第三回 珍品噺研究会

神楽坂駅から天神町の交差点の方に少し下った路地裏にある貸席、昔はほぼ毎日通った道だが、こんな施設があるとは知らなかった。
花街の外れの路地裏にある貸席と言うのが、秘密倶楽部的な催しには合っていた。

靴を脱いでスリッパに履き替え、廊下を進むと、畳敷きの部屋に絨毯が敷かれ、パイプ椅子に毛が生えたようなものが並べられている。

急ごしらえの高座は机二脚に風呂敷を被せたようなもの。
少々危ういが、大きな動きのある噺は無かったのでなんとかなっては居た。

「万歳の遊び」立川志ら玉
「にゅう」立川がじら
「和歌三神」立川寸志
<中入り>
「夢分限」立川らく人
座談「『珍品噺』あれこれ」

ちくま文庫の落語特選だったか、興津要先生の古典落語だったか、速記本で読んだことしか無いような演目から、初めて知る演目まで。

珍品の珍品たる所以は演り手が居ないから。
何故演り手が居ないかと言うと、掛けられる季節が限られていたり、社会通念の変化で笑うに笑えない描写や境遇があったり、そもそも何がどう面白いのか分かり難かったり。
敢えて演る意味が希薄だからなのだけれけれど、毒にも薬にもならない、意味も意義もないような暇潰しのための噺が、むしろ聴きたいので、私の趣味嗜好には合っている。

少数精鋭の好事家が雁首揃えて客席にトグロを巻き、笑ったり笑わなかったり。
笑わないからと言って詰まらない訳ではなく、ゲラゲラ笑わないだけで楽しんで居る。
演者にとっては手応えを感じにくい会だったかもしれない。

座談で出た話で面白かったのは「にゅう」の主人公である奉公人の弥吉。
与太郎のようで与太郎ではなく、権助のようで権助でもない。
登場人物が類型化される前はこうだったのではないかと言う推論。

そう言えば私の好きな演目は「ざるや」にしても「洒落小町」にしても類型化されない「なんだかよくわからない人」が主役であった。

座談まで含めて、上質な暇潰し。 こう言う会には、足を運びたくなる。
次回は11月頃とのこと。 


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