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ブラームスの交響曲第2番

 ヴァイオリンの仲間が、レッスンでブラームスのソナタを練習していて、なかなか苦労しているので、私なりに、その仲間にブラームスの魅力を伝えました。フルートをやっている私からすると、「ブラームスの作曲したソナタがある」(ブラームスにフルートソナタはありません。というか、ロマン派の時代には、管楽器はソロ楽器と考えられていなかったので、ソロのレパートリーは、ヴァイオリンやピアノと比べて、ずっと少ないです)ということがすでにうらやましいくらいですので、がんばってもらいたいですが、そんなわけで、ブラームスについて、記事を書いてみたくなりました。とくに私が愛している、交響曲第2番について、書いてみることにしました。
 
 ブラームスには、交響曲が4曲あります。4曲とも、甲乙つけがたい名曲です。でも、きょうは、あえて、えこひいきをして、第2番を選びました。

 ブラームスの作品には、うまく言葉にならないような魅力があります。それでもなんとか言葉にすると、ひらたく言って「さびしさ」だと思います。クラシック音楽をほとんど聴かないある友人に、ブラームスの「間奏曲op.118-2」という短いピアノ曲を紹介したら、いたく気に入ってもらえました。何とも言えない孤独感というか、さびしさがあるのです。この交響曲第2番は、ブラームスの作品のなかでは、明るいほうに入りますが、それでも、全体的にさびしさをたたえているところがユニークです。

 曲は4つの楽章からなります。第1楽章は、ちょっと聴いた感じでは、のどかな感じですが、そこになんとも言えない心のゆれを感じさせます。第2楽章は、だいぶさびしいです。心の叫びのような場面もあります。
第3楽章でまたのどかになり、第4楽章は一見、華やかですが、さびしさや孤独感をブラームスが振り払おうとしているかのようにも聴こえて、なんともいえない切ない気分になります。

 この曲を、引退公演で取り上げた指揮者を、2人、知っています。ジャン・フルネと、モーシェ・アツモンです。フルネは東京都交響楽団で、アツモンは名古屋フィルハーモニー交響楽団で。いずれも日本のオーケストラで、引退公演をしました。でも、引退公演で、この曲を選曲したくなる気持ちって、なんとなくわかる気がします。華やかなんだけど、一抹のさびしさを感じさせる曲。

 また、この曲は、アマチュアオーケストラがひんぱんに取り上げる曲ということでも有名です。私も、何回、この曲を客席で聴いたでしょう。アマオケをやっている人への適切な質問は、「ブラームスの2番をやったことありますか?」ではなく、「ブラームスの2番は、何回、やったことがありますか?」だと思います(そして、その回数の期待値を計算する)。ちなみに私自身は一度もないんですけどね(「降り番」の経験ならありますけど。そして、この曲がまだ候補曲だったときに、初見大会で第4楽章を)。

 アマオケでこの曲をよくやる理由の最大のものは、編成です。ブラームスの1番、3番、4番は、チューバがなくて、コントラファゴットが要ります。この2番だけ、チューバがあって、コントラファゴットは要りません。これは、トロンボーンとチューバがばっちりいるフル編成のアマオケにとって、チューバが「失業」しないために重要であり、また、コントラファゴットという大きな楽器を使わないですむということがあります。
 それから、やはり華やかに終わる曲だということがあります。華やかにジャーン!と終わる曲のほうが、拍手がパッと来やすいということがあります(交響曲第3番は、静かに終わるため、とても難しいです)。アマオケの選曲って、結局、「編成」と「難易度」で決まっているようなところがあります。
 そのようなわけで、この曲は、ベートーヴェンの「運命」や、ドヴォルザークの8番、シューマンの1番、チャイコフスキーの5番などと並んで、アマオケのよくやる交響曲のひとつですが、弦楽器の人に聞いてみると、技術的には、ベートーヴェンやドヴォルザークよりずっと難しいそうですね。

 ブラームスの曲で、どこが強拍だかわからなくなる曲があります。この第2番もそんな曲のひとつです。でも、その最大の原因は、ブラームスは、必ずしも小節線の変わり目で、和音を変えるわけではないのです。本場のドイツの人が、どのように感じているのかはわかりませんが、少なくとも私のような日本の人は、和音の変わり目を小節の変わり目と感じてしまうようですので、どこが強拍だかわからなくなるのです。このことを指摘している人はたいへん少ない(私の知る限り、私しかいない)ので、書かせていただきました。なかには、強拍であることを強調するために、強拍にアクセントをつけようと悪戦苦闘している(へたなダジャレ)指揮者もいましたが、無駄な努力だと思います。なにせ和音の変わり目で小節が変わっているように感じられるだけなのですから。

 ブラームスの交響曲第2番で、私が好きな演奏をいくつか挙げたいと思います。

 まず、なんといっても、ストコフスキー指揮コンセルトヘボウ管弦楽団の1951年のライヴ!ストコフスキーはこの時期、ブラームスの2番を、よく客演のレパートリーとして持って行っており、このライヴ録音は、そのうちのひとつです。ストコフスキーのこの曲の正式な録音は、1929年(フィラデルフィア管弦楽団)と1977年(ナショナルフィル)だけですが、ほんとうにストコフスキーがブラームスの2番で本領を発揮しているのは、この1951年ごろのライヴ録音なのです。全体的に、もたれない速めのテンポを取っており、重々しいブラームスになっていないところはすばらしく、また、第1楽章の有名なホルンの長いソロで、むしろ弦楽器の動きを強調して、何とも言えない立体感を出していたり、また、要所要所で聴かせる、曲を愛するがゆえの小技のかずかずもすばらしい。そして、最後の最後で大見得が待っており、聴くものを感動させずにはおきません。すばらしい演奏です。
 この時期のストコフスキーのブラームス2番は、このコンセルトヘボウ管弦楽団ライヴをもって最高としたいですが、同じ時期のライヴとしては、バイエルン放送交響楽団のライヴもすばらしい。ノルウェーのベルゲン・フィルのライヴもよい。シカゴ交響楽団のライヴは、ピッチが安定せず、残念ながら気持ち悪くて聴けません。ストコフスキーは、たとえばウィーンフィルに客演したときも、ブラームスの2番を取り上げています。録音は残っていませんが、聴いてみたかったですね。ウィーンフィルでブラームスの2番なんて、カルロス・クライバーみたい。(ストコフスキーの前プロは、モーツァルトの40番と、自身の編曲したバッハでした。)

 その、カルロス・クライバーのブラームス2番もすばらしいです。これはぜひ、映像つきでおたのしみいただきたいものです。クライバーの指揮は、「見ていて」たのしいものですから。私も、指揮者の経験がありますが、自分で指揮をしてみると、あのクライバーの自由自在な指揮ぶりは、とうてい真似できないことが実感されますね。

 それから、ワルター指揮ニューヨークフィルの録音がすばらしい。よく歌い抜かれていて、しかも、やはり重々しいブラームスにはなっていないところがすばらしいと思います。第4楽章の最後の追い上げも、とてもドラマチックですばらしいです。

 生で聴いたなかでは、ヤノフスキ指揮NHK交響楽団と、外山雄三指揮NHK交響楽団が、とても印象に残っています。ヤノフスキは、前半にバッハ=ウェーベルンのリチェルカータと、ザビーネ・マイヤーをソロとしたモーツァルトのクラリネット協奏曲があり、ザビーネ・マイヤーがかなり集客しているようでしたが、われわれの興味は、ブラームス2番にあります。予想通りというか、若々しい、新鮮なブラームスで、大いに満足いたしました。ちなみに、フルートは故・中野富雄さんでしたが、第2楽章でシャープが5つになるところで、一瞬、レのシャープを忘れかけました。一瞬のことでしたが、目立ちましたね。ミスターパーフェクトの中野さんでも、そんなことがあるのですね笑
 外山雄三の演奏会は、前半にブラームスの交響曲第2番、後半に4番というヘビーなプログラムでした。じつは、ローレンス・フォスターが指揮する予定の演奏会が、フォスターがケガをして来日できなくなったということで、外山雄三は「代振り」だったのです。外山雄三もブログで、自分ならこのようなプログラミングはしない、と書いていました。実際、前半の2番で燃え尽きてしまったような感じもありました。オーケストラはさっきと同じNHK交響楽団ですが、ヤノフスキのときとはまったく違う、きっちりした仕上がりでした。オーケストラの脇の(下手の方の)席で聴いていたのですが、ホルンの人のソロがものすごくうまく決まりました。ティンパニの人が、太鼓の面をバチですりすりしながら、称賛を送っていました(ホルンの人には、自分の楽器の反射で、見えるのでしょう)。すばらしかったです。
ちなみに、このときもフルートは故・中野富雄さんでした。中野さんは、前半のこのブラームス2番のとき、ピッコロを持って登場しました。はて?この曲で、ピッコロに持ち替えするところなど(まして1番フルートが)あったろうか?果たして中野さんは、ピッコロを使うことなく演奏を終え、下がっていきました。後半は、2番フルートの人ともども、ピッコロを持って登場しました。ブラームスの4番は、2番フルートは、ピッコロに持ち替えするところがあります。じつは、この日の演奏会は定期演奏会ではなく、アンコールがあり、ブラームスのハンガリー舞曲だったのですが(何番だったか忘れました)、そこで、フルートがふたりともピッコロに持ち替えする場面があったのです。中野さん、天然であられますね笑

 そのようなわけで、ブラームスの交響曲第2番はすばらしい曲です。ブラームスの交響曲は、4曲ともすばらしいですが、きょうはとくに2番について語らせていただきました。ちなみに、こんな長い曲はつきあいきれない(ストコフスキーは40分かかりませんが、通常、45分くらい見ていただいたほうがいいと思います。第1楽章の繰り返しをすればなお長くなります)というかたには、ちょっと触れましたが、間奏曲op.118-2をおすすめします。これも、いずれ語りたいですが、ほの明るいなかにも、さびしさ、孤独感を感じさせる絶品で、数分のピアノ曲です。ペーター・レーゼルの、あっさりした演奏が私の好みですが、2020年12月21日現在、YouTubeで聴ける演奏としては、グレン・グールドの感情表現ゆたかにして曲のよさを損なっていない演奏が最高だと思います。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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