感情の置き場所

どうしようもない感情がある。過去の自分から未来の、今ここの自分へ繋がり続けている感情のことだ。

それは憎しみだったり、悲しみだったり、怒りだったりする。
5~7年近く交流があって、その交流にお互いあぐらをかいた結果、破綻した、みたいなことが数年前にあったのだけど
1年?か半年前にあまりに怒りを沸騰させすぎて、ツイッターのDMに飛び込みで怒りを投げ入れたことがある。怒りすぎて言葉を選び選びだったものの半分も伝わらないような拙い文章力に、相手がまさに何事もなかったかのように、友人に対するような言葉で語りかけてきて、一瞬心が緩んだところに「あなたが傷つくと思ってこれでも(文章の)毒を抜きました」というような、「してあげました」の返信が来た。一瞬で気持ちが引き締まった。 
わたしが年下だから「面倒を見てあげないといけない」という相手の思い込み、言葉を作り出すのが下手くそだから「教えて、導いてあげないといけない」という思い込み、結果、全て「(わたしが伝えられてこなかった部分で)相手が自己判断でしたこと」として終結した(これ以上話してもらちが明かない、とこちらから一方的に切り上げた)のだが、
向こうは「基本自分の内面のことを話したくなかったし、(わたしが)年下だから面倒を見ないといけない」とずっと思っていたらしいし(再三いうが面倒をみてくれ~とは言っていない、いつも助けてくれて、話を聞いてくれてありがとう等のことは伝えていたと思う)、対してわたしは「友人に話せないレベルのこともある程度何でも話していて、言葉にするのが下手くそな自分のことをまとまらない言葉で喋り、それをきちんとした言葉にするのを手伝ってもらっていた(この当時のわたしは、本当に今よりも考えていることを伝える努力が出来ていなかったので、相手の解釈に頼りっきりだった)」という状態だった。

まず初めは、相手が前よりもわたしを頼ってくれたり、ある程度距離が近くなったと感じたので(これはわたしから見てなので分からない。その、わたしの面倒を見ないといけない、と思っていたはずのその人はその時期凄く精神をぶち壊されて病院へ通っていたので。)わたしもそれぐらいの距離の相手への行動・言動へ切り替えた、結果、相手の「その距離」に入れるだけの条件が足りてなかったらしく、それを相手から要求された、というだけの話ではあったのだが。
今思っても「は?」と思う出来事ではあるので言葉がきつくなるのは許してほしい。

「私に感想を送るなら凄いと好き以外で伝えてほしい」
「(いくつか送った結果)その感想はあなたの主観であってこの作品とは関係がない」
「あなたのセンスはどうかしている、これに合うのは絶対これだろう」
「(送ってもらった同人誌を開くのがもったいなくて読めていない、と伝えた時)『来年の誕生日にあけて』(と最初伝えられて、それまでには読むんじゃないかな、と伝えると)一生開かなくていいって意味だよ」
「あなたの言葉遣い、ニュアンスが違うときは正していくね」
「あなたはわたしの事を尊敬しているものね、尊敬している人には(気持ちで)寄り添えないか…」

まあ、そういうような数々だ。この人は文章がやたらめったらにうまく、実際私は凄く好きだった(文章で映像を見せられる人を全般好きなので)。
基本、漢字のむずかしい熟語が山ほどあり、わたしの知らない慣用句や、分からない語彙などが多く、辞書やグーグル片手にしか読めなかったが。(それを伝えると、「どんな人でも読めるようにかくための努力が足りていなかった」、というようなことを言われたが、一生直ることはないと思う)
そもそもそういう「理解」出来る人をターゲットにしているはずなのだから、わたしが読んだのが悪かったのだろう。

この前後の時期、この人の母親がハマっているらしいなろう小説の話などをされたり、本の話になったりした結果、よくわからない地雷を踏んだ話がこれ。


「(世間で出版されている本を一切読まないのは、プロなのに文章の綻びや誤用、粗などが気になるからという発言を受けて『ではあなたの文章力はプロ並みということだね』と伝えた結果)二度と言わないで欲しい、それに漫画を描けなくても編集にはなれるし面白い漫画は作れる」

プロの文章の粗が気になるぐらい目が肥えている=粗が微塵もないようにされた自分の文章しか読めないのでは?と思ったのでそう伝えたのだが、そうではなかったらしい。ちなみにわたしが漫画を描くからこの例えをしたのだと思うのだけど、いまだに納得がいってない。


いい加減相手を何かで見かけるたびに(活動圏が近いらしい)激しい感情に揺さぶられるのが嫌なので全部を全部文章として起こしておく。わたしの記憶力は頼りにならないが、人生において無駄だなと思うことだけはしっかり覚えているのだった。
万が一これを相手が見ることがあったとしても、わたしはこの出来事を一生忘れないと思うし、他者を傷つけるための意図でかいているわけではないし、備忘録としてnoteという媒体が消えるまで残しておくつもりである。

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