見出し画像

いつだって追いかけるキラキラ

きょうは私の初恋のサッカー選手である小野伸二の誕生日だ。

「初恋」と言ったら、答える人は3候補と決めている。
ひとりは、SMAPの香取慎吾。しんごちゃん。1988年うまれのわたしは生まれて気がついた時にはSMAPがテレビで活躍していて、お茶の間の親しみとしてそこにすでにあった。ちなみにお姉ちゃんのパクリでしんごちゃんが好きと言っていたはず。
2人目は、リーヤ。姫ちゃんのリボンのリーヤ。これもすでに同世代はお気づきだろうが、しんごちゃんが声優をしていた。けど当時はそんなこと重要でなく、あの少年の様も、狼みたいな犬みたいなあ風貌もなんだなかかっこいいと思っていた。後から知ったもん、しんごちゃんが声優だったことなんて。
そして、3人目が小野伸二。2001年のコンフェデで見たのかな。そこからサッカーに魅了され、こんなに柔らかくて美しいボールタッチや、パスがあるのか…と本当に時が止まったように感じた。伸二のボールタッチは芸術を見てるようで、そして本人がとても楽しそうにピッチを駆ける姿が美しかった。

こうやって書き出してみると、大人になってから(というか年齢を重ねてから)はずいぶん、頭で考えて頭でっかちで頭だけを動かして、自分の行動や感情を決めているのかもな〜と感じた。
別にしんごちゃんと小野伸二の共通点もさほどなく(丸顔で笑顔が素敵ってところはある、リーヤは実在しないし)、書き出してみると全然理屈の話でない。
ただ、その時にグッと、胸を掴まれたんだろう。
純粋な感情はずっと胸に残る。32歳になっても忘れないんだもん、この3人が好きだったということ、思い出す映像はキラキラしているということ。

心の奥底では、いまもそういった「キラキラ」に出会いたい。この先の自分への置き土産?なのか、贈り物なのかわからないけど、この時わたしはのめり込んでいた、没頭していたんだという生きた煌めきを残してあげたい。時間があっという間に過ぎてしまうような、これってまさに相対性理論だよね、って1人苦笑しちゃうような。

こうやって文章に起こすと、自分自身がとても欲深いことを実感できる。いまだって仕事もあり、一緒に住んでくれる大切な人もいて、家族とも付かず離れず良い関係で、友達も信頼できる人がいて。両手には大切なものを揃えているはずなのに。
やっぱりいつでも悩みの種がひょこって撒かれてしまう。

私のこれからの小野伸二はなんなのだろうか。
小野伸二のプレーも観たいけど、私自身が小野伸二になりたい。
身体が痛くたって、できなくて落ち込んだって
次の日も次の日も、なんだか頑張れてしまうもの。
意図せず、そこに時間を費やしてしまうもの。

きっと私の人生は、そのキラキラを探す旅なんだろうな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?