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「神の国」の具体的なイメージ

 いま、ちょっと自宅を離れて、遠い町の友人宅に居候しています。

 ちょっと、話をぼかすために、フィクションが入りますが、大筋でウソはついていません。

 ある牧師さんが酔っぱらって言ってました。「おれは牧師が得意だから牧師をしているのだ。彼は役員が得意だから役員をしているのだ。だれがえらいとかじゃなくて、みんな、得意なことをしているのだ。みんな得意なことをすればよいのだ!」と言っていました。

 こちらにきて、ほんとうにそれを痛感します。私はかなり厚かましい人間ですが、昔から厚かましいのが得意なのです。厚かましいのが得意な人間は、厚かましくしているのがいいのだ、ということが、屁理屈ではなく実感を伴って、本気で思えるようになりました。

 きのう、すごい聞き上手なかたに出会いました。聞き上手な人は、聞いているのがいいのです。それだけで、聞いてもらっている人が満たされるだけでなく、本人も、すごく得るところがあるのです。Win-Winというか。

 「みんな得意なことをやり、苦手なことは助けてもらう」そんな言葉を聞いて思わず涙してしまうのは、私はここ十数年、ずっと、苦手なことばかりやらされてきたからだとわかりました。

 ちなみに、いつぞやの「80:20」というnoteのおさらいになりますが、私、厚かましいと言っても厚かましいオンリーではないですよ。80は厚かましいですけど、20はお手伝いします。あんま得意じゃないけどね。
 聞き上手さんも、80は聞いてますが、20は、しゃべってますしね。

 だから、キリスト教でよく言う、「神の国」のイメージが、ちょっと、具体的に、わかったのです。どういうところが神の国か。

 それは
 「みんな自分の得意なことをやり、苦手なことはカバーしてもらえる国」
 それが神の国なのです。なんていいところなんだろう。涙が出るね。

 「御国を来たらせたまえ」っていうお祈りが、すごく具体的になりますね。それはほんとうに来てほしい。ていうか、ここ、ほんとうに、ちょっと、来ているぞ。御国が。

 それだけの話です。ちょっと思っただけです。「神の国」についてはみんなわからないのは百も承知なので、私のきのうのひらめきを書いただけに過ぎません。これは蛇足ですけど。

 以上です。お読みくださりありがとうございました。

(すみません、十五夜は何日か前ですが、その日にnoteを書くのを逃したのがくやしくて、いまごろ、満月の写真をサムネにしてます。でも、うさぎは月でもちをつくのが得意だから、月でもちをついているのだと思いますね。神の国だ。)

 

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