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「スポーツで稼ぐ」、とは、なぜ言いにくかったのか?その正体とは何か。(完結編) #朝渋 #稼ぐがすべて

#スポーツで稼ぐ ということは、なぜ言いにくかったのか?その正体とは何か。について書こうと思います。

連日、このテーマでの記事となります。

というのも、今回この スポーツで稼ぐ が果たして言いにくかったのか否かについての議論が拡大していて、この議論を拡大させた一人として、ここで一度、整理してみたいと思いました。そしてこれを、このテーマでの完結編としたいと思います。

それでは、目次です。

目次
そもそも稼ぐと言いにいことに賛否があった。
スポーツで稼ぐと言いにくかった理由は何か?
スポーツで稼ぐの議論が拡大した正体とは?

そもそも稼ぐと言いにくいことに賛否があった。

こちらの記事が広がる過程で、

そもそも「#スポーツで稼ぐ」と言いにくい風潮があった、ということ自体に賛否があることに気が付きました。

つまり賛否とは、

確かに、稼ぐと言いにくかったという風潮がある。という同調意見。

そもそも、スポーツで稼ぐは当たり前に根付いていて、稼ぐことを言いにくい風潮を感じたことがない。という意見。

(この辺りはTwitterを覗いてみていただけたらと思います)

私も、この議論を拡大させた一人として、まずは、この真っ二つな意見に向き合ってみたいと思いました。

まずは、目線合わせとしまして、11月7日に 渋谷にて #朝渋 というイベントが行われ、インフルエンサーである、えとみほさんと、Bリーグの事務局長であり「稼ぐがすべて」の著者である葦原一正さんが登壇する回で、早朝の開催ながら100名近くの方々が集まった。 (当日、現地に行ってない身分ですみません)

早朝、かつ、スポーツビジネスに特化したイベントでこれだけの人が集まったということ。

これだけの人を集めたということは、あらゆる理由が紐づいているとは思いますが、えとみほさんや、葦原一正さんへの興味関心の高さ、そして「稼ぐがすべて」という書籍のタイトルにも内包されたスポーツで「稼ぐ」ということに対しての関心の表れでもある、と私は捉えています。

そしてこれだけの人が集まったことを、一つの現象であると考え、私は、スポーツで稼ぐ、と堂々と言える流れがくる。という記事を書きました。

そもそも #スポーツ稼ぐ と言いにくかったのか?

この言いにくかったには、同調意見が多かったのですが、私の実体験もベースに(サッカーを含めスポーツメディアに関わっていた経験も含めて)整理してみたいと思います。

ちなみに、私の今の立ち位置は、稼がないと自力で運営している運営施設の維持ができないので、どんな意見が出ようと私としては、スポーツで「稼ぐ」ということが求められている立場です。

話を戻すと、 #スポーツで稼ぐ を言いにくかったのか?を掘り下げます。

スポーツで稼ぐと言いにくかった理由は何か?

これまで聞いたことがあるのは・・・
・スポーツを指導する人が、お金取るの?と言われたことを聞いた。
・お金稼ぎすぎると来年からの補助金が減るので、これ以上は稼がないでいいよ。と言われた。
・ハーフタイムにチアリーディングをしていたら、あれをやるならチケット代を安くしたら良いのに。という意見。
・2020年、オリンピックへの批判で、ボランティアさんやスポーツドクターが10日などの拘束時間で無給なのだから、職員の人たちも無給で働け、という意見。(このオリンピックの件は、ちょっと軸が違いますかね)
・そもそも儲かってないので、スポーツで稼ぐ と自信を持って言えない。

この他、お金の部分を揶揄する金満球団金満クラブという、お金を持っているスポーツチームを揶揄するようなフレーズもありますから、スポーツで稼ぎすぎても叩かれる対象になることもあるだけに、、

スポーツでお金を稼ぐことには様々なバイアスがかかりやすい状態ではないかと思います。

おそらくは、その組織や風土設計で、スポーツビジネスであれ一般企業と変わらないし、稼ぐのは当たり前となっている組織文化を持つところもあると思います。(まさにこれが本質で、スポーツビジネスのあるべき姿だと思いますが)

これら、賛否はあれど、総論としては  #スポーツ稼ぐ と言いにくかった。で結論をつけさせてください。

(と、両論あるけれど、立場や立ち位置で感じていることはあると思いますが、そういう風潮があるかないかで言えば、あるということに結論つけないと、前に進めないので・・・すみません。進みます)

スポーツで稼ぐの議論が拡大した正体とは?

つまり、スポーツで稼ぐ 議論が拡大した正体を紐解いてみると・・・

1. そもそもスポーツは、ボランティア精神でやるもの。競技だけやればいいという意見がファンにも組織にも蔓延している場所にいて、稼ぐ方向で動きにくい。でもどうにかしたい。(つまり、武士道などの精神や、奉仕の精神としてやるものというような見方の人が多い)

2. 協会が補助金ベースで成り立っているので、自分たちで稼ぐものでもない組織にいる。でもどうにかしたい。

3. 行なっているスポーツは、まだ稼げていないけど、先行事例が出てきているし、稼げるのでは?という期待がある。つまり「稼ぎ方」を知りたい。

これらが、スポーツで稼ぐ ということが言いにくかった人の気持ちではないかと考えています。(この中では1と3が多そうです)

そして、これらをどうにかしたいという、それぞれの立場の人たちの想いが重なり合って、今回のような大勢の人たちがイベントに集まり、声を発するという現象が起きたのではないか、と考えています。

稼ぐことばかり話をすると、本質を置き去りにしていそうなので、最後に補足として以前のつぶやきを貼っておきます。

以上が、 スポーツで稼ぐ ということは、なぜ言いにくかったのか?その正体とは何か。の記事でした。

いかがでしょうか。ぜひ皆さんのご意見を聞かせてください。

(私は、今回のテーマに関しての記事はいったん終えて現場に戻ります。笑)

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