“in my opinion”

新生活で始まったシェアハウス暮らしは、率直に言って面白い。と言うより、自分には合っている。こんなに居心地が良いなら、もっと早く経験しておけば良かった、とも思った。ただ、勘違いしてはいけないのが “たまたま”今のシェアハウスに良い人達が集まったに過ぎないという点だと思う。職場であれ、何かのサークルであれ、何であれ、コミュニティーの質がどうかは、当然だがそこに集まる “人”で決まる。そういう意味で、本当に今回は恵まれていると思う。

私が居心地良いと感じる大きな理由の1つは、国籍、年齢、職業がバラバラの人達が集まっているという点にある。つまり、そこでは最初からバラバラで、違っていることが前提でコミュニケーションをとるため、皆がお互いの意見、文化の違いをごく自然に尊重する。それが当たり前になる。 “十人十色”とはよく言ったもので、人それぞれ何かに対する考え方、意見は本来違って当たり前、なのだが日本社会で、日本の生活では何故だかそこが無視されやすい。

私はこれまでの人生で、本当に数え切れない程のマジョリティーによる価値観の強要を受けてきた。その都度、心の中で反発したり、場合によっては怒って言い返したり、時には自ら孤立を選んだりしてきた。一番酷かったのは、ある時期に3ヶ月程、田舎(どの地方かは伏せる)に住み込みで働いた時期だった。そこでは、ほぼ一度もその場所を出たことが無い人が多数派を占め、そこでしか通用しない文脈で、それがそこでしか通用しない文脈だという疑問すら持てない人達が、延々と質の低い内輪話を繰り返していた。私は1ヶ月くらい経つと頭がおかしくなりそうになった。まるで地獄のようだった、地獄がどんなものか知らないが。程度の差はあれ、同質の人が集まるコミュニティーではこういったことが起こりやすい。私はそんな時、決まって自ら孤立する方を選んできた。それが、自分を守る術だと感じた時は、コミュニケーション自体を諦める。私は孤独よりも、無意識にそこに染まってしまうことの方が遥かに怖い。

先日、シェアハウスの屋上でパーティーがあり、たこ焼きが焼かれた場面でのことだ。ハウスメイトにイギリス出身の英会話教師をしている女性がおり、私がたこ焼きは食べないのか、と尋ねると、タコは非常に頭が良い生き物なので食べない、と答えた。彼女はそう言った後、 “わたしの意見では”と付け加えた。英語で “in my opinion”と。そこを少し強調した。 “これはあくまで私がそう思うから食べないだけで、あなたの文化はそれで尊重しますよ”という言外のメッセージに感じた。そこに自然に気を遣える彼女がとても素敵に思えた。

ここで私が、 “いや、たこ焼きは美味しいに決まっているから一度食べてみろ”とかは決して言わないし、彼女の方も “タコは頭が良い生き物だから、食べるのを辞めるべきだ”みたいなことは決して言わない。そんなことはごく当たり前だと思うのだが、今までそういう事を平気で言ってくる人達は数え切れない程いた。これは、たこ焼きの話ではない。たこ焼きをいろんなものに置き換えた話だ。そういった人達を変えようとは全く思わない。大事なのは、自分が決してそういう事を他人に強要する側に回らないことだといつも思っている。

#異文化交流 #尊重すること #バーテンダー #店主 #価値観の違い

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