浅ましさ

読売新聞がまだ京橋にあった頃、私は千葉亀雄氏の下でその社会部記者であった。 そこで琵琶の人気投票をやったことがある。 多分大正十年頃ではなかったかと思う。 当時は新聞も今のように大部数が出ないから、いろいろ販売に苦心をしたもので、そのために、時には妙なことをやった。 こういう投票などとなると極まってその用紙を新聞に刷り込んで、これを切り抜いて書き込んで送るという方法。 私は「これはいささか浅ましい、腹を見すかされているようで気持ちが悪いから」と生意気な主張をして、幸いにこれが容れられて一切官製葉書を使用することにした。
実は大したことあるまいと思ってはじめて見たらこれが大変で、確か百万枚を越える投票になったように思う。
(子母澤寛「味覚極楽」、中公文庫 p120)

AKB48も腹を見すかされているような浅ましい真似をした人気投票が恒例行事として定着して久しい。

浅ましさを隠そうともしないその臆面のなさ故に、大手マスコミからも疑義を呈される事なく、公職選挙法に基かない実質的には株主総会であるイベントを「選挙」として報じて貰えている訳であるが、選挙では無い事くらい誰でも知っている。

「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」と語ったのは大野伴睦であるが、定数に入らない場合でも正規メンバーであったり研究生であったりするその地位を失うことは無く、そもそも解散もしなければメディア選抜の総辞職もない。

定数に入ったところでそれが何かを保障してくれるわけではなく、任期は次のシングルが出るまでの数ヶ月。

そして選挙権が直接国税二十円以上どころか、積んだ金に比例して幾らでも手に入ると言う、普通選挙運動に取り組んだ我々のご先祖が化けて出そうな制度。

誰にとってもデメリットの方が多そうなのに、何故か沙汰止みになる気配も無く、少しずつ形を変えながら続いている不思議。

(ちなみに私は一度も権利を行使したことがない。 何故? 野暮だから。)

何かを否定したり反対したりする際、対象を明示する必要は無く、仄めかすだけで良いのだけれど、短絡的な人々はその辺りの機微が分からず脳天気に騒いでしまうので、却って否定したい物を定着させる方向に働いてしまっている。

(嘘でも○○○と呼んで居直ってしまえば、それを批判する側も釣られて○○○と呼んでしまい、喧々囂々のうちに○○○で定着してしまう。)

それが人気を維持するために握手をすることが主な仕事であると言う馬鹿々々しい現状を招いてしまった。

漬物桶に塩ふれと母は産んだか 放哉

投じられた金額の多寡が実際の人気に比例している訳では必ずしも無く、その時々の気分や思惑が反映され、資金の効率的運用である程度は操れる。

その点に於いては実際に公職選挙法に基いて行われているそれと共通する部分が無くもない。

そう考えると件のイベントの結果と経過、メディア露出の量と論調を分析することで、大衆煽動と世論操作の手法を読み解く事が出来るかもしれない。

(2013.10.15)


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