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自閉症、という名前について・感性は夢の世界とのかけはし

最近、夢の世界が再び近づいているなぁと言う感じがしている。

ひとりでいる時なんて、半分夢心地というか、過去に見た夢の断片的なシーンが時系列を問わず私の中にその輪郭を覗かせる。


ひとりでいるとき、というのは、外界の情報にさらされずかつ他人から何のパフォーマンスも期待されていない(と結局はじぶんで認識していない,ということなのだけどね)ときのことだ。

それは情報の入力量を、自分でコントロールできるときであり、

外が求めている(と自分で思っている)ものに、自分のアンテナやら電波塔の周波数を合わせ、それに沿って行動することを強いていないときだ。


今みたいに学んだり伝えたりする知識や情報が少なかった大昔は、みんな日常的に半分夢の世界、だったんじゃないだろうか、と思う。

その度合いを高く保てる肉体と精神と魂の中和度のひとが、神職だったり巫女だったりになったんじゃないかな。


現代にあって、そういう外界からの人的期待を含む刺激を低めた時間、つまりひとり時間というのは、特にだいじにして、意識的に設定して摂取する必要があるのかもしれない。

特に、拡大鏡でもかけたように情報が解像度高く感知されてしまう傾向のある、自閉スペクトラムの濃いめのひとには。

そうしないと、「感覚を閉ざしていないと他人の期待と情報の洪水に混乱して自己が押し流されてしまう」から、結果的に自閉という手段を取らざるを得ない、なんてことに、今の世界で残念ながらままあるように、なってしまうから。


自閉なんかじゃない。

繊細な感性をもったよっぽど健康でまっとうな人間の、自己防衛だ。

てめぇらのものさしで測って、こっちがわるいような名前つけんじゃねぇ。


Autism という英語の自閉症にあたることばは、当事者からも好意的に使われているような気がしている。

自分たちと似た特性を持つ人を Auty と呼ぶがら親しみと同胞意識のようなものがこもっているように感じる。

なんか、日本語でもよい呼び名があるとよいのぅ…!



蛇足、代替案を考えてみる。

壱)色彩人、とかどうだろか?ビジュアルで想像すると宇宙的すぎるか(笑)?

弍)いろどり戦隊、いろどりんじゃー!

https://youtu.be/ebOpel30Sk8

(上記お文具さんからの強い影響がw)

参)ニキリンコさんの「自閉っ子」というのも、わるくないんだが、ご本人もおっしゃるように限定的かにゃー

四)まっしぐらー ⇦ネーミングセンス


よいのがあったら教えてください。


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