モスクワに留学していたら戦争が始まった話-5-開戦前夜
↑前回 2月21日(開戦3日前)までの記録
日常・2.23
2月23日はロシアでは祖国防衛の日で、授業は休みだった。授業とはいっても学期が始まってはや1ヶ月、ずっと寮の自室に籠ってオンラインで受講することにも嫌気がさしてきていた。時々「来週から対面授業」という噂が流れることもあったのだが、実際に教室にて授業を受ける日が来ることは一度たりともなかった。
モスクワ市民たちの衛生防疫意識はお世辞にも高いとはいえないのに、機関の意識だけは不均衡かつ過剰なまでに高く、どうやらそれも空回りしているようにしか見えなかったことには、日々嘆息するばかりであった。もっとも、市民たちが奔放であるから公的機関が締め付ける必要があるということなのだろうが。
そんなことも、もはや街中を歩けば全く関係ないことだ。街もまたかつて俗世の人間が作り上げたものではあるが、現在という文脈から離れた状態で泰然とそこに座している。人は病毒に侵されても、街にとってそれはほとんど関係のないことである。
いつものように地下鉄に乗り、Театральная(劇場)駅まで向かう。今日は祖国防衛の日のパレードか何かがあるらしく、赤の広場は閉鎖されていた。警備体制がそれなりに厳重に敷かれた壁の向こうからは、スピーカー越しに誰かが話している声が響いていた。
何やら物々しい雰囲気であるが、マルクス広場には呑気に鳩がたむろし、そのうちの一匹は不敬にもマルクス像の頭の上にちょこんと乗っている。Театральный проезд(劇場通り)には祖国防衛の日を祝う旗が大量に並べられているが、特段何も浮かれた雰囲気ではないし、赤の広場の周辺だけを除けば過度に緊張感のあるような様子でもなかった。
さて、その日は普段理由も目的もなく街をほっつき歩いている私にしては珍しく、明確な目標を持って街歩きを進めていた。それは「ラーメンを作る」ということだ。
前回の記事では夕飯にラーメンを食べる話まで書いた。ドロリと粘度があって旨味も塩気もしっかり効いたスープはかなりクオリティが高く、「モスクワにしては」という下駄を抜きにして純粋に美味いラーメンであり、この先帰国まで数回足を運ぶことになる。それはそうと、ラーメンといっても千差万別。塩・醤油・味噌などの定番どころでは飽き足らず、モスクワでは到底食べられないようなジャンキーなラーメンもまた私は欲していた。何を隠そう、二郎系ラーメンである。
こってり煮込まれた豚肉、背脂、醬油のパンチが効いたスープ、その上にはモヤシとキャベツが山のように盛られ、さらにこれでもかというほどの圧倒的存在感を誇るニンニク——これはラーメンではなく、もはや「二郎」という確固たるジャンルを形成しているともいわれる一杯は、悪魔的な魅力を放ちながらもモスクワのレストランでは絶対にありつけない前衛的な日本食だった。
ただ、素材やレシピについて冷静に考えてみれば、モスクワでも再現できなくもないのだ。豚肉は塊肉がスーパーで安く手に入り、それを煮込んで醤油に漬け込めばチャーシューができる。スープはその煮込み汁に野菜やニンニク、ショウガを入れて煮詰めるだけでよく、それらの素材もまた同様に安価であるので案外難しい話ではない。豚骨をじっくり煮込んで潰して乳化させるなどといった作業も必須ではないので、数あるラーメンの中でも実は「それっぽく」作る分には十分に実現性があることに気が付いたのである。
日本から持ってきた調味料に加えていくつかの素材を手に入れさえすれば作れる、そう考えた私はモスクワ中心部のアジア食材店を巡る旅に出た。
まずはボリショイ劇場とツム百貨店の間を抜けてЦветной бульвар駅を目指す。モスクワの中心部は東京都心に少し似て起伏に富んでおり、軽く尾根状になった坂道を上り下りしての散歩は飽きがこない面白さがあった。ざっと水道橋あたりの川あり丘ありの、坂が続く地形のようなものである。
Цветной бульварは「花の並木道」という意味で、坂を下りた先には幅広い開放的な公園状の並木道が広がっている。冬なので花の気配は一切ないが、夏に訪れるときっと美しいことだろう。
まずはここの日本食材店に入ってみる。実際のところ追加で特別に必要なものといえば味の素などのうま味調味料くらいなのだが、料理の幅を広げていくいい機会なのでいろいろと眺めることとした。
驚いたのはミリンが非常に高額であったことだ。これは既に日本から持ってきているので問題はないが、1Lで1400ルーブル(当時のレートで2000円以上)もするのは衝撃的だった。同様に日本製造のキッコーマンの醤油も1000ルーブル以上と2000円近い値段がつけられており、安価な韓国メーカーの醤油である程度代用できるとはいえ、日本から良い醤油を持ってくればよかったとここで少しばかり後悔した。
ここでは様子見程度でまだ何も購入はせず、続いてСухаревская駅近くにある中華食材店に向かった。
ここはかなり中華系調味料の品ぞろえがよく、眺めているだけでわくわくするような店だった。味の素も置いていたような気がするが、その時は安価で大量に詰められていた中国のうま味調味料「味精」を手に取った。本家二郎でも味の素ではなくグルエースというものが使われているらしく、あの飛びぬけた中毒性を生み出す重要な素材の1つとなっている。
その他にも豆板醬や味噌などをかごに入れてレジに向かう。これだけ品ぞろえがあるならきっと経営者は華僑だろうと思っていたのだが、予想に反してレジに立っていたのはロシア人だった。久々に中国語を話す機会に恵まれると少し期待していたのだが、軽く肩透かしを食らった気分だ。
モスクワ中心部にあるКитай-город駅を直訳すると「中国町」になるのに中華街のようなものは一切なく、歴史的にも全く関係がないというのはあまりにも有名なモスクワ豆知識だが、それにしてもモスクワはどうにも華僑街と縁がないのは少し寂しいところだ。
これだけ揃えばあとはどのスーパーでも買える食材しか残っていないのだが、欲を言えば得意料理の麻婆豆腐を作ってみたいという気持ちも湧いてきたので、さらに他の食材店をめぐることにした。
次なる目的地はКомсомольская駅である。ここには駅前のショッピングセンターに韓国食材店があるのだが、日本や中華系の調味料がかなり揃っている。実際に他店と比べてみるとお値段もかなり良心的なのだ。
ここでは豆腐を購入した。もしあれば麻婆豆腐に欠かせない甜麵醬も購入したかったのだが、残念ながら置いていないようだった。
そこから地下鉄に乗り、いつも行っている寮から少し離れた場所にあるショッピングモールを目指す。茶色の5号環状線に乗ったのだが、重い食材を持って歩き回ったからか、ぼんやり椅子に座り込んでいるうちに気が付いたら一周してしまっていた。
その間にモスクワの華僑系食材店を検索してみると、どうやら郊外に中国人が集まる市場があるらしいことがわかった。郊外といっても地下鉄線の端からさらにバスに乗った先にあるようで、しっかりとその気にならないと行くのが億劫になりそうな場所だった。
重い腰を上げて環状線から抜け出し、いつものオレンジ線に乗る。ショッピングモールはその日も普段と変わらず賑わっていた。
あと買うべきものは野菜類と肉である。モヤシはモスクワではなかなか見かけないものだが、大きめのスーパーに行けば冷蔵庫で売られていると聞いて探してみると本当に置いてあった。大袋で100ルーブル少し、日本で買うのと比べてしまうとかなり割高だが、まあ許容範囲だろう。その分ニンニクやショウガ、キャベツなどは非常に安価なのでむしろ十分なおつりが来るくらいだ。
肉は寮のすぐ近くにあるスーパーで買うことにした。ここは10ルーブル少しでポイントカードを作れば、時々300ルーブルほどの会員限定割引を受けられるお得なスーパーだった。以前ブロック肉がかなり安く売られていたのを記憶していたので、ここまで来た次第だ。
肉は日本の一般的なスーパーと違って、量り売りが基本だ。500グラムほどにカットしてもらおうと思っていたのだが、私のロシア語が悪かったのか、それとも販売員のマダムが面倒だったのかは分からない(おそらくそのどちらもだと思う)が、1キロ近い塊を渡されてしまった。
これでも200ルーブルほどなので日本で買うよりも何倍も安い。実は家で二郎を作るなら圧倒的にモスクワのほうが都合がよかったりする。この暮らしに慣れてしまったらもう日本に帰れなくなってしまうのではないかと、当時は本気で心配していた。
これに加えて必要なものは麵である。あの二郎の独特なわしゃわしゃとした極太麺は当然ロシアでは手に入らない。ここでは生パスタ麺が精一杯の代用品になるのだが、それもなかったので太めの乾燥パスタを購入した。
実は裏技として「重曹とともにパスタをゆでるとかん水のような風味がプラスされ、中華麺らしい茹で上がりになる」という海外生活ライフハックがあるのだが、残念ながらそれを知ったのは後のことだ。
モスクワ二郎、開店
さあ、食材は揃った!あとは調理開始だ。それではまず、ここで今回のメンバーを紹介しよう。
以上でだいたい3人前近くは作れると思う。そう考えるとなんとびっくり、1人当たりの原価が500円台になる。スーパーで少量購入していれば日本だとこうはいかない。外食としての二郎には絶対ありつけないモスクワでも、自炊に切り替えれば意外にも日本以上に手軽な存在なのだ。
まずは薬味を切っていく。臭み消しとしてのネギは本来青い部分を使うらしいが、今回は野菜だしをふんだんに取っていきたいので白い部分も余さず全部使う。ショウガは軽く皮を洗ってざく切りに、ニンニクは丁寧に剥いてあげよう。二郎のシンボルともいえるニンニクはトッピングのみならず、スープにもたっぷり使われている。本当はニンニクの皮からもダシが出るということで、横にスパンと切ってそのまま入れるらしいが、衛生面で不安があれば無理にそうする必要もないだろう。
続いてキャベツも切っていく。これもどれくらい食べるかはお好みだが、芯の部分は良いダシが出るので捨てずに取っておこう。
ここまで野菜をしっかり入れてしまうと「甘みが出過ぎてしまう」という意見もあるようだが、そこは好みによって調整していただきたい。ちなみに私自身は野菜の滋味深さが脂身とニンニクのパンチを「罪滅ぼし」してくれると考えている。
次は肉の下準備である。まず肉から脂身を切り離して、別に分けておく。背脂自体も安く売られているので、こってりと豚脂のパンチが効かせたい方は別途購入をおすすめする。
大きめのスーパーでは日用雑貨を売っていることもしばしばだが、そこで紐を購入してブロック肉を縛っていく。念のために煮沸消毒してから縛りに入るとより安心安全だろう。
いよいよ肉を煮込んでいく。薬味と野菜くず、肉の全てを鍋に入れて、それが完全に浸るくらいの水(分量外)を注ぐ。火にかけると、さながら気分はラーメン屋だ。わざわざ二郎を作らずとも、煮込み豚を作るだけでもかなりテンションが上がるだろう。もっとも、煮汁に染み出た旨味を捨ててしまうのはかなりもったいないので、それならばひと手間かけて二郎まで仕上げてしまう方が良いのだが。
肉を取り出すまでの煮込み時間はおよそ1時間半から2時間。あまり肉を煮込みすぎると崩れてしまうらしいので、ほどほどにしておこう。それなりに気長に待ち、時々水を足してあげれば基本的に放置でも問題ない。
その間にカエシ(醬油ベース)を作っていく。日本の醤油と比べて中韓の醤油は少し塩気が薄いので、邪道かもしれないが隠し味程度に中華だし(鶏がらスープの素)を加える。やはり醤油はケチらず日本から持ってきたほうがいいかもしれない。
続いてミリンを加える。本家二郎ではアルコールフリーのミリン風調味料を使用するらしいが、せっかくなら本ミリンが良いだろうと考え、モスクワにはアルコール入りのものを持ってきてしまった。まあ、しっかりとアルコールを飛ばす「煮切り」を経れば問題ないだろう。
最後にうま味調味料をたっぷり加える。これが二郎が麻薬と呼ばれるほどの依存性をもたらしている所以である。この分量については各レシピごとに差があるので、各自お好きなように入れてもらえば良いと思う。
これら調味料の調合が終われば、カエシを火にかける。しっかりミリンのアルコールを煮切る必要があるが、あまり強火にしてしまうと醤油が焦げて苦みが出てしまうので注意。
弱火でしばらく煮立たせたら、火から上げて皿に移し、チャーシューが煮上がるまで粗熱を取っておこう。
台所の整理に徹していれば2時間などあっという間。いい頃合いになったのでチャーシューを引き上げる。脂についてはまだまだしっかりダシを出させたいので、そのまま引き続き煮込んでおこう。
引き上げると菜箸を通じてしっとりとした程よい弾力を感じられ、この先の期待が膨らむ。本当はジップロックなどのパックがあるといいのだが、わざわざ買いに行くのが面倒であれば椀に漬け込むだけで十分だ。時々くるくる回転させると満遍なく味を染み込ませることができる。
チャーシューを漬け込む時間は1時間半ほど。その間さらに残った脂とともにスープを煮込み続ける。あまりえぐみが出てもいけないので、このあたりで野菜クズを濾して、純粋に脂身だけを煮込むようにする。
同様に、煮詰めすぎてもまたえぐみが強く出てしまうため、ほどほどに水も加えていく。強火で沸騰させながら煮詰めるといわゆる乳化スープになるが、ここもまた好みで変えていけばよいポイントだ。
ここで少しスープを取って、カエシをひとさじほど入れた椀に注いで飲んでみる。思わず笑い声が出てしまうほどの絶品だった。まさか自分で、しかも遠い異国の地でこれが作れるとは、喜びもひとしおであった。
煮詰めて、煮詰めて、水を加えて、更に煮詰める。時間はかかるが、手間自体はさほどかからない作業だ。美味しいラーメンが出来上がることを楽しみに淡々と調理を進める。
そして十分に煮込まれたと感じたタイミングで脂身を取り出す。これは食べる直前にザルなどで濾してトッピングするのも良いが、私はいったん醤油に絡めた「黒アブラ」が好みだった。体には悪そうだが、これもまた悪魔的な美味さをプラスしてくれる。そう、不健康なものはだいたい美味いのだ。
少し早いが、ワンオペなので最後にバタバタするのも大変と考え野菜を茹でる。特にモヤシは青臭さが出やすいので、臭み消しに料理酒を入れて煮るのがオススメだ。香りづけにカエシを入れるのも良いだろう。
野菜の茹で具合、硬さも二郎の店ごとの好みが大きく出る部分だ。これも自家製二郎ならば自分で好きなように調節できるのが利点ではないだろうか。自分で自分のために作れば、誰も口出しすることはできないのだ。
そろそろチャーシューも程よく仕上がったころだろう。包丁で切り分けたひと切れを口に運ぶと、もはや気が触れそうなほどの味わいだった。ここまで日本らしい味わいのものをガッツリ食べたのは、モスクワに来てからは初めてのことだったと思う。
食べきれない分は保管しておけばよいので、この幸せがまだまだ続くということもまた嬉しかった。その都度軽く熱を通せば、きっと3日くらいは問題なく持つだろう。
最後に麺を茹でる。かなり大事な要素でありながら、こればかりはどうも再現が難しいものだ。袋に書かれている標準時間を目安にザルにうつし、しっかりと水気を切る。
ついに盛り付けだ。カエシをスープで薄め、麺を入れて野菜と肉を慎重にトッピングする。ニンニクをたっぷり添えて、最後に上から黒アブラをまぶすと——完成!
ビジュアルはほとんど完璧に近い。いざ、実食だ。
麺をまず啜ると、まあまあこれに関してはこんなものだろうといったところか。やはりパスタらしい小麦くささが前面に立ち、中華麺らしいかん水の風味が恋しくなる。
しかし、野菜の甘みと豚肉の濃厚なうまみ、カエシとニンニクのパンチがこれでもかというほどに効いたスープはかなりクオリティが高い。ヤサイと肉と黒アブラを同時に頬張れば、あの赤色のカウンター席が目に浮かぶようだった。これはほとんど、二郎だ。この異国で作ったものとは到底思えないほどに、母国の味を感じることができる。
これからもラーメン作りを極めていこうと、目の前のラーメンに食らいつきながら次なる一杯のことをひたすらに考え続けていた。あと6カ月もあれば、きっとかなりクオリティも上げられるだろうと希望に満ちていたのだ。
夜
その晩、ラーメンづくりで荒れ果てた台所の片づけを済ませてTwitterを開くと、ぺテルブルグに住むフォロワーがスペースを開いていた。
スペースとはTwitter独自の音声会話プラットフォームのことで、1人でただひたすら自分語りをしたり、複数人で会話したり、そこに乱入したり、ただ耳を傾けてみたりすることもできる。往々にして話しているうちに内輪ノリが加速し、ひたすら恥を全世界に晒すことになりがちな愉快な場である。
その日のスペースはロシア在住者や愛好家の方々が揃う回だった。ロシアでいかに和食やラーメンを作るかという話だったり、下世話な話だったり、兎にも角にもありとあらゆる話で大盛り上がりした。
何人かはほろ酔いになっているようであり、私もこれ幸いとスーツケースから先日購入したジョージアの赤ワイン「キンズマラウリ」を取り出した。
ロシアの学生寮では寮長が抜き打ちで部屋に立ち入り、ガスや電気による火災の危険がないか検査することがある。その際に禁制品であるアルコールが見つかるとシバかれてしまうので、普段はこうして隠してあるのだ。
つまみには先ほど煮込んだチャーシューを冷蔵庫から出してきて、ワインをコップに注ぐ。ワインの程よい甘みとチャーシューの塩気がよく合い、楽しい会話も相まって酒がひたすらに進んだ。
このような文章を書いているとさもモスクワを満喫しているように見えるが、正直に言えばかなりしんどい思いをすることの方が多かった。冒頭にも書いた通り、オンライン授業続きで日中部屋にずっと籠り続けているのは、精神にとっては完全に害でしかなかった。
そんな事情をペテルブルグ在住のフォロワーに話すと、「再来週遊びにおいでよ」とお誘いをいただいた。来週からはいよいよ3月、奇しくもそのスペースには私を含めて3月生まれが数人揃っていた。話はどんどん盛り上がり、「お誕生日会をしよう」「マースレニッツァだ」「マースレニッツァのブリヌイ代わりにお好み焼きを焼かない?」「ラーメンも作りますよ」というふうに、様々な行事がぽんぽんと生み出されていった。
オンライン授業ならいっそ遠くに行ってしまっても変わらない、そして遠くに行っても自分を受け入れてくれる場所と人がいる。これほどまでに喜ばしいことがあるだろうか。あの瞬間は、まだ計画段階だったとはいえ、モスクワに留学していた日々の中でも際立って幸福なひとときだったと思う。
深夜3時を過ぎ、もう間もなく4時という頃までスペースは続いた。普段私は夜更かしをすることは稀なのだが、ここまで話し合ってもまだ物足りないほどの高揚感に満ちていた。気が付いたら、赤ワインの瓶は既に半分以上空になっていた。
机の上の片付けを済ませ、それから寝る前の支度を整えてベッドに潜り込んだ。寝る寸前にTwitterを開くと、「ウクライナ現地時間4時(モスクワ時間5時)に侵攻開始予定との未確認情報」という情報が流れてくる。
あと50分ほど、それが本当なのか確かめるために起き続けてもよかったが、そこまで雑に開戦することはないだろうと思いながらスマホを置いて目を閉じた。そうだ、まだまだあまりにも脈絡がなさすぎる。
数日前のプーチンによる「怪文書演説」以来、毎日のように「今日こそ開戦か」と繰り返し言われていた。とはいえ、これまでに少しずつ進展してきた軍事行動は偽旗作戦としても全てが雑すぎた。ここに列挙するのもばかばかしいほどの行動だった。
悪い方向に考えれば、おそらくドネツク・ルガンスク全域辺りは危ないかもしれない。ただ、それでもあともう少し準備はするだろう。アルコールのせいで世界が霞んでいく中、ここ数日何度も考えたことを反芻した。だって、彼らの大義は「ドンバスの保護」なのだから……。
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