ルールや道徳を基準にした意見しか言わない人は信用出来ない

僕の生きていく上での基準の一つに、ルールや道徳を基準にした意見しか言わない人は信用しないというのがあります。例えば「法律で決められているから赤信号は渡ってはいけない」とか、「人の迷惑になるから歩きタバコはしてはいけない」とか、そういう意見です。

いえ、わかっているんです。上記2つの意見は間違ってはいませんし、正しいです。僕も同じ考えですし、多くの方が納得する意見でしょう。

僕が苦手なのは、意見を言う基準をルールや道徳に任せることなのです。正しく納得できるようで、どこにもその人がいない。まるで機械から発せられているように聞こえてしまうんです。

その人は、ルールが変わったらどうするんでしょう。周りにクルマがいなかったら赤信号を渡っていいことになるかもしれませんし、歩きタバコを迷惑に思わない人の方が多数派になる時代が来ない可能性もゼロではありません。その時、変わらずに赤信号を渡ってはいけないし、歩きタバコは許せないと言い切れるんでしょうか。そして、“お上”の決定事項に意見が左右される人を信用していいものなんでしょうか。私はそういう人は裏切ることを簡単にされそうなので、できません。

私は、多少筋が通ってなかったとしても、「私はうっかりで死にたくないから赤信号をわたらない」とか「私は煙がマジでダメだから歩きタバコを根絶したい」とか、自分の経験や性格を把握した上で発する意見が多い人を信用します。もちろんそんな人との付き合いが増えると衝突も増えるわけなんですが、人の迷惑になるとか起きるかどうかわからないことを盾にして意見交換を拒否されるよりずっとマシです。

※こんなことを、現在企画中の「年収300万ラジオ(仮名)」の中で離していこうかなーと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?