「堂摺連」拾遺

明治の娘義太夫ブームの頃、寄席を掛け持ちして勤めるのを追っかけまわして行く先々で「ドースルドースル」と合いの手を入れて歩いた連中を「ドースル連」とか「「追駆党」(←「おっかけとう」と読む)等と呼んで忌み嫌ったらしく、このあたりが追っかけ、イベントカウンター、外道客のご先祖の行き止まりと言う事になる。

堂摺連に関しては「江戸東京 娘義太夫の歴史」(水野悠子 著、法政大学出版局、2003)についての木下直之氏の書評とか鈴本の3代目の覚え書き「書生に大人気、娘義太夫綾之助」などが触れている。

木下氏の書評の一文を引いておく。

当時の新聞『万朝報』は、「ドースル連」を「蛆虫(うじむし)の如(ごと)き青年の團体(だんたい)」と見なし、彼らの本名を紙面にさらして、糾弾キャンペーンを張ったというからすごい話だ。「ドースル連」は相手を変えて、今なお健在だろう。

年年歳歳である。

明治期の演芸と言えば外せないのが綺堂先生と山本笑月老。 岡本綺堂「明治時代の寄席」、山本笑月「娘義太夫」 これも必読。 

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