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篠山紀信と市川海老蔵の思い出

(以下に私が書こうとしている話は、破廉恥な話に思えるかもしれませんが、破廉恥な話ではありません。前に勤めていた学校の創立記念式典の話を書こうとしているのです。公式の行事です。)

2008年6月11日のことになります。いまから15年前の話ですね。私はそのころ、ある私立中高の教員でした。この日は、その学校の創立120周年記念式典でした。日記には少ししか記述がありませんが、覚えていることを書きたいと思います。

そのころ、私はオーケストラ部の顧問でしたが、ちょうど2008年6月と言いますと、精神病の症状がひどくて診断書が出ているころであり、オーケストラ部顧問の活動を少し縮小させてもらっているころでしたので、オーケストラに関する詳しいことが日記に書いてあるわけではありません。その学校はキリスト教主義の学校でした。式典は2部構成であり、第1部はキリスト教の礼拝形式で行われました。オーケストラがいました。おそらく地元のプロの室内オケです(私の日記には明記されていませんが、あのオケだと思い出せます)。これに、現役のオーケストラ部員が加わったかどうか、よく覚えていません。プロジェクター(いまよりプロジェクターが珍しい時代です)で、120年の歩みが映し出されました。オーケストラは、ワーグナーのマイスタージンガー前奏曲とか、エルガーの威風堂々とか、ベートーヴェンの7番の第1楽章とか(そのころ「のだめ」で流行っていた)、それからオペラ歌手を交えていろいろなオペラアリアを演奏したと記憶しています。そして、最後に、オーケストラで、校歌が歌われ(音楽の教員が指揮しました。この先生、プロのオーケストラを指揮したな、と思った記憶があります)、第1部が終わりました。校歌をオーケストラ用に編曲したのも卒業生の作編曲家でした。しかし、おかしなスコアだったと記憶します。ホルンの1番の下が3番なのです。ホルンの1番の下は2番なのに!おそらく、ホルンって1と3がペアだったな、と錯覚したのでしょう。このスコアを見たということは、どうもオケ部員もこの演奏に参加したということでしょう。先ほどのオペラアリアも「もう飛ぶまいぞこのちょうちょ」などを生徒も演奏したという記憶があります。

さて、第2部です。これは、ゲストに写真家の篠山紀信氏と、歌舞伎役者の市川海老蔵氏を招いての対談でした。しかし、どういう話になったかと言いますと、以下のような話であったのです。

海老蔵氏は、このころ、まだ結婚をしておらず、プレイボーイとして、たくさんの浮名を流しておられるころでした。そして、その中高は、男子校であったのです。海老蔵氏はすっかり調子に乗っていました。篠山紀信氏は、女性のはだかをたくさん撮影なさっているかたです。私のその日の日記からそのまま引用しますと「海老蔵がひどいチャラ男で、女を脱がす話に終始した感がある」と書かれています。私は、この第2部は、ずっと楽屋におり、小さなモニターから見ていたのですが、そのころ大流行していたグラビアアイドル(だれだったか忘れました)の水着の写真(さすがにヌード写真ではなかった)が、大画面に出たということがありました。篠山紀信氏の当時の最新作の写真だったようです。

海老蔵氏は、いかにして女を脱がすかという話を、しつこく篠山氏に聞いていました。篠山氏は、とにかく頭を下げて脱いでもらう、というような話をしていました。宮沢りえさんの「サンタフェ」の話にもなりました。あれは、私が高校1年のときに流行った宮沢りえさんのヌード写真集であり、その2008年の時点で18年くらいは経過していたと思われますが、篠山紀信氏は、とても自信作であったようで、「一家に一冊」というようなこともおっしゃっていました。海老蔵氏の「女を脱がせる」話につられるまま、篠山氏は、あの写真集は、いま(2008年時点での「いま」)なら、児童ポルノで法律に抵触する年齢だと言っていました。いま検索すると、宮沢りえさんは私.の2歳上で、私が高校1年つまり15歳のときに流行った写真集ですので、りえさんは17歳くらいだったことになります。ヘアヌード(陰毛の写ったヌード写真)というものの走りでした。それまでは、陰毛をヌード写真で見せることはタブーだったと思うのですが、国民的アイドルだった宮沢さんと、当時から有名な写真家であった篠山氏が、堂々と陰毛の写った写真集を出され、それ以来、ヘアヌードは当たり前になったと記憶しています。古い話で恐縮です。海老蔵氏の話に乗せられて、篠山氏は、いろいろなサンタフェのエピソードを話されました。当時としてはずいぶん大胆なヌード写真集を撮影していたわけですが、途中まで撮影して、できた写真を篠山氏がりえママ(宮沢りえさんのお母さん)に見せたところ、もっともっと大胆に!と言われた話とか。とにかく海老蔵氏のすけべな話はえんえんと続きました。会場も男子生徒諸君が盛り上がりに盛り上がっているので、海老蔵氏と篠山氏も乗って来て、ますます話がエスカレートするのでした。海老蔵氏の、いろいろな女性との交際の話などもたくさん出ました。1時間以上、そんな話が続いたでしょうか。質疑応答の時間となりました。最初に手を挙げて質問した生徒さんは、上ずった調子で、海老蔵さんに「いままでで、だれがいちばん気持ちよかったですか?」と聞きました。海老蔵さんは、「きみたちの知らない人だと思う」と答えたと記憶しています。一般の女性だということでしょうかね。最後の最後で、すっかり上機嫌の海老蔵、篠山紀信両氏は、去って行きました。篠山氏の「偏差値の高い男子中高生が集まるとどうなるかわかって、とても楽しかったです!」という一言が印象的でした。別に、そんなに偏差値の高い学校でもなかったのですが、これらの企画をした当時の教頭らが、そのように海老蔵氏や篠山氏には伝えていたということでしょう。ちょっと残念なのは、そのグラビアアイドルの水着写真の大画面を、楽屋からモニターごしに小さくしか見られなかったことですね。

と、ここまで、破廉恥な話を書いてきたかのようですが、これは、あくまでその名門私立中高の創立記念式典での話であり、これは公式に行われたものです。私のこの文章をお読みになり、なんて破廉恥なと思われたかもしれませんが、あるとすればその学校に責任があります。

翌日の、地元のスポーツ新聞には、さっそくこの記念式典での対談のようすが報道されました。もっともそのスポーツ新聞には、篠山紀信氏と市川海老蔵氏の「対談」ではなく「トークショー」と書いてありましたが。記事のメインは、海老蔵氏の発言で、「米倉涼子とは本気だった」という発言についてでした。

この式典は、この年の「芸術鑑賞」という位置づけでもあったと思います。

ずっとのち、7年後の2015年のことだと思いますが、寺田ユースケ氏が学校に講演に来ました。寺田ユースケ氏は、この学校の卒業生です。どうやらこの記念式典のときに、現役の学生さんであったらしく、その「いままでで、だれがいちばん気持ちよかったですか?」という質問をした生徒さんはクラスメートであったらしく、あとからその生徒さんは、担任からバッチバチに叱られていた、という後日談をしてくれました。しかし、寺田氏も、この男子校の卒業生であり、かなりお下品な話てんこもりの講演をされて行きましたが。

というわけで、結婚前のプレイボーイであられたころの市川海老蔵さんと、篠山紀信さんの「対談」を生で聴いたお話でした。確かこの前の年に、市川團十郎さんも芸術鑑賞でこの学校で話をされていったと思います。そのときは、まじめに歌舞伎の講演をされていったのですが、質疑応答で、息子である海老蔵氏のプレイボーイぶりについてどう思うか、生徒さんから聞かれていたと記憶します。

以上です。もう調べればどこの学校だかわかると思いますが、あえて調べないでくださいね(笑)。まあ、もう15年も前の話ですから…。最後に念を押しますが、私が破廉恥なのではないです。当時の海老蔵氏が破廉恥と言うべきか、創立記念式典にこの2人を呼んだ学校の責任というべきか…です。でもすごく楽しかった思い出です。以上です。

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