと。きれいな水と肥料、適切な鉢の中で、成長し続ける苗木がいつか大いなる果実をつけ花を咲かせる火を待ち望むのが我々の役目なのだ。そうやってファンがある種の生産者のような立場でいられる間にだけ与えられるのが、日々成長するアイドルとチェキや煽りを通じて直に触れ合えるという喜びなのだ。言葉にできないアイドルへの感情を吐き出し続けるの言葉に時折R氏がうんうんと頷き(R氏は元々は女性地下アイドルの現場に通う方だった)、Y氏も滔々と語り続ける私にじゃあ次はそれをみんなに伝えてあげなよ、と背中を押してくれた。

 無理だよ。認知されたらいやだよ。そんな風にこぼすと認知されてからが始まりだとまた背中を押される。そうだ。地下と地上は違うんだ。私が変わらなくてはいけないのだ。でも怖い。正直な話推しに認知されると萎えるタイプのオタクなのだ。認知されたことないけど。
 けどとりあえず、チェキをとってもらったユニットが出る直近のライブにお金を払って参加しようと思った。参加ユニット数が増えるほどに値段が上がるというが抽選もないし金額なんてたかが知れている。どんなに高くたってアイマスのライブアーカイブ一日分より安いのだ。それで今度はチェキの待ち時間にその日のライブの良かったところを書き綴り、パニックで碌な返事も出来なかった今日の分まで伝えようと思う。楽屋のごみ箱に捨てやすいように小さな雑紙で、読まなくてもいいように簡素な文で。伝わらなくても、私という人間はその方が頭に残るのだ。

 このルポを業務中に書きなぐりながら、昨日の現場のことを何度も思い返すように。

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