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妲己のお百と化け屋敷

 
 
 
登場人物
 
高間磯左衛門三郎 豪商高間伝兵衛の甥
 
りつ       三郎の妻(妲己のお百)
 
又左衛門     差配
 
よね       三郎の母
 
定助       那珂忠左衛門の中間
 
那珂忠左衛門   愛宕下奥家老
 
喜助       向島の百姓
 
和尚
 
 
 

一場 高間磯左衛門三郎の母、よねの家
 
向島・寺島村。
桜並木の土手下に建つ農家風の妾宅。
下手木戸、中は土間から二重で居間。居間には仏壇がある。
仏壇の前に寺の和尚が座り、寺島村の差配、又右衛門と近隣の百姓の喜助と友蔵が四九日の法要を営んでいる。
和尚、お経を読み終えてリンを鳴らすと位牌に一礼、さらに一同に向き合い一礼する。
 
和尚    よねさんは亡くなられ冥土の旅に出られ四九日で忌明けを迎えます。葬儀で用意した仮の位牌から本位牌に個人の魂も移し変えました。これで四九日の法要を終わらせていただきます。どなた様もご苦労様でございました。
又左衛門  ありがとうございました。これでよねさんも浮ばれます。
和尚    故人には倅が一人おられたはずだが。
又右衛門  はい。
和尚    お見えになりませんでしたね。
又右衛門  ……のようでございますな。
和尚    なんとまぁ。
喜助    差配さん、倅はなんて名だ。
又左衛門  三郎さんだが。
喜助    その三郎に連絡は取ったのだろう。
又左衛門  まあ。
喜助    母親の葬式も法要もこないなんて薄情じゃねぇか。妾腹が本家に迎えられれば、実の母も赤の他人か。
又左衛門  よしなさい、仏前だ。
喜助    でも。
和尚    それではこれで失礼いたします。
又左衛門  和尚、ささやかですが法要の御膳とお酒を用意しています。これから私の家にいらしてください。喜助もきておくれ。
喜助    こいつはありがたい。
又左衛門  飲みながらよねさんの思い出話をしましょう。よさんは酒が好きだった。
 
  又左衛門と和尚、木戸外に出る。
 
和尚    明日になれば故人の魂はここを離れる。成仏なされませ。倅恋しさに迷って出てきちゃなりませんぞ。
又左衛門  え。
和尚    いえ、なんでもありません。
 
  喜助、仏壇に何かを供えている。
 
又左衛門  なにやってるんだ。
喜助    よねさんに頼まれていたものをお供えしているんです。
又左衛門  え、生前に頼まれたのか。
喜助    当たり前です。
和尚    そりゃそうだ。
又左衛門  で、なにを頼まれた。
喜助    浮世絵。
又左衛門  なんでそんな物を。よねさんに浮世絵趣味なんてありましたか。
喜助    さあ。
又左衛門  見せてくれ。
 
  又左衛門、仏前に戻り浮世絵を手にする。
 
又左衛門  ……妲己のお百。なんだこれ。
喜助    よねさんが見たいと仰ったから買ってきたんです。でも渡すことが出来なかったから。
又左衛門  和尚、知ってます妲己のお百って。
和尚    去年の秋田騒動で有名になった悪女の浮世絵だ。絶世の美女だが関わった男は死んでしまうとか。
喜助    あ、聞いた事があります。
和尚    このお百という女は今も江戸にいるそうですぞ。
喜助    へえ、一度実物にお目にかかりたてぇや。
又左衛門  秋田久保田藩のお家騒動のことですか。このお百って女が係わり合いにねえ、……しかし妲己とはなんです。
和尚    妲己とは殷の王妃で贅沢と淫蕩の限りを尽くし国を滅ぼした女だ。お百は男渡り歩き贅沢三昧をし、欲がらみで男を殺したという噂まである。それゆえ妲己と称された。つまりお百とはそのくらい悪い女ということだ。今江戸で一番有名な悪女ですぞ。聞いた事はありませんか。
又左衛門  初耳です。いやぁ会ってみたいな。しかし、こんな浮世絵をどうしてよねさんが欲しがったんだろう。
和尚    さあ。
喜助    なんでですかね。
又左衛門  聞かなかったのか。
喜助    はい。
又左衛門  まあいい、行きましょう。
 
  又左衛門、浮世絵を戻して外に出る。
  和尚と喜助も出る。
 
又左衛門  あ、忘れていた。この辺りに泥棒が出たから用心しろと、役人からお触れがありました。和尚、気をつけてくださいよ。
喜助    差配さん、本当ですか。
又左衛門  ああ。しかもその賊は刀を持っているそうだ。
和尚    なら侍か。
喜助    中間かもしれねぇ。
和尚    何にしても気をつけましょう。
 
  又左衛門、花道を見る。
 
和尚    どうなされた。
又左衛門  あれは、よねさんの倅だ。
 
  花道から旅支度の三郎とりつが歩いてくる。
  三郎、又左衛門を認め駆けてくる。
 
三郎    差配さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
又左衛門  ……。
三郎    あれ、随分お会いしていないから忘れちゃいました。わたしです、ほら、ここに住んでいるよねの倅、高間の三郎です。
又左衛門  覚えています。
三郎    ありがとうございます。わたしたち旅に出てまして秋田の湯沢からの帰りです。向うはすっかり秋色に染まっていてとても綺麗でした。でもこちらはまだ夏の日差しが残っていて暑いなぁ。差配さん、これは秋田のお土産じゃありませんが途中で買ってきたお饅頭です、どうぞ。りつ、お前の持っている饅頭も出しておくれ。
りつ    はい。
三郎    りつです。江戸に戻れば祝言を挙げる予定なんです。りつにせがまれて前祝いで秋田めぐりを(饅頭を集め)……さあ、みなさんもどうぞ。
 
  三郎、饅頭を配る。
 
三郎    差配さん、おふくろは元気ですか。
又左衛門  えッ。
三郎    色々ありましてしばらく会ってないんです。お店に戻れば忙しなりまた会えなくなりそうですから、旅の終わりにりつの紹介と、夫婦になりますって報告がてら立ち寄りました。
 
  三郎、家に入っていく。
 
三郎    おふくろ、おふくろ。三郎です、遊びにきたんだ。りつ、早くこいよ。
りつ    はい、ごめんくださいませ。失礼いたします。
 
  りつ、家に入る。
 
喜助    差配さん、もしかして亡くなったこと知らねぇんじゃ。
又左衛門  だからこなかったのか。
和尚    拙僧から話しましょう。
又左衛門  これはわたしの役目でしょう。皆は引き上げてください。
和尚    心得ました。ご膳はまたこの次に。おい、帰るぞ。
友蔵    承知だ。しかしよぉ、能天気な倅だ。
和尚    まったくだ。
 
  又左衛門を残して二人は帰っていく。
  三郎、竃脇の瓶から桶に水を汲んで上がり框で草鞋を解く。
 
三郎    なにやってるんだりつ、草鞋をとかないか。遠慮はいらないよ。
りつ    はい。
 
  三郎、二重に上がり行灯に明りを入れる。
 
三郎    おふくろ、おい、おふくろ……でかけてるのかな。
りつ    でしたら日を改めませんか。一度日本橋に戻って後日また。
三郎    なにいってるんだ、もうおふくろの家にいるんだよ。
りつ    そうですが。
三郎    あれ?仏壇がある。誰のだろう。
りつ    誰って、知らないのですか。
三郎    ああ、前来たときにはこんなものはなかった。
又左衛門  それはよねさんの御仏壇だ。
三郎    差配さんなにいってるんです。
又左衛門  それはあなたのおふくろの仏壇だ。
三郎    冗談はやめてください。
又左衛門  よねさんは七月の末に風邪をこじらせて亡くなった。今日はその四九日の法要だった。
三郎    いやだな、からかわないでください。
又左衛門  馬鹿、からかいでこんなことをいうものか。
三郎    嘘です。
又左衛門  あなたが秋田で物見遊山している間の出来事だ。具合が悪くなってからあっという間だ、暑さも手伝ってか三日もたなかった。わたしは三郎さんの本家やあなたの叔父、米方役を勤める天下の豪商高間伝兵衛さんにも早飛脚で仔細を伝えた。なにも聞いてないのか。
三郎    聞いてません……。
 
  三郎、仏壇の前で力なく膝を折る。
 
又左衛門  秋田にいたんだ、知らせが遅くなるのは分かるが、四九日の今日までまったく知らなかったというのはいかがなものです。本家はあなたたちに連絡をしなかったのかな。
三郎    さあ、どうでしょう。
又左衛門  さあって。おかみさん、どうなんです。
りつ    ……。
又左衛門  おかみさん。
りつ    え、わたしですか。
又左衛門  あなたしかいないでしょう。どうなんです。
りつ    したかもしれません。しかしわたしたちは一つところに長く逗留せずにおりましたから。
又左衛門  そうですか。なら一概に攻めるわけにはいかないが、三郎さんがこれないなら、代わりに誰かよこしてもよさそうなものです。
りつ    誰もこなかったのでしょうか。
又左衛門  はい、まったく薄情なものです。いくら妾でも……。
三郎    ご迷惑をおかけしてすみませんでした。でも四九日にもどってきたのは母に呼ばれたのかもしれません。なにをやっているんだ馬鹿息子、今日と云う今日は是可否でもここに来いって。だから足が向いたんでしょう。
又左衛門  かもしれませんな。
三郎    これてよかった。おふくろ、ごめんな、ごめんな……。
 
  三郎、仏壇に向かって頭を畳に擦りつける。
  そして嗚咽が漏れる。
 
又左衛門  これからどうします。
三郎    今夜はここに泊まっていきます。
又左衛門  それがいい。……ああ、そうだ。じつはよねさんの遺言がありましてね。
三郎    遺言があるのですか。
又左衛門  といってもたいしたことじゃありません。奥の座敷によねさんが用意した荷物がございます。それを三郎さんに渡してくれと頼まれました。それから遺品の中にお金がありました。勝手ではございますが、そこから葬式代やなにやら出させていただきました。しかしまだ三十両ほど残っておりますのでそれもお渡しいたします。
三郎    お金は結構です。どうかお清め代にお納めください。
又左衛門  そんなわけにはまいりません。
 
  又左衛門、手持ちの巾着から袱紗に包まれた金子をだす。
 
三郎    随分とお手間をかけましたから。
又左衛門  差配として当然の事をしたまでです。
三郎    いえ、お金はお納めください。
又左衛門  もらえませんよ。
三郎    ほんの小額ですから。
又左衛門  三十両は大金です。それにこれもあなたの母親の遺品です。ちゃんと受け取りなさい。
三郎    え、あ、はい。すみません。
又座右門  荷物を取ってきます。
 
又左衛門、座敷に上がり部屋奥の暖簾をくぐる。
 
三郎    気を使いすぎてしまったかな。
りつ    三郎さん、今夜はココに泊まるつもりですか。 
三郎    それが供養になると思うんだ。
 
  三郎、仏壇に向かう。
 
三郎    死に目どころか死に水も取れなかった。ごめんよおふくろ、まさかこんなことになってるなんて、夢にも思わなかったんだ。
りつ    わたしが秋田に行きたいといったばかりに、三郎さんに親不孝をさせてしまいました。
三郎    りつのせいじゃない。
りつ    わたしが悪いのです。
三郎    そんなことはない。とにかくりつも線香をあげておくれ。
 
  三郎とりつ、仏壇に線香をあげりんを鳴らして手を合わせる。
 
三郎    戻ってこないな差配さん。
りつ    三郎さん、夫婦になるのは止めにしませんか。
三郎    なにをいいだすんだ。
りつ    祝言を挙げるのは江戸に戻ってから、だからまだ夫婦じゃありません。今なら間に合います。
三郎    しかし秋田に連れて行ったら夫婦になると約束したよ。
りつ    高間の叔父様はわたしが女房になるのを反対しているじゃありませんか。このまま突き進めばあなたは高間家を追い出されます。
三郎    かまわないさ、所詮わたしは腹違いの三男坊で極潰しだ。
りつ    高間家は米相場を取り扱う江戸一の豪商です。例え三男でも腹違いでも、高間家にいれば安泰です。それを棒に振るおつもりですか。
三郎    わたしはお前が傍に居てくれれば十分幸せなんだ。
りつ    ならお妾でいいじゃありませんか、なにも夫婦にならずとも。
三郎    おふくろと同じ妾にか。
りつ    どの道わたしは愛宕下御前奥家老、那珂忠左衛門様の侍妾だった女です。
三郎    駄目だ、おまえをおふくろの二の舞にしたくないんだ。
りつ    おかあさまは不幸せだったのですか。
三郎    当たり前さ。わたしだってずいぶん辛い思いをしてきたんだ。
 
  その時、荷物をかかえた又左衛門が血相をかえて暖簾から転がり込んでくる。
 
三郎    差配さん、どうしました。
又左衛門  ど、泥棒だ、泥棒だ。
三郎    えッ。
 
  暖簾の影から身なりの汚い髭面の男(定助)が、抜き身の刀を持って現れる。
 
三郎    ど、泥棒なんですか。
又左衛門  役人からお触れがあった、こいつは泥棒だ。
定助    静かにしろッ、おっと動くなよ。
 
  定助、刀で威嚇する。
 
又左衛門  しかし驚いた。
定助    だまれッ。
又左衛門  なにが驚いたって、泥棒も驚いたが、わたしはそれよりも驚いた。
定助    ぐちゃぐちゃ煩い、こっちには人質がいるんだぞ。
又左衛門  だってその人質が。
定助    おい、こっちにこい。
又左衛門  死んだはずのよねさんだものッ。
 
  定助、暖簾の影から老女を押し出す。
  三郎、よねを見てびっくり。
 
三郎    おふくろッ。
よね    三郎、ひさしぶり。
三郎    うそ、生きてるの。
よね    いいや死んでるよ。又さん、ごきげんさん。
又左衛門  よねさんが化けてでたッ!。
定助    俺は静かにしろといってるんだ。さもないと人質がどうなるか。これ以上騒ぐとこの婆が死ぬぞ。
又左衛門  だからもう死んでますって。
定助    はあ?。
又左衛門  その人はわたしが見取って、葬儀を出して、埋葬まで手伝ったんだ。そして今夜が四九日。
よね    その節は世話になったね。
又左衛門  ととととんでもない、嫌、おばけッ。
定助    おまえは馬鹿か。老いぼれだがりっぱに生きてるぞ。
又左衛門  ちがう、その人は死んでます。
定助    そ、そんな手に乗らねぇぞ。
三郎    おふくろ、マジで幽霊なのか。
よね    うん。
 
  定助、不安がよぎりよねを見返る。
  よねの顔が骸骨になっている。
 
定助   うぎゃーッ。
 
  定助、絶叫して倒れる。
 
又左衛門  気を失ったぞ。
三郎    なにやってんだよ、おふくろ。
よね    (元の顔)あら、薬が効きすぎたみたいだね。
 
よね、大笑い。
 
よね    それにしても、この人は自覚してないみたいだ。
三郎    なんです。
 
  音楽と共に溶暗。
 
ブリッジ。
 
 
 
 
二場
 
暗転明け。
 
定助、縄で縛られている。
それを取り囲む一同だが、又左衛門たちは定助より、幽霊のよねに気が気でない。
 
又左衛門  よねさん。
よね    はい。
又左衛門  確認ですが、本当に幽霊ですか。
よね    幽霊でございますよ。
又左衛門  なんだか、その……、あなたを見取ったわたしが言うのもなんですが、まるで生きてらっしゃるようにみえます。
よね    わたしが骸骨とか恨みたっぷりのお岩さんみたいな姿で出てきたら、又さんどうです。
又左衛門  嫌です。
よね    だから気を使ったのです。
又左衛門  それはどうもありがとう。しかし生きている時となにも変わらないとは。
よね    触ってみる。
又左衛門  いいのですか。
よね    どうぞ。
 
  又左衛門、恐る恐るよねの手を触る。
 
又左衛門  冷たい。うああ、死んでるんだ。
三郎    おふくろ、ご免。わたしを恨んでいるんだろう。だから化けて出てきたんだ。
よね    お別れをいいに出てきたのさ。明日になればわたしはこの世から消えてなくなるから。
三郎    そんな。
よね    仕方がないんだ。三郎、最後に会えてよかったよ。
三郎    おふくろ。
 
  三郎、感極まってよねに抱きつく。
 
三郎    冷たい。
 
  と、思わず離れてしまう。
 
よね    すまないね。
三郎    ごめん……そうだおふくろ、わたしは嫁を貰うんだ。紹介するよ、りつです。
よね    かわいらしいお人だ。
りつ    ……。
よね    初めまして。
りつ    ……。
三郎    りつ。
りつ    すみません。あの、お化けを見るのは初めてでどんな挨拶していいのか。
三郎    ごく普通にすればいいんだ。
りつ    といわれましても(汗)。
又左衛門  ですよね。
りつ    あの、おふくろ様。わたしはなんと申してよいか説明に苦慮するのでございますが、三郎さんとは……。
 
  定助、形容しがたい悲鳴を漏らす。
 
又左衛門  なんだこいつ。
三郎    この男はどうするのです。
 
又左衛門  番屋に突き出します。それにしても、泥棒のくせに度胸がないなぁ、真っ先に気を失うかなぁ。おい、起きろ。目を覚ませ。
 
定助、何度か身体をゆすられ目を覚ます。
それで辺りを見回し驚いて逃げようとするが身動きが取れない。
 
定助    放しやがれッ。
又左衛門  暴れるな、逃げられはしないぞ。
定助    畜生。
又左衛門  見張っていてください喜助さんを呼んできます。突き出してもらいましょう。
定助    待ってくれ。乱暴な真似をして悪かった、俺は泥棒じゃないんだ。
又左衛門  泥棒だろうが。
定助    違うんだ、聞いてくれ。
又左衛門  この家に忍び込み私たちに刀を向けて脅しただろう。それにこの辺りに泥棒が出没していると役人から届けがあった。あんただろう。
定助    腹がへったから、つい。
よね    お腹がすいてるのかい。
定助    ああ。……え。
 
  定助、よねと目が合い絶叫。
 
定助    ごめんなさい、南無阿弥陀仏……。
又左衛門  よほどお化けが怖いんだな。
三郎    私の母は怖くありませんから安心してください。
定助    ほ、本当か。
三郎    生きてる時と変わらないんです。あ、触ると冷たいですけどね。ですから怖がることなんてまったくありません。よく見てください。
定助    ……なるほど、たしかに生きてるとしか思えない。本当に幽霊なのか。
よね    もう一度骸骨になろうか。
定助    いえ、結構です。
又左衛門  それじゃ呼んでくる。
定助    待ってくれ。俺はそこの女に用があってここにきたんだ。
又左衛門  誰に。
定助    お百にだ。
又左衛門  なにをいってる。その人は三郎さんの伴侶でりつさんだ。
定助    お百だ。
りつ    あなた誰です。
定助    俺は那珂様に使えていた中間の定助だ。覚えてないのか。
りつ    わたしが知っている定助はもっと太っておりました。
定助    痩せたんだよ。那珂様が久保田藩に処刑されて俺は伊予松山藩から暇を出され屋敷を追い出された。それから金がないので飯が食えない。それもこれもあんたのせいだ。
りつ    知りませんそんなこと。
定助    なんだとッ。
又左衛門  ちょっと待て。誰がお百だと。
定助    その女だ。
又左衛門  那珂様が久保田藩に処刑とか、伊予松山藩とかって、それって。
定助    秋田久保田藩のお家騒動だ。その女は元久保田藩家老で愛宕下御前奥家老、那珂忠左衛門様の侍妾お百様だ。
又左衛門  まさか、それは江戸でいま一番有名な女じゃないか。
 
  又左衛門、マジマジとりつを見る。
 
定助    実物を見るのは初めてか。名前を変えても無駄だ。そこにいるのは妲己のお百と呼ばれた稀代の悪女だ。
 
  りつ、顔色を変えその場を離れる。
 
三郎    あの、妲己とはなんです。
又左衛門  え、それは。
定助    知らないのか。
三郎    はい。
定助    物好きで一緒になるのかと思いきや知らないだけだったとは、呆れた男だ。いいか、この女は出世の為に金持ちの男を渡り歩いてきた。最初は大坂の豪商鴻池善右衛門、歌舞伎役者の津田門三郎に市川団十郎、そして。
りつ    そんな話をしにきたのですか。
定助    いや。
りつ    ではなんです。
定助    あんた、秋田に何をしにいった。
りつ    えッ。
定助    それを確かるためここにきたんだ。答えてもらおうか。
りつ    あなたに答える必要はありません。
定助    答えてもらわなきゃ、俺の立つ瀬がないんだよッ。
りつ    ……。
三郎    湯治と物見に行きました。
定助    それだけじゃないはずだ。
三郎    いえ、それだけです。
定助    そんなことのために、その女が態々秋田までいくものか。
三郎    泥棒さん。
定助    定助だ。
三郎    りつが那珂忠左衛門様の侍妾だったことはわたしも承知しています。しかしそれがどうしたというんです、わたしが気に入ったんだ別にいいじゃありませんか。それで夫婦になる前祝で秋田を二人で旅した。そりゃ那珂様縁の秋田だからりつも思い入れがあるでしょう。だからといって、あなたにごちゃごちゃいわれる筋合いはありません。
定助    筋合いはある。
三郎    秋田騒動や那珂様の処刑にりつは関係ないでしょう。
定助    ある。
又左衛門  そうか、わかったぞ。りつさんが江戸一の豪商高間家の甥と夫婦になるから金を強請りにやってきたんだ。
三郎    だから泥棒じゃないわけか。
定助    違う。本当なら秋田に赴いて自分の目で確かめたかった。だが金もないし手形も出来ない。そんな折亭主になる男の母親が死んだと聞きつけ、ここで張っていれば必ず会えると踏んで待っていたんだ。なあお百、あんたは久保田藩の藩主に渡りをつけに秋田まで行ったんだんだろう。
りつ    そんなことは。
定助    シラをきるな。その男を利用して秋田に出向き藩主に取り入って側女になる魂胆だった。
りつ    違います。
定助    いや、あんたはそういう女だ。
りつ    もう結構です。早く番屋に連れて行ってください。
又左衛門  わかりました。
よね    ちょっと待って。その前に秋田騒動ってのを説明しておくれ。
三郎    おふくろ、それは今じゃなくても。
よね    泥棒さん、教えてください。
定助    だから定助だ。
よね    定ちゃん、とくにその那珂様のことをくわしく御願いしますよ。
定助    定ちゃん……(咳払い)宝暦七年、つまり去年、財政難に陥った藩政を立て直すために行った銀札政策が頓挫した。銀札政策反対派は勢力を盛り返し藩主をたきつけて政策を実施した藩士を尽く断罪したのだ。これが秋田騒動だ。そして那珂様は銀札政策の責任者であったため、その時はすでに他藩の奥家老であったにもかかわらず処刑されてしまった。
よね    なるほど。
定助    当時、命の危険を感じていた那珂様は江戸は愛宕下の屋敷に閉じこもっていた。そこは他藩の領地ゆえ久保田藩は手出し出来ん。ところがその女は那珂様を唆し、こともあろうか江戸の久保田藩邸に向かわせたのだ。むろん捕らわれて那珂様は秋田に護送され、二度と帰ってこなかった。
 
  裃を纏った初老の侍、那珂忠左衛門がりつの背後の闇に浮ぶ。
 
よね    今の説明でいいのかい……よくわからないね。頷いているということはあっているのですね。
定助    え。
よね    優しそうなお人だね、那珂様は。
三郎    どうしたんだおふくろ。
よね    りつさん、那珂様を久保田藩邸に行かせたのかえ。
りつ    行くように進めたのは本当です。
よね    あなた、それを今でも大変悔いているんだね。
りつ    ……はい。
定助    悔いてなどいるものか。以前久保田藩主佐竹義明様があんたを見て自分の妾に所望したが那珂様は断った。出世の機会を棒に振られたあんたは那珂様を久保田藩に売ったんだ。そして義明様の女になるつもりだ。
りつ    違う。
定助    違わない。
よね    黙らっしゃい。
定助    あううう、はい。
よね    酷い事をいうもんだ。ねえりつさん、あなたの思いが、那珂様をここまで連れてきたみたいだよ。
りつ    まさか那珂様がいるのですか。
よね    後ろにね。
りつ    那珂様、那珂様。
 
  しかし、りつたちにその姿は見えない。
 
定助    本当に那珂様が。
りつ    そこにいらっしゃる。あら、あんたたちには見えないのかぇ。
りつ    見えません、那珂様、那珂様。
定助    那珂様お居ででござりますか。お百という女は酷い女ですぞ。那珂様を裏切り、あまっさえ久保田藩主の妾になろうとする不埒な女でございます。
りつ    そんなことはしてません。
定助    騙されてはなりませんぞ那珂様。
よね    いい加減にしなさい。
定助    うるさい、あんたには関係ない。この縄を解け、那珂様の仇が目の前にいるんだ。
よね    ぴーちくぱーちく喧しいね、この痴れ者が。
 
  暗くなり、よねと定助にスポット。
  妖しい音が鳴り響く、
  部屋のあちらこちらに人魂が飛び交う。
 
定助    ぎゃッ。
 
  定助、絶叫して逃げ出すが、そこに現れた複数の人魂に驚き逃げ場を失い、やがて追い詰められてしゃがみ込む。
 
定助    助けて、ここはお化け屋敷だッ。
 
  那珂が定助の傍に現れる。
 
定助    那珂様、那珂様。
 
  那珂、振り向くと顔が骸骨。
  定助、再び絶叫してぶっ倒れる。
  明るくなる。
 
又左衛門  あァ~ァ、また気を失ったぞ。
三郎    おふくろ、やりすぎ。
よね    わたじゃないよ。
 
  他の幽霊はすでにいなくなっているが、那珂はなぜか皆の中に混じっていて倒れた定助を見下ろしている。
 
りつ    な、那珂様。
又左衛門  えええッ。
三郎    嘘ッ。
 
  那珂、にっこり笑う。
  それぞれの表情あり。
 
  音楽盛り上がり溶暗。
  ブリッヂ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三場
 
  ブリッジ終わりで舞台明り。
 
  喜助、又左衛門と三郎がお膳を運び込んでいる。
 
喜助    差配さんの家に用意してある法要の御前はこれで全てです。。
又左衛門  すまないね。後日改めてお礼の宴席を設けますから。和尚さんにはわたしから伝えます。
喜助    なにはともあれご家族が揃ったんですから、身内がご供養するのが一番です。
三郎    お手数をかけました。どうにもお腹がすいてしまいご無理をいってしまいました。
喜助    この辺りは五つを過ぎると人通りもないし、料理屋はどこも閉まっちまう。それじゃわっしはこれで。
 
  三郎、仏壇に供えてあるお百の浮世絵を見つける。三郎は慌ててそれを懐に隠す。
 
又左衛門  喜助さん、泥棒は番屋に連れて行ってくれましたか。
喜助    もちろんです。
又左衛門  暴れたりしませんでしたかね。
喜助    あれはなんです、へろへろで変な言葉をずっと口走っていました。
又左衛門  変な言葉?。
喜助    ここはお化け屋敷だって。
又左衛門  へ、あははは。あの泥棒は気がふれているんでしょう、ですから捕まえるのも簡単でした。
喜助    差配さんがとっ捕まえたんですか。
又左衛門  まあ、そんなところです。
喜助    すごい。
又左衛門  じゃ。
喜助    それじゃ。。
 
  喜助帰っていく。
 
又左衛門  帰ったな、それじゃ皆を呼んで四九日の法要の宴席をやりますか。まあ、こうとなったら単なる腹ごしらえですが。いやぁお腹がすいたな。
三郎    差配さん、教えてもらえますか。
又左衛門  なにをです。
三郎    妲己のお百ってなんです。りつはどうして妲己と呼ばれているんですか。
又左衛門  向島の片田舎にまで聞こえてきた妲己のお百を知らないのか。自分の女房になる女でしょう。
三郎    有名なんですね。
又左衛門  ええ。といいましてもわたしもつい今しがた知ったばかりでして。世間に疎いものですから。
三郎    わたしも世間に疎いから。
又左衛門  日本橋に住んでいて世間に疎いってなんです。信じられない。
三郎    わたしは三男のうえに腹違い。それにトロいから馬鹿だといわれてきました。ですからなにをいわれても耳をふさいで生きてきました。父親が死んで嫡男の兄さんが札差家業を継ぎ、次男は伝兵衛叔父さんのところで働き、わたしは相変わらずの冷や飯食いの馬鹿息子。それを見かねた伝兵衛叔父さんが、金貸しをしていた遠縁の磯左衛門を継いで、わたしに金貸しをしろといってくれました。ところがりつの話をすると散々嫌なことを口にされて、一緒になるなら縁を切ると。
又左衛門  理由を聞かなかったのですか。
三郎    聞いたところで同じです。ですから嫌なことは耳を塞いで頭に入らないようにしていました。どう反対されたって、わたしはりつと一緒になるつもりですから。
又左衛門  なら聞かなくてもいいでしょう。そう思うなら無駄な報知です。
 
  三郎、懐から妲己のお百の浮世絵を出す。。
 
三郎    こんな物を見たら聞かないわけには。
又左衛門  あっ、しまった。
三郎    まさか浮世絵になっているなんて思いもしませんでした、教えてください。
又左衛門  妲己とは殷の王妃で贅沢と淫蕩の限りを尽くし国を滅ぼした女。お百は男渡り歩き贅沢三昧をし、欲がらみで男を殺したという噂まである。それゆえ妲己と称されたそうです。このほどの秋田騒動で知名が挙がり一躍江戸の有名悪女になった。そりゃ高間伝兵衛さんも反対するさ。
三郎    そんな評判があったなんて。
又左衛門  嫁さんにしようと思えば少しは調べないかな。
三郎    那珂様のことは聞きました。でもそれ以上聞く必要はないと思って。
又左衛門  成程ね。これで気が済んだかい。
三郎    はい。
又左衛門  一緒になる気がふせたかな。
三郎    そんなことは。
又左衛門  そう。……皆を呼びましょう。
三郎    はい。
 
  又左衛門、暖簾の奥を覗く。
 
又左衛門  皆さん、もう出てきていいですよ。食事に致しましょう……って、わたしたちとりつさんは食べるけれど、よねさんとあの那珂様はどうなんたろう。基本幽霊なんだからご飯は食べないでしょう。
三郎    でもおふくろが腹が減ったといいだしたから、法要の御膳をいただこうということに。
又左衛門  泥棒を突き出して一段落したからわたしも空腹ですけど、幽霊が御膳を食べるんですかねえ。
 
  よねと那珂、りつが暖簾から出てくる。
 
よね    お腹がすきましたね。ああ那珂様は上手にお座りください。ほらりつさん、皆様のご飯をよそってくださいな。又さん、奥で燗しておいたからこちらに運んでください。三郎、そこに座りなさい。
三郎    わたしが運びます。
又左衛門  すみません。それじゃご飯を配ります。
 
  一同がてきぱきと動きお膳と酒の用意が出来る。
  そして全員が席につく。
 
よね    本日はこのわたくしの四九日法要にお越しくださいましてまことにありがとうございます。ささやかではございますがお酒も用意いたしました。どうぞ故人を忍んであげてください。
三郎    それを本人がいう。
又左衛門  古今東西、自分の法要に自分で挨拶したのはよねさんが初めてでしょう。
よね    あの世にいったら自慢してくるさ。それでは皆様、わたしを忍んで乾杯。
一同    乾杯。
 
  一同、盃に口をつけて拍手。
  そして笑い出す。
 
又左衛門  まさかよねさんともう一度酒が飲めるとは思いませんでした。それに那珂忠左衛門様と同席できるとは、生きていらっしゃれば決して席を同じにはできません。
よね    わたしはともかく、那珂様はりつさんが連れてきたんだから、お礼はりつさんにいっておくれ。
又左衛門  ですな、りつさんありがとう。
りつ    いいえ。
又左衛門  それにしてもお二人とも幽霊であらせられるのに食べますな。驚きました。
よね    幽霊だって腹は減るし酒だって飲みたいよ。
又左衛門  あの世にお酒はないのですか。
よね    ない。
又左衛門  それは残念だ。
よね    だから那珂様は久しぶりなんでしょう、。いい飲みっぷりだこと。
又左衛門  いや、まったく。
よね    りつさん、那珂様のお酌を。
りつ    あ、はい。
 
  りつ、席を立ち那珂の酌をする。
  那珂、りつに微笑み酒を飲む。
  りつ、泣き出す。
 
又左衛門  どうかしました。
りつ    昔に戻ったみたいでつい。……でも那珂様、なぜ口をきいてくださいません。わたしがお嫌になりましたか。
 
  那珂、首を横に振り口をパクパクさせて何かを伝えようとする。しかしそれは誰にも伝わらず、彼は仕方なく紙と筆を持って来いと手振りで伝える。
 
又左衛門  筆談ですか。硯と半紙はどこに。
三郎    矢立てと紙ならここに。
 
  三郎、自分の持ち物からそれらを出す。
  那珂はそれを受け取るとすらすらと書いて又左衛門に手渡す。
 
又左衛門  ええと、面影橋で断罪された折、喉を潰され声が出なくなり申し候。今後の会話は筆談で願いたい。えっ、幽霊になってもそのまま?、そうなの、そんなモノなの。
 
  那珂、頷く。
 
よね    ほら、首を斬られたお人が首だけで出てきたり、首なしで化けて出たりするじゃない。
又左衛門  確かに一理あるようなないような。
りつ    那珂様、御願いがございます。わたしを昔と同様にお傍においてください。
那珂    ……。
りつ    後生でございます。
 
  那珂、腕組をして考え込む。
 
りつ    那珂様。
三郎    りつはわたしと夫婦になるんだ。それに那珂様はこの世の人じゃないんだよ、無理をいって困られちゃ……。
りつ    無理ではございません。
又左衛門  まさか後を追って。
りつ    違います。
 
  那珂、紙を筆を取り書き認めるとそれを又左衛門に渡す。
 
又左衛門  ええと、そなたにはよき御仁が傍に居る。夫婦になるがよかろう。
りつ    わたしは三郎さんと夫婦になりません。
三郎    なにをいうんだ。
りつ    三郎さん、わたしは妲己と呼ばれた女です。あなたに相応しい女ではございません。
三郎    そんなことはない。
りつ    妲己というのは。
三郎    知っている。差配さんが持っている妲己のお百の浮世絵を見て説明してもらった。
 
  又左衛門、バツが悪い。
 
りつ    でしたら話が早ようございます。わたしは子供の頃京の祇園で白子という遊女でございました。その後大阪の豪商鴻池善右衛門様の妾となり、それから歌舞伎役者、仲の揚げ屋の主人と男を渡り歩き、その財を糧に生きてきた卑しい女です。そんな女が、あなたのようなお人の女房になれるものですか。
三郎    しかし、わたしと夫婦になると約束したじゃないか。だからお前の望み通りに秋田まで二人旅をしたんだよ。
りつ    それは……。
三郎    秋田騒動と那珂様を忘れてけじめをつけるから連れて行ってくれと。
りつ    騙したのです。
三郎    嘘だ。
りつ    目を閉じて気づかないふりをしていらっしゃるのでしょう。湯沢の宿に着いたとき、わたしはあなたを放っておいて一晩帰らなかった。
三郎    わたしはぐっすり寝ていたからそんなことは知らない。
りつ    でしたら今お聞きなさい。わたしがその晩何をしていたか。
三郎    いや、いい。
りつ    久保田藩の重鎮と会っていました。わたしは貴方を利用して、秋田までそのお方に会いに行ったのです。
三郎    聞きたくない。
りつ    貴方の善意を利用したのです。三郎さん、こんな女と夫婦になるつもりでございますか。
三郎    もういい、やめてくれ。
りつ    わたしは妲己のお百と呼ばれた悪女です。あなたに手に負えるような女じゃございません。
三郎    わたしでは無理か。
りつ    貴方のような馬鹿息子には無理です。
三郎    ……わかった。
りつ    これでせいせいした。おふくろ様、四九日の法要を台無しにして申し訳ございません。わたしは那珂様とここを出て行きます。ああそうだ三郎さん、先程の三十両を恵んでくださいませ。手切れ金のかわりにさぁ。
三郎    ……。
又左衛門  三郎さん、くれてやったらどうです。それで手が切れるなら安いものだ。
三郎    しかしこれはおふくろの形見では。
又左衛門  さっきわたしに気安くくれようとしたじゃありませんか。
三郎    そうですね。好きにすればいい。
 
  りつ、三郎の荷物から三十両を取り出す。
 
りつ    ちょうだい致しました。さあ那珂様、参りましょう。
 
  とその時、暖簾から定助が飛び出す。
 
又左衛門  おまえ、なんでここに。
定助    番屋から逃げてきたッ。今の話聞いたぞ。やはり久保田藩主の妾になるために秋田に行ったんだ。寵愛くだされた那珂様をまこと裏切っていたなれば、俺はお百を殺す。そう決意してここに来たんだ。
 
  定助、腰の刀を抜く。
 
定助    お百、死ね。
 
  定助、りつを追い回す。
 
又左衛門  やめろ、馬鹿な事をするなッ。
定助    うるさい。
 
  定助はりつを追い詰め刀を振り上げる。
  その二人の間に三郎が飛び込みりつを庇う。
 
定助    そこをどけッ。
三郎    できません。
定助    利用されて捨てられたというのにまだその女を庇うか。
三郎    はい。
定助    おまえも死ぬぞ。馬鹿息子は尻尾を巻いて退散しろ。
三郎    りつを斬るならわたしも殺せ。
定助    なんだと。
三郎    りつがいなくなればわたしは死んだも同じだ、さあ殺せッ。
定助    貴様、手に負えない女だから諦めたんじゃなかったのか。
三郎    諦めきれないんだ。
定助    呆れた馬鹿だ、ならば死ねッ。
 
  と、定助が刀を振り上げる。
 
よね    はい、それまで。泥棒さん、あんたは勘違いをしている。
定助    定助だ。
よね    りつさんは、あんたが考えているような女じゃありませんよ。ただ一途に生きてきただけなのに、それが裏目にでてしまった。可愛そうに何度もね。でもそれだけのことさ。
定助    たった今白状した。間違いない、こいつは不埒な女だ。
よね    いいですか、りつさんは今でも那珂様を思っている、だからどうしても秋田に行きたかった。そうだね。
りつ    ええ。
よね    だから自分の為に久保田藩の重鎮に会ったんじゃない。そのお人から何かを渡してもらったんじゃないかぇ。那珂様はね、その渡されたモノについてここまで来たんだ。
りつ    戴いてまいりました。
よね    それはなんだぇ。
りつ    那珂様の遺髪です。それがどうしても欲しかった。
定助    遺髪だと。
 
  りつ、胸元から遺髪の包みを取り出す。
 
りつ    自分の手で那珂様のご供養をしたくて秋田まで遺髪を受け取りに行ったのです。三郎さんごめんなさい、わたしは今でも那珂様を思っています。ですから、わたしは三郎さんと一緒になれません。……これから先りつは、いえお百は生涯那珂様の供養をいたします。
三郎    三十両は供養に使うのか。
りつ    はい。
三郎    生涯供養を続けるなんてやめたほうがいい。
りつ    なら他にどうしろと。
那珂    ああぁぁ。
 
  那珂、また何か認めだす。
  それを又左衛門に渡す。
 
又左衛門  身共はそれを望まぬゆえ世を忘れて生きるがよい。
りつ    そんなことを仰らないでください。
 
 更に手渡される。
 
又左衛門  これからの生涯、三郎殿を伴侶といたせば幸多かれや。それが世の望みなり。
りつ    わたしは那珂様を忘れることなど出来ません。
 
  那珂、また腕組をし駄目だと首を振る。
 
りつ    どうしても忘れろと仰るのですか。
 
  那珂、頷く。
 
りつ    できません。
又左衛門  那珂様は忘れてくれと仰ってますよ。よねさんもそう思うでしょう。
よね    そうだね。
三郎    そんな必要がどこにあるんだ。
又左衛門  え。
三郎    りつ、わたしは那珂様の思いも含めておまえに惚れたんだ。那珂様への思いや過去がなくなれば、それはもうりつじゃない。だから忘れちゃいけない。
りつ    ……。
三郎    それで、わたしも一緒に那珂様の供養をさせてくれないか。
りつ    一緒にはいられません、わたしはあなたを裏切りました。
三郎    那珂様を思ってのことじゃないか。
りつ    わたしは幸せを望んじゃいけない。
三郎    ……なぜ。
りつ    わたしが、わたしが人を愛せばその人は不幸になる、死んでしまう。
三郎    そんなことは……。
りつ    今までずっとそうだった。だから貴方までそんな目に合わせたくない。
三郎    だから思い出に閉じこもり、世捨て人になるのか。
りつ    ええ。
三郎    死なないよわたしは。りつより先には絶対死なない。
りつ    どうしてそんな事がいえるんです。
三郎    わたしは馬鹿だから長生きするさ。
りつ    ……。
三郎    わたしは今までお前が愛した凄い男達と比べれば、お世辞にも立派な男じゃない、なさけない小心者の馬鹿息子だけど、りつを見捨てたり先に逝ったりしない。それを感じてくれたから、わたしと一緒になるといってくれたんだろう。
りつ    それは……。
三郎    だろう。
りつ    ……。
三郎    辛い過去から一歩その先に出て行こう、その手伝いをわたしにさせてくれ。
 
  那珂、又左衛門に半紙を渡す。
 
又左衛門  悲しみながら生きてはいけない、笑顔でいてほしい。
 
  那珂、頷く。
 
又左衛門  わたしもそう思います。
 
  又左衛門、その半紙をりつに手渡す。
 
りつ    わたしには勇気が。
三郎    なら手を出して。
りつ    え。
三郎    手を前に。
 
  りつ、手を前に出す。
  三郎、その手を握る。
 
三郎    二人なら少しは勇気が出るさ。
りつ    わたしより長生きすると約束してくれますか。
三郎    ああ。信じてくれ。
 
  りつ、頷いて三郎の手を両手で握り締める。
 
よね    りつさん、改めて倅の嫁になってくれないかね。
三郎    おふくろ、それはわたしが今からいおうと……。
よね    三郎、お前に渡す風呂敷包みはどこにある。
三郎    あれですか。
よね    そう、それ.。取っておくれ。
三郎    今手がふさがっています。
よね    馬鹿息子だねぇ、又さん。
又左衛門  はい。
 
  又左衛門が変わりに渡す。
  よね、りつの前で正座すると風呂敷から着物を取り出す。
  二人、手を離す。
 
よね    これはわたしが母から戴いたもの。りつさん、古くて悪いんだけれども、この着物を貰っておくれ。
 
  よね、りつに手渡す。
 
よね    不束な息子ですがよろしく御願いいたします。
りつ    ありがとうございます。
よね    又さん。
又左衛門  なんです。
よね    いい四九日になったよ。
 
  音楽。それぞれの表情ありて溶暗。
  ブリッヂ。
 
 
四場
 
  照明イン 夜明け
  土下座する定助に対面する又左衛門。
 
定助    このまま逃げろと。それじゃ俺を許してくれるのか。
又左衛門  あんたの馬鹿騒ぎは那珂様の忠義心から出たことだ、わたしに責めることはできませんよ。それにもう、りつさんを襲うことはしないでしょう。
定助    もちろんでござる。お百、いやりつさんが久保田藩に那珂様を売ったというのも勘違いだった。久保田藩が那珂様の身の安全を保障すると二人を騙していたとは。
又左衛門  今度は久保田藩を狙うのか。
定助    いや、もういいんだ。那珂様の穏やかなお顔をみたら気が晴れもうした。
又左衛門  そうですか。
定助    迷惑をかけた。
又左衛門  しかし、番屋を破って逃げ出したんだ、役人が血眼になって捜しているに違いない。だから捕まらないように逃げてくださいよ。たとえ召し取られてもわたしたちのことは内緒で。
定助    心得ました。だが今夜の事を話しても、誰も信じないでしょうな。
又左衛門  まったくです。なんだか夢のような気がしますよ。
定助    同感だ。
 
  二人は笑いあう。
  三郎が暖簾から出てくる。
 
三郎    差配さん。
又左衛門  仕度はお済ですか。
三郎    はい。あの、おふくろが差配さんによろしくって。
又左衛門  え、それじゃ。
三郎    先程旅立ちました。
又左衛門  最後に挨拶をしたかったのに。
三郎    また必ず会えますから、それまでお達者でと。そう伝えてくれと。
又左衛門  そうですか、また会えるか。あれ、それってわたしが死んだらってこと?。
定助    かもしれませんな。
又左衛門  なんだか複雑だな。
三郎    おふくろから聞きました。差配さんは何くれとなくおふくろの世話をしてくださったそうですね。ありがとうございました。
又左衛門  そんなことはいいんです。よねさんとは何かと気が合いましたから、わたしはだから……いえ、なんでもありません。
三郎    それからこの浮世絵ですが。
又左衛門  ああ、それは。
三郎    聞きました、おふくろが取り寄せたんですね。じつはここに高間の叔父が尋ねて来て、わたしが妲己のお百と呼ばれる女と夫婦になろうとしているから、おふくろからも反対してくれと頼んだそうです。
又左衛門  よねさんは妲己のお百を知らなかったから取り寄せたのか。
三郎    はい。でもそれを生前に見ることは出来なかった。
又左衛門  ですか。それでよねさんは反対するつもりだったんですかね。
三郎    いえ、たとえどんな女でも、惚れたのなら幸せにするのが男の修行だといって叔父を追い返したそうだす。
又左衛門  修行ですか、手厳しいな。
 
  りつ、よねから貰った着物を着て暖簾から出てくる。
 
りつ    お待たせしました。
又左衛門  その着物、りつさん、お似合いです。
りつ    ありがとうございます。
三郎    それでは差配さん、わたしたちは江戸にもどります。色々とお世話になりました。
又左衛門  とんでもない。夫婦になられたら是非遊びに来てください。
三郎    はい。じつはわたしの商売が落ち着いたら、まだ初めても居ませんが、そのうちここに住もうと思います。二人でそう話し合いました。
又左衛門  それはいい。あれ、しかし二人が夫婦になれば高間の叔父さんが三郎さんを勘当すると。
三郎    おふくろは親父の妾で日向者、不幸な人なんだと思っていました。でもわたしはなにも見てなかったようです。あのおふくろの人生が不幸だったなんてあり得ません。妾でも父とおふくろは仲良くやっていたんです。だからおふくろはあんなに明るいんだ。そう気がついたら、りつとの関係は形に拘ることはないんだと。
又左衛門  よねさんも喜んでいるでしょう。なんだか成長しましたな。
三郎    よしてくださいよ。りつ、そろそろ。
りつ    はい。
 
  一同、表に出る。
 
りつ    差配さん、お世話になりました。定助さんもお達者で。
又左衛門  ここに来られるのを待ってます。
定助    末永くお幸せに。
りつ    ありがとうございます。
三郎    それでは失礼致します。
 
  二人は頭を下げると仲良く並んで歩いていく。
  それを見送る又左衛門と定助。
 
定助    さて、俺も行くか。
又左衛門  いく宛てはあるのか。
定助    旅に出ることにした、遠いところに行ってくる。
又左衛門  そうか気をつけて。騒々しい一夜だったけれど、これで誰もいなくなると思うと、なんだか寂しいな。
定助    まったくだ。これにてごめん。
 
  定助、歩き出す。
 
又左衛門  出来たら遊びにこいよ。
定助    差配殿、世話になった。
 
  という定助の姿が掻き消え、人魂となって飛び去る。
  又左衛門、それを見て呆然。
 
又左衛門  えッ嘘、あの男もお化けッ。
 
  音楽イン。
  驚く又左衛門の表情ありて
  幕。
 

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