「フランス写真界でのアーティスト活動体験談ーパリ在住写真家、野中玲子さんと語る」

午後から四ツ谷四丁目へ。
ギャラリー・ニエプスにて、トークイベントを観覧。

パリで写真家として活動する野中玲子を招き、パリでの写真展やワークショップの経験もある中藤毅彦が野中の写真家としての来し方や当地の写真事情について聞いて行く。

野中は文系の学部を卒業後、電機メーカーでシステムエンジニアとして10年勤務。
一念発起してフランスに渡り、2年間掛けて大学の授業に付いて行けるレベルまでフランス語を習得。
大学で美術史を一年、更に写真と現代美術について学んだ後、写真家としての道に進んでいる。

詳しいプロフィールは こちら フランス語だけれど、機械翻訳で大意は通じる。

フランス人は美術に関する基礎教養の量が違うので、少々回り道にはなったが伍して話すには美術史を学んでおいて良かったと言う話が先ず面白い。
写真を見て貰うにしても、その写真の意図や意味を説明できないと話が進みにくい。

写真論・作家論より、写真でどう食って行くかに絞った話なので、どうしても生々しくなる。

東京とパリの大きな違いは、ギャラリーの担い手。
東京は企業メセナとしてのカメラメーカーのギャラリーが幾つもあり、作家の発表の場としての自主ギャラリー(ニエプスや街道など)、そして画商としてのギャラリーもある。
それに対して、パリにあるのは画商としてのギャラリーのみ。

複製しようと思えば出来てしまう写真に価値を持たせるための手段としての「エディション管理(複製枚数の制限)」についても、厳密な決まりがある。
エディション管理をしないものは、そもそも作品として認められない。
そして何枚刷るかで価値が決まる。 多いと安く、少ないと高く。

市場価値と写真の質は必ずしもイコールではなく、売れている作家のものなら首を捻るような出来でも高値が付いたりする。
以前読んだ日夏耿之介の鏡花評に、明らかに金のために書いた駄作もあるが、ストーリーが破綻していても文章には鏡花ならではの味わいはあり、駄作であるがゆえの愛おしさもあるなんて下りがあったのを思い出す。

ギャラリーにいきなり持ち込んでも写真を見てくれる訳ではなく、ポートフォリオレビューのような形で作品を見せ、説明をして人の繋がりを作っていく。
そこからゆっくりと話が広がっていく。
ポートフォリオレビューも、最近は写真家志望者が増えたため買い手市場で軒並み有料。

それでも繋がりを作って、その拡がりを待つしかない(勿論、種を蒔くだけでなく、水やりも施肥も欠かさない。)
但し、反応には時間が掛かる。 国ごとに違うと思うが、答えを待つのがフランスのペース。
自分のやりたい表現が流行から外れていれば猶のこと。

場所はどこでも良く、パリで個展を開くこと自体が目的なのであればそれはそれで良いが、作家としてどう売って行きたいのか考えるのであれば、自分の写真を評価してくれる人との出会いを大切にすべき。
ただ、待っていても何も起こらない。 縁は自分で作るしか無く、行動することで出会いが生まれる。

「写真で食って行く方便としての売り込み」についての生々しい話なので、聴衆の反応も極端化。
どう売り込むべきか執拗なまでに質問する人が居る一方、金の話ばかりで夢が無いと嘆く向きも。

この「夢が無い」で火が点き、話は思わぬ方向に膨らむ。

パリフォトはイベントとしては大きいし、写真についてのその年の空気も知ることは出来るが、大金の飛び交うギラギラした雰囲気が嫌いだとか、写真を撮り続けるための身過ぎ世過ぎとしてのあれこれであって、金の為にやっている訳ではないとか。
結論としては二人共「金のためにやっている訳ではない」。

片手間ではなく写真を取り続けるのはなかなかどうして難しい。
霞を食って生きて行かれる筈もなく、撮るにも焼くにもとりあへず金が掛かる。
撮りたいもの、やりたい表現を如何にして収入に結びつけるか。
それは「より広く、届くべき所に届いて欲しい」と言う欲求とも重なる。

「夢が無い」のではなく、夢を現実にする為の手段、やりたい事を続けながら生き残る術についての有意義な話であったと私は思う。

「Double Vie」と題された双子を撮ったポートレートの連作が飾られていた。
老境に至るまで相似形であり続ける人もあれば、幼少期から既に離れつつあるさまが見て取れる人も居る。
定まったフォーマットに収めているのに、いや定まったフォーマットだからこそ、似ているけれど違う、違うけれど似ている、別だけどどこか繋がっている、それが分かりやすく伝わる。

広くは売れにくいかも知れない、しかしこれを欲する人は確実に居る。
宗教画のような安らぎを覚える、不思議な写真だった。


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